#15 軽率に海へ飛びこむ町野さん

 夏休みも八月に入ったけれど、僕は相変わらず部室でドミノを並べている。

 いまはひと通り並べ終わって、動画撮影の準備中だ。


「『カーペット』はベタなギミックだけど、やっぱり絵映えするね」


 三脚に装着したスマホを動かして、角度を微調整する。今回は「倒れると絵が現れる支線のネタ集」という動画の素材用なので、引きの画角だけで事足りそうだ。


「十秒かからないし、町野さんがくる前に撮っちゃおうかな」


 なんてつぶやいたタイミングで、予想よりも早く部室の引き戸が開いた。


「JK、四人そろうと背を向けた写真撮りがち」


 現れたのは、首にタオルをぶら下げた水着姿の町野さん。


「いらっしゃい、町野さん。後ろ姿なのは、SNSに上げるから?」

「運動部女子の場合、試合直後はかわいくないからだよ。部活は青春の思い出。されど盛れてない青春は黒歴史。背中写真ならエモさだけ残せる」

「めちゃめちゃ理にかなってた」

「というわけで、二反田。いまから海へいこう」

「フッ軽すぎるよ。部活はどうするの」

「うるせェ!!! 行こう!!!!」

「話を聞く気がないなってわかる、ビックリマークの数」

「女子はね、十六になるとムラムラするんだよ。海に向かってジャンプしてぇ。その姿を背後から撮りてぇ。映えてぇ。上げてぇ。承認よっきゅりてえって」

「インスタ王になりたいんだね。懸賞金200万いいねの」

「じゃ、支度しといて二反田。わたし部活に戻って、服着てくるから」

「いやでも、僕はいまからドミノの撮影が──」

「うるせェ!!! 行こう!!!!」


 そう言って、町野さんは大股歩きで部室を出ていった。

 たぶん、アラバ●タ編までしか読んでいないと思う。


「二反田とふたりで電車に乗るのって、初めてじゃない?」


 都心と観光地を結ぶ電車に隣同士で座り、僕たちの航海が始まった。


「町野さんは、トランポリン通学だもんね」

「いま二反田がなに考えてるか当ててあげようかデートみたいで楽しい」

「ひと息で言うなら、前半質問形式じゃなくてよくない?」

「お。デートを否定しなかったね」

「女の子が言う『デート』は、『お母さんに夏服を買ってもらう』のと同じくらいの意味だと思ってるから」

「え、服買ってくれるの?」

「そこ広げるの?」

「ほら、はしゃいでるわたしかわいいね。楽しいね」

「そうだね。電車でイヤホンしないのって久しぶりかも」


 ささやかな非日常を体験して、僕も多少は浮かれている。


「うれしいな。海なんて去年ぶり」

「そんなに久しぶりじゃないんだね。町野さんは海が好きなの?」

「海と、天気雨と、緑の多い場所で下向きながら歩いて昆虫探すのが好き」

「小二男子テンション爆上げセット……ほかに、ちくわと深夜ラジオも好きだよね」

「ちくわは普通」

「あんなに毎日食べてるのに?」

「プロテインみたいなものだから」


 聞いてみないとわからないものだなと、小さな感動を覚える。部室にいるとなぜかこういうプレーンな会話が少ないので、そういう意味でも新鮮な体験だ。


「二反田はなにが好き?」

「ドミノと、動物と、重ねてある布団と布団の間に手を突っこむのが好き」

「布団のくだりは女子ウケを狙った『わかるー』待ち……と見せかけて、『そこでもツッコむのかよ!』ってツッコんでほしいんでしょ」

「そこ気づかれると、次からハードル上がるなあ」

「わたし、二反田のことならけっこうわかるよ。恐竜展に行く話をぜんぜん詰めてくれないのも、『よく考えたら、これってデートなんじゃ……』とか、もやもや考えてるんでしょ」


