#8 スク水が武器の町野さん
しとしとと降る六月の雨音が、部室の窓越しに聞こえていた。
その一方で、廊下からは数字を叫ぶ大きな声が聞こえる。
グラウンドが使えない梅雨の間、サッカー部は主に廊下で筋トレするらしい。
「文化部以外は、雨の影響があってたいへんだなあ」
ドミノ部の僕はつぶやいて、いつものように床に牌を並べる。
「まあ室内プールで活動する、水泳部も関係ないだろうけど」
そんなひとりごとをつぶやいていると、部室の引き戸が開いた。
「わたしはホットサンドメーカーを推すけど、二反田は?」
現れたのは、半袖ブラウスにスポーツバッグを斜めがけした女子生徒。
町野さんは僕のクラスメイトで、まさしく水泳部に所属している。
「俺はやっぱり、フライパンだと思うんだよな」
答えたのは僕ではなく、町野さんに続いて入ってきた男子生徒。
このもっさりアフロ気味な髪の八木も、僕のクラスメイトで放送部の所属だ。
「ふたりが一緒なんて珍しいね。で、調理器具の話?」
「部活対戦格ゲーが出たら、調理部の武器はなにかって話」
町野さんが、ある種の男子が大好きなテーマを提起する。
「了解。じゃあ僕はジャッジするよ。ファイッ」
「どう考えたって、武器はフライパンに決まってるだろ。なにしろ攻守に使えるんだ。みんな大好きな大乱闘ゲーでも、フライパンは2キャラが採用してる」
まずは八木が、持論を展開した。
1キャラはお姫さまだったと思うけど、もうひとりは誰だっけ。
「その辺りが男子の想像力の限界だよねー。八木ちゃんフライパンエアプでしょ? あれ重いんだよ。取り回しが利かないから、殴るのすごくたいへんだった」
「……なにを殴ったかは聞かないけど、経験談は強いね。町野さん1点リード」
僕はかすかに震えながら、指を一本立てた。
「ならフライパンの代わりに、どの調理器具を武器にするかだ。包丁はさすがにエグい。かといって、ホットサンドメーカーってどうなんだ? 要はちっちゃいフライパンだろ」
八木の指摘は悪くない。さあ町野さんはどう返すか。
「なんだろう……うそつくのやめてもらっていいですか? なんかそういうデータあるんすか? それってあなたの感想ですよね?」
「小学生並みに反論のクオリティがひくゆき!」
これはさすがにポイントマイナスかと思ったけれど、町野さんはめげずに続ける。
「わたしの知りあいに焼いた魚の目をした性格の屈折した男子がいるんですけど。彼は『モテなくても、せめてきらわれないようにしよう』って感じで、クラスで存在を消してるんですよね。それに比べると八木ちゃんは悪目立ちしてますよね(笑) 頭丸いですよね(笑)」
「……町野さん、1ポイント」
「おい、二反田! いまディスられたのは、どっちかっていうとおまえだぞ!」
「わかってるけど、まちゆきは八木の主張をきちんと否定できてたから……」
僕は涙をこらえつつ、もう一本指を立てた。
「八木ちゃん。ホットサンドメーカーは、たしかにフライパンと同じカテゴリだよ。でもその重さはほどよくて、ハンマー的に使うことができるわけ」
「だったらそれこそ、フライパンのほうがいいんじゃないか」
「ベニちゃんの椅子の座りかたくらい浅いね。ホットサンドメーカーは、ふたつに分解できるわけ。それこそ男の子がみんな大好きな、『二刀流』が可能なんだよ……!」
「おお……! 勝者、町野さん」
深く座ると足がぶらぶらしちゃう雪出さんを想像しつつ、僕は勝敗を言い渡した。
「まいったな。負けを認める。町野さんは運動部なのにセンスがいい。そのセンスで水泳部の武器を設定すると、ビート板を盾にするとかか?」
「やれやれ。きみたち『泳がな人』はまだそんなとこ?」
「泳がな人……ツッコまなくていいのか、二反田」
「まだ泳がせておくよ」
「わたし、ずっと思ってたんだよね。スイマーにとって一番の武器は、水着そのもの」
「ほうほう。水を操る力が備わってる、みたいなやつか」
八木と同じく、僕も興味深く拝聴する。
