#17 花火を見上げる町野さん(前編)

 夏休みも終わりが近づき、どことなく切ない気持ちになる夕暮れ。

 けれど浴衣姿の人混みや、祭り囃子のBGM、そしてイカ釣り漁船のように煌々と光る屋台のまぶしさが、僕たちに日常を忘れさせてくれた。


「やべえ、二反田。俺ドキドキしちぇきた。全身の毛穴から、心臓が飛び出しそうだ」


 コンビニの前を右往左往する、アフロ気味の髪型をしたアロハシャツの少年。

 八木は僕の友人で、今夜は共に花火を見物する予定だ。


「甘嚙みしたし、いろいろ混ざってるしで、気持ち悪さしか伝わってこないよ」

「二反田は緊張しないのか。女の子と夜のデートだぞ」

「まあちょっとはドキドキするけど、八木ほどじゃないかな」


 僕がこんなに落ち着いているのは、この集まりの「仕掛け人」だから。これからくる女子のひとりと八木の間に生じた、ぎくしゃくを取り除くことが今夜のミッションになる。

 僕の相棒、すなわちもうひとりの仕掛け人は到着が遅れていた。

 トラブルでもあったかなと心配していると、ターゲットの女子とともに現れる。


「お待たせっぷく!」


 今夜の町野さんはいつもと違い、紺色の浴衣を着て髪をアップにしていた。


「こ、こんばんハラキリ!」


 雪出さんは水色の浴衣を着て、金色の髪からいつも見せない耳を出している。


「ふたりとも落ち着いて。命で償ってもらうほど待ってないから」


 僕は冷静にツッコミつつも、女子ふたりの浴衣姿に目を奪われていた。

 普段と違う服装だけでもドキッとするのに、同い年なのにやたら大人の女性に見えてしまうというか、あらためてきれいな人だと実感したというか──。


「二反田、めっちゃ見るじゃん。フヒヒ。かわいかろー?」


 町野さんが浴衣の両袖を持ち上げ、にやにやと笑っている。


「だって町野さんが、遅れてきたのにイカゲソくわえてるから」

「違うだろ、二反田。こういうときは、『ふたりとも死ぬほどかわいい』でいいんだ」


 八木が僕を踏み台にして、自分の株を上げにいった。


「あ、ありがとデス……」


 恥じらいながら髪を耳にかける雪出さんの仕草がまた可憐で、八木はもちろん、僕も町野さんも、少なからず鼻息を荒くする。


「とりあえず、花火が見える場所まで歩こうか(二反田、フォーメーションAね)」


 町野さんの小声に反応し、僕は前列の左側に陣取った。

 かわいすぎる雪出さんを衆人環視から守りつつ、八木と近づける陣形だ。


「(まだふたりに会話はないね。二反田、ネタ振ろ)はーい、お祭り大喜利やるよー」

「(町野さん、大喜利はハードル高いよ。素人は絶対グダる)」

「(それをなんとかするのが二反田の仕事でしょ)じゃあお題。『こんなリンゴ飴は絶対に食べたくない』……どんなリンゴ飴? はい、八木ちゃん早かった」

「食べる前にライトニングケーブルで充電が必要」

「アップルだけに。昔のはタイプCじゃだめなんだよね。いいねー。はい、二反田」

「えっと……(お題も雑だし、無茶ぶりがすぎるよ。MCは妙にうまいけど)」

「(いいからほら)『こんなリンゴ飴は絶対に食べたくない』。どんなリンゴ飴?」

「……『絶対食べたほうがいいよ』って、蛇が勧めてくる……くっ」

「あー、アダムとイブの知恵の実ね。初期のチャットGPTが答えそうな感じだね」

「自分でも、そう思いました……」

「じゃあベニちゃん、判定は?」

「えっ……八木サンのほうが、わかりやすかったかもデス……」

「勝者、八木ちゃん。二反田はあとで、わたしとベニちゃんにリンゴ飴おごりね」

「(それはいいけど、これ僕がやけどしただけで終わってない?)」


 いまのところはまだ、八木と雪出さんは直接の会話をしていない。


「おっけー、二反田。じゃあ普通に雑談しよう。ベニちゃんと八木ちゃんって、同じ中学でいまは部活も同じなのに、あんまり話してないよね。なにかあったの……って聞くにはどうすればいい?(お祭りって、通りを歩くだけで楽しいよねー)」

