#16 古参マウントを推奨する町野さん

 夏休みの午前中、僕は書店で涼んでいた。


「買い忘れている新刊、ないかな」


 マンガはアプリで読むことが多いけれど、僕は気に入った本は手元に置きたい派。

 本棚に並べて背表紙が目に入ったときに、ちょっとテンションが上がるから。

 友人の八木も現物所有派だけど、僕とは理由が違う。「電子書籍は容量を食うだろ。スマホにはもっと、人に見せられないものを入れておくべきだ」とのこと。

 僕にはなんのことかわからないと、すっとぼけておく。


「二反田、三分遅刻だよ。わたしが」


 肩をたたかれたので、背後を振り返る。

 Tシャツとショートパンツに黒いキャップをかぶった女の子が、くすくすと笑っていた。

 僕の頰にめりこんだ人差し指は、そんなに爪が伸びていない。


「町野さん。開き直った上に、罪を重ねないで」

「デートの第一声で女の子の服をほめないなんて(※遅刻ごめん)、モテないよ二反田」

「携帯料金プランの説明みたいな、よく見ないとわからない謝罪」

「で、わたしの私服どう? ひれ伏す?」


 町野さんが腰に手を当て、ふふんと胸を張る。


「解釈一致、って感じかな。下半身の露出がそれなりにあるのに、水着を見慣れているからむしろ健全とすら思います」

「……二反田は、作画コスト低そうな服だね。☆1コモンって感じ」

「ごめんなさい。『平服に平伏』とか言うべきでした」

「ならよし。わたしも女の子だからね。それにファッションなんて変わっていくから、スポーティ時代のわたしを知ってると古参ヅラできるよ」

「誰にマウントを取ればいいかわからないけど、記憶に焼きつけておきます」


 町野さんが口を「ω」の形にして、辺りを見回す。


「やっぱ本屋さんっていいよね。朝読で読んでた小説が好きで、似たやつないかなーってたまに探しにくるよ」

「マンガじゃなくて小説なんだ。どんなの?」

「青っぽい表紙。帯に『泣ける』の文字。きみとぼくがなんやかんやで女の子が死ぬ、主人公が二反田みたいに平凡を装ってるけど周囲から見ると明らか浮いてるやつ」

「とても好きとは思えない、言い草……だね……」

「あ、流れ弾ごめん」

「大丈夫。ほんの致命傷だから」

「二反田はたしか、背徳系のラノベが好きなんだよね。年の差とか二股とかの」

「前に話した前提になってるけど、そんなこと一度も言ってないよ!」

「じゃあどんな性癖のラブコメをご愛顧?」

「まだ決めてかかってる……そうだね。好きだよ、ラブコメ。ヒロインが水泳部で、主人公が平凡を装って周囲から見ると明らかに浮いているやつとか」


 町野さんの眉がひくりと動き、じっと僕を見据えてくる。

 僕も町野さんの瞳を見返し──七秒で屈した。


「自分で言ったくせに赤くなったー! 二反田の負け。お昼にインバウン丼おごりね!」

「金額エグすぎない!?」


 なんておしゃべりをしながら電車に乗り、僕たちは約束していた恐竜展に向かった。


「ケントロサウルスと比べると、ステゴサウルスってそこまで『剣竜』感ないねー」

「うん。尻尾だけは尖ってるから、『モーニングスター竜』って感じかな」

「ヴェロキラプトルの巻き爪って、なんか自分に刺さりそう」

「伸びた牙が丸まって自分の脳に刺さるって話が有名なバビルサも、頭蓋骨まで貫くケースはそう多くないらしいよ」


 展示に夢中な町野さんを横目で見ると、口がほどよく「ω」になっている。


「やっぱ夏と言えば恐竜展だねー。二反田の雑学、めっちゃ楽しい」

「僕も小学生ぶりにきて、ちょっとテンション上がってます」

「二反田いまのところ、一緒に恐竜展行きたい人ランキングの一位だよ」

「二位以下にエントリーなさそう……あっ、相手がいないって意味じゃなくて」


 僕の失言をどう解釈したのか、町野さんがニタニタしている。


「こういうときの定番で聞くけど。わたしたち、カップルに見えると思う?」

「少なくとも僕は、一対の男女はすべてつがいに見えるよ」