「競泳水着は水を弾くけど、若かりし頃に着たスクール水着って、水を吸うとめっちゃ重いんだよね。あれでばちゃんばちゃんひっぱたかれたら、すごい痛いと思う」
「「まさかの物理!」」
期待した水泳要素が出てこないことを嘆くのは、僕たちが泳がな人だからだろうか。
「いやあ、面白かったな。町野さん、今度は前に言ってたマックで話そうぜ」
「いいね。じゃあテストの打ち上げしよ。わたし、ベニちゃんを誘ってみるよ」
「マジか。俺は誰を誘うかな。この場にいるというだけで、自分も勘定に入ってるつもりのやつは置いといて……」
「くっ! ……僕も行きたいです。八木さん、誘ってください」
僕がすがると、町野さんが大きな声で笑った。
ふたりきりのときとは、笑いかたがだいぶ違うなと思う。
「じゃ、俺は部活行くわ。アディオス・アミーゴス!」
八木が指二本をぴっと振って去ると、町野さんが「さて」と僕に向き直る。
「二反田、ここからが本題だよ」
「珍しくふたりできたから、なにかある気はしてたよ。八木のこと?」
「まあね。八木ちゃんはこれから部活でベニちゃんと会うんだから、自分で誘えばいいのにって思わない?」
「思うけど、誘えないのもわかるよ。雪出さんは高嶺の花だし」
相手にされないというよりは、自分で身の程を思い知る感じだと思う。雪出さんはみんなのアイドルだから、遠目に見守るだけでいい的に。
「それねえ、たぶん違うんだよ。あのふたり、出身中学が同じでね」
「ああ、うん。それは八木から聞いてる」
「どうやら昔は、仲よくしゃべってたらしいんだよ」
「そうなの? いまはふたりがしゃべってるのなんて、見たことないけど」
八木が一方的に雪出さんを好きというか、まさにアイドルとファンの距離感だと思う。
「わたしの見立てでは、ふたりは両想いだよ」
「ハハッ! 町野さんは面白いなあ!」
「二反田の作り笑顔、ガチでそっちの人っぽくて怖いね……」
いつも明るい町野さんが、顔を引きつらせてドン引きしている。
「だって町野さんが、荒唐無稽なことを言うから」
「根拠はあるよ。高校に入って急にしゃべらなくなったってことは、ケンカをしてるか、意識をしてるってことだもん」
「雪出さんは人気者だから、単に八木と話す時間がないだけだよ」
「でもベニちゃんは、ハイパー空気読みガールだよ。八木ちゃんと話してないならそれに気づくし、さびしがってるかもって声をかけにいくよ」
たしかに雪出さんは、周囲の期待を敏感に察知するタイプだ。
「だったら八木は? 八木はなんで、高校で雪出さんとしゃべらなくなったの」
「八木ちゃんも勘がいいでしょ。入学のタイミングでベニちゃんからの好意に気づいて、好きになられたから好きになった、みたいに思われたくないんじゃない?」
「八木がそんな、デスゲームの主人公みたいな読みあいするかなあ……」
「それをたしかめるための、テスト打ち上げだよ。ふたりを無理にくっつけようとは思わないけど、普通におしゃべりできるくらいにはしてあげたくない?」
「それは……まあ、うん」
八木は一応友人だし、困っているなら少しくらいは力になりたい。
「じゃ、二反田も協力してね」
「善処はするよ。前から思ってたけど、町野さんって世話焼きだね」
友人のいない僕に、最初に声をかけてくれたのも町野さんだった。球技大会の打ち上げにも呼んでくれて、おかげでクラスでも少し打ち解けた気がする。
「逆だよ。二反田が人に興味なさすぎ。淡泊すぎ。ヒラメなの? エンガワ食べたい」
「最後に本音が出るタイプのクレーマー」
町野さんは口を「ω」の形に……はせず、むしろ片頰を膨らませた。
「じゃあね」
去っていく町野さんを見送りつつ、僕は腕組みして考える。
八木は脳天気に雪出さんを好き好き言うので、一方的な感情だと思っていた。ふたりの間にすでに関係性があったなど、思いも寄らなかった。
「友人……のつもりでいたんだけどな……」
まあ友人だから言えないパターンもあるけれど、今回は違う気がする。
「僕は町野さんのことも、わかってないのかも。ご立腹っぽかったし……」
その怒りの理由がわかるのは、月末になってからのことだった。