 町野さんが指先で、僕の胸をつついた。


「物理的に図星を突かないで」

「二反田はさー、わたしを女子として意識しすぎじゃない?」

「町野さんは思春期なのに、自分と周囲の性別に無自覚すぎじゃない?」

「矛盾してるよ、二反田。デートはお母さんと服を買いにいく程度なんでしょ?」

「人間は矛盾をはらんだ生き物だって、坂本くんも言ってたよ。町野さんだって自己の女性性に無自覚でいながら、ルッキズム的な優位性は客観的に把握できてるでしょ?」

「言葉がむずかしくて一個もわかんないよ! 坂本くんってなに!」

「坂本くんはむずかしくない! 町野さんの右斜め後ろの席の男子!」

「じゃあリョーマって言ってよ!」

「坂本くんはメガネくいっするタイプで幕末感ゼロだから、言いたくないんだよ!」

「なんかあれだね。二反田って幼少期の頃の自己紹介カードでも、『好きなドリア:ミトコンドリア』とか書いて、ひとりでハイセンス気取ってそう」

「思わず顔が赤くなるくらい、よくできた言いがかり!」


 そこで町野さんの口が、「ω」の形になった。


「わたしたち、いまケンカしてたね」

「お互いに感情的だったね。主に坂本くんのせいで」


 僕たちは顔を見あわせ、同時に噴きだした。


「やっぱり人は、軽率に海へ行くべきだよ」


 町野さんがほらと指さす窓の向こうに、きらきら輝く水平線が見えた。


「こういうのは海じゃなくて、『磯』って言うんじゃないの町野さん」


 僕たちがいるのは、地元の人しかこないような釣りスポット的岩場だった。


「ビーチは激混みだから、映える写真なんて撮れないでしょ」

「そもそも、ひとりジャンプで映えるのかな」

「じゃ、二反田。シャッターチャンス、一度切りだからね。連撮も禁止」

「一度きりって……まさか、海に飛びこむ瞬間を撮れっていうの?」


 町野さんが、ふふんと笑う。


「あっちから走ってくるから、こう『行くぜっ!』って感じでお願い」

「早い早い! 待って待って!」


 僕は慌ててカメラアプリを起動した。


「二反田、いっくよー!」


 地面に膝をついて画角を調整していると、制服姿の町野さんが走ってくる。


「婚活アプリの写真って、他撮りじゃないと『ぼっち』認定されるんだって!」


 町野さんは岩場から海へ向かって、体を反らせながらジャンプした。


「もっとマシなかけ声なかったの!?」


 僕は叫びながら、シャッターにタッチする。

 どっぱんという水音と、跳ね上がる水しぶき。

 やがてびしょ濡れの町野さんが、岩場へ上がってくる。


「どうだった、二反田」

「う、うん。撮れてるよ。『C』の字みたいなエビ反りジャンプ」


 僕は町野さんから目をそらしたけれど、あまり意味はなかった。


「この陽射しなら、小一時間で乾くね」


 おもむろに濡れたブラウスとスカートを脱ぎ、岩場に並べる町野さん。

 そういえば「服を着てくる」とは聞いたけど、「着替える」とはひとことも言ってない。


「いやー、おかげで楽しかったよ。ありがとう、二反田」


 僕のスマホから画像を受け取り、町野さんがうれしそうに笑う。


「遠出したかいがあってよかった。この画像なら、インスタ王になれそう?」

「なにそれ。上げないよ」

「まさかの婚活用?」

「ないない。画像は海へ行く口実。『捜し物を探しにいく』くらいの思いつき」

「ひとつなぎの悲報!」


 町野さんの「ω」の口が、今日はずいぶんと多い。


 それからしばらくの間、僕たちは熱い岩の上でおしゃべりをした。

 恐竜展に行く予定をすりあわせたり、坂本くんの新しいあだ名を考えたり。

 いつもみたいに、恋も他愛もない会話を繰り返した。

 制服は、あっという間に乾いた。

 けれど寄せては返す波のように、僕たちは日暮れまでボケたりツッコんだりしていた。