「言いかたに陰キャ……明らか浮いてる人のオーラが出てるよ」

「『あ、オブラートに包むの忘れてた。てへ』って顔は、見せないでほしかったな」

「わたしちょっと、トイレ行ってくる。一分十秒で戻ってみせるね」

「座って待ってるから、記録を狙わずごゆっくり」


 揺れるポニーテールの後ろ姿を見送って、そばのベンチに腰を下ろす。

 どうやら町野さんは楽しんでくれているみたいだし、僕も楽しい。ドミノしかない部室でもあれだけ楽しいのだから、当たり前と言えば当たり前だけど。


「次にこういう機会があるとしたら、来年の夏休みかな……」


 もちろんそれまでに、町野さんに彼氏ができなければだけど。


「……それもむずかしいか。町野さんモテそうだし」


 仮に町野さんに彼氏ができたとして、男友だちとして遊びに行くのは……無理だよね。

 でも一対一じゃなくて大勢なら……怒る彼氏もいるかな。

 だったら、僕とすでに友だちの人物が町野さんの彼氏になれば──。


「そもそも、友だちがいない……」

「二反田。陰キャ呼ばわりの件、まだ引きずってるの?」

「本当に一分十秒で戻ってきたし、一回包んだオブラートを剝がさないで」

「それより、ごはん食べようよ。わたし、いいお店知ってるんだ」


 どうか外国人観光客向けのお店じゃありませんようにと、祈りながらに移動する。


「自分がこういう店で、パンケーキを食べる日がくるとは……」


 いま僕の目の前には、ホイップクリームとフルーツ盛り盛りのそれがあった。


「ここおいしいのに、セルフ方式だから安いんだよね」


 町野さんは幸せそうな顔で、もちもちとパンケーキを食べている。


「たしかにおいしいけど、まだちょっと落ち着かないかも」


 おしゃれカフェっぽい店内にいるのは、女性客とカップルばかり。みんなスマホを構えるのに夢中で僕なんて見ていないけれど、どうしても場違い感は意識してしまう。


「そういえば二反田。さっきトレイ持ったまま、わたしを捜してきょろきょろしてたね」

「町野さんがステルスゲーみたいに、僕の背後に回りこむから」

「ああいう姿を目撃されると、女子は百年の恋も冷めちゃうらしいよ」

「好きな人に好きになられると逆に冷めるっていう、蛙化現象の拡大解釈だね。声が小さくて店員さんに気づかれないのを見たときとか」

「わたしが『わかるー』ってならなかったのは、カエルを好きだから?」

「シンプルに、僕に恋してないから」

「……あ。なんか、ごめん」


 町野さんが頰を赤らめたので、計算したボケではなかったらしい。


「そういうの、気にしなくていいと思うよ。町野さんは、軸がしっかりある人だし」

「え、うれしい。もっとちょうだい」

「パンケーキを?」

「……二反田。そういうちょいSっぽいの、わたし以外にはしないほうがいいよ」


 町野さんの顔が赤い。怒らせてしまったようだ。


「ご、ごめん。ええと、町野さんは『力こそパワー』の人に見えて常識人だし、怖い話を想像して泣くし、人間関係に悩んだりもする、まあまあ普通の女の子で」

「……うん」

「でもそんな自分を自覚していて、その上でなるべく手を大きく広げて、人生の楽しみを取りこぼさないようにしようってがんばってる人、って思ってます」


 たぶん僕に声をかけてくれたのも、そういう好奇心のひとつだと思うし。


「……わたしいま、顔赤い?」


 町野さんが、ほっぺたを押さえながら聞いてきた。


「そうだね。日焼けバージョンかと思うくらい」

「日焼けかー。二反田は、そっちのほうが好み?」

「どうだろう………………あっ」


 気づけば町野さんの口が、「ω」の形になっている。


「想像してたねえ。お互い赤くなったから、おあいこ」

「赤面の種類がてきめんに違う!」


 その後は夏休みが明けたら文化祭だねとか、その前に花火大会で八木と雪出さんをどう近づけようかなど、とりとめもない話をしながら帰った。


 夜には夢を見た。

 天気雨が降る山道を、町野さんと一緒に散歩するカエルの夢だった。