「(町野さん、大声と小声逆!)」

「わ、わざとだから(みんなでラムネ買わない?)」

「(まだ逆!)」

「なんか町野さんが、いきなりぶっこんできたなあ」


 振り返ると、八木が苦笑いをしている。


「……スズリ、心配してくれたんだデスネ。ワタシと八木サンがお互いに好意を持っているからこそ、うまく話せなくなっちゃっているコト……」


 雪出さんが持ち前の空気読み力で、列に並んだほかの客も聞いてる前提のトークをするラーメンマニアみたいに、いい感じに状況を説明してくれた。


「わたし体育会系だからわかんないけど、ふたりは両想いなのになんで話せないの?」


 町野さんが、あえて空気の読めない人を演じる。


「ワタシは……ずるい女だからデス。自分に勇気がないだけなのに、八木サンがワタシを好きだと知っていたから、傷つかないようにただ待っているんデス……」


 意外にも、雪出さんが先に切りだした。


「俺は……業を背負ったんだ。雪出さんを好きだけど、好きになられる資格はない」


 僕はシリアスな八木の表情を見て、どうしようかと目線で指示を仰ぐ。

 すると町野さんは無言でうなずいてから、


「(こくり)」


 とだけ小声で言った。ノープランの丸投げだ。


「八木。まだ会場まで距離があるし、差し支えなければ、八木がそう思うに至った理由を聞かせてくれないか。歩きながら、いい感じの尺で」

「……わかった。あれは入学して最初のホームルームで、二反田が『やがて二軍落ちする初期メンバーの弓使いみたいな顔って言われてました』という自己紹介ですべった日から一ヶ月と少し前、俺と雪出さんが中学を卒業する直前のことだ」

「中学時代の話なら、僕の自己紹介のくだりいらないよね?」

「ほじくりたくはないが、雪出さんは英語の成績がよくなかった。この容姿なら英語ができて当然という周囲のプレッシャーから、アレルギーのようになっていたんだ」


 八木の言葉に、雪出さんがうなずく。


「英語は苦手デス……完璧にやらなきゃって思うと、後回しにしてしまって……」


 外国にルーツがあると言っても、雪出さんのお母さんは英語圏の人じゃない……なんて反論は、きっと意味がないんだろう。偏見に理屈は通用しない。


「だが雪出さんは吐くほど勉強して、英語で悪くない成績が取れるようになった。国語や数学はもともとよかったから、最終的には上位の成績でうちの学校に入れた」


 僕と町野さんは拍手したけれど、雪出さんも八木も浮かない顔だ。


「そんな雪出さんを、悪しざまに言うやつがいた。国際問題を避けるために学校が合格させたとか、ビジュがいいから面接で受かったとかな。直接的に非難するわけじゃない。『親ガチャ大成功でいいよね〜』みたいな、周囲を巻きこむ卑怯なやりかただ」

「いるねー。そういう人はどこにでも」


 町野さんの感想に、八木がうなずく。


「ああ。どこにでもいる普通のやつさ。そのくらいの愚痴、誰だって言う。だけど俺は、みんなの前でそいつに言った。『おまえが雪出さん並みに努力して不合格なら、そう吠えてもいいさ。勉強せずに適当な高校に決めた負け犬以下が、なんで下を向いてないんだ?』ってな」


 正論であるだけに、相手は感情でしか反応できなかっただろう。


「それで、どうなったの?」


 町野さんが、真剣な表情で八木に問う。


「目に涙を浮かべて罵詈雑言を吐くそいつに、『俺なにかやっちゃいました?』って顔でさらに言ってやったよ。『ネットに芸能人の悪口を書きこむやつらと同じだな。私はこの人の成功が妬ましいですと叫んでるだけってことに、早く気づいたほうがいいぞ』ってな」


 前半だけでも、十分に相手を辱めている。それでも追撃を加えたのは、相手が逆恨みで雪出さんの悪口をネットに書かないように先手を打ったのだろう。


「俺はさ、こんな陽気な髪型なのに、むちゃくちゃ陰湿で計算高いんだよ。雪出さんが聞いている前でかましたらかっこいいなって、考えながら言ってたしな」

「……実際、カッコよかったデス!」


 うつむいていた雪出さんが顔を上げ、初めて八木に言葉を向ける。


「雪出さんは天使だ。純粋無垢なアイドルは、俺みたいに狡猾で髪型が面白いだけの厄介オタクに憧れちゃだめなんだ……」


 八木は推しに認知はされたいけれど、ガチ恋はしないタイプなのだろう。雪出さんを神聖視しているからこそ、いまの距離が限界なのかもしれない。


「ワタシはそんなにいい子じゃないデス! ワタシはワタシを好きな人が好きデス! ちょっとくらい性格が悪くても!」


 雪出さんは八木とは逆に、性善説を否定している。自分だけのダークヒーローに本気で恋をしてしまったから、普段に輪をかけて臆病になっていたようだ。


「(ふたりとも、『ザ・人間』って感じだね。場所を変えて、『後編へ続く』かな)」


 町野さんが小声でメタいことを言ったけれど、ツッコむだけの尺はなかった。