#18 花火を見上げる町野さん(後編)
日が沈んだ河川敷には、花火大会の見物客がひしめいている。
僕たちはなんとか場所を確保して、レジャーシートを地面に広げた。
「好きだけど勇気がないワタシ。好きだから身を引きたい八木サン。親友スズリともうひとりのおかげで、ぎこちなかったワタシたちは会話できるようになったケド……」
雪出さんが持ち前の空気読み力で、前回までのあらすじのように話を切りだした。
僕も空気を読んで「扱いィ!」などとツッコまず、そっと涙を拭く。
「中学時代の俺は、強火オタクだった。雪出さんを傷つけたという理由にかこつけて、愚痴を言っただけの女子をみんなの前でこき下ろしたんだ」
八木も負けじと、説明口調で語る。
夏休みに入る前、「俺もそうやって、適当に茶化せばよかったんだろうな」と思わせぶりに言っていたけれど、どうやらこの件のことだったらしい。
「八木サンはひどくないデス! あの子は自業自得、いわゆる『ざまぁ』デス!」
たしかに事態を傍観していた人の一部は、八木の言動ですっきりしたかもしれない。
けれど八木は根が善人ゆえに悪に徹しきれず、わだかまりを抱えている。
雪出さんも八木をかばいたいだけで、本当は「ざまぁ」なんて思っていないだろう。
そんなふたりに、僕たちはなにをしてあげられるのか。
「二反田って八木ちゃんと同じで、失敗したときに自分を責めるでしょ」
ふいに町野さんが空気を読まず──否、空気を読んだ上で僕に話を振る。
「うん。町野さんは、自分の失敗も他人の失敗も気にしなさそうだね」
「と、思うじゃん? わたしは自分の失敗は許して、他人のそれは看過できないタイプ」
「おや、最低人間だ」
「あれがやなんだよね。『他人に期待しない』って考えかた」
「他人はミスして当然と考えて怒らないようにする、アンガーマネジメントだね」
「アスリートは、自分のミスで低下したメンタルはコントロールできるんだよ。でも他人から見て『もっとできる』感じだったら、それは改善点だから言ってほしいわけ」
「じゃあその視点だと、八木と雪出さんはどうすればいいの?」
「八木ちゃんは……相手の女の子に謝りにいくとかは絶対だめ。それで帳消しにできると思ってるのは、加害者だけだからね。失敗は、ひたすら心に刻むしかないよ」
「アスリートっぽい。じゃあ雪出さんは?」
「ベニちゃんは一種の中二病で、八木ちゃんのダークサイドにトゥンクしちゃってる。勇気を出して顔を上げて、八木ちゃんの面白さを見れば中和されるよ」
「以上。お節介に自信ネキが、ふたりに『期待』していることでした」
僕が話を締めくくると、ぽかんとしていた八木が口を開いた。
「……二反田。いまのかけあいって、台本があるのか?」
「あったらもっと仕上がってるよ。というかあとにして。町野さんの空腹が限界だから」
町野さんは行き交う人々を眺めながら、ゆっくりと唇を舐めている。
さっきまでは、「綿菓子なら、ひとくちもらってもバレなくない?」の顔だった。
いまはもう、「ワンチャン、ジャンボフランクもいける……?」の目をしている。
「わ、わかった。サンキューな。俺らはここで留守番しておく」
僕は八木と雪出さんに別れを告げ、町野さんの袖を引いて屋台通りへ向かった。
「あのふたりは、蛇と蛙なのかも」
食べ物を見て正気に戻ったのか、町野さんがぽつりと言う。
「蛇と蛙……蛙は、八木が本来の意味での蛙化現象になってるってこと?」
「ずっとベニちゃん推しで、思いが通じたら引き始めた感じだしね」
「そうかな。僕は『推しと恋愛対象は違う』ってだけの話だと思うよ。蛇のほうは?」
「蛇化現象。相手の悪いところも、丸吞みで受け入れちゃう状態」
慈愛というより、DV彼氏やモラハラ夫に対して、「彼にもいいところはある」とかばってしまう性質らしい。雪出さんはその傾向が、ほんのり出ている気がする。
「平気だよ。雪出さんには、町野さんがついてるから」
逆に町野さんがいなければ、ふたりとも闇堕ちしていた世界線もあったかもしれない。
「二反田がそう言ってくれると、少し……安心するね」
町野さんが力なく微笑む。友だちのためを思って助言したところで、それがいい結果になるという保証はない。不安はずっとあるはずだ。
「自信を持っていいよ。『他人に期待しない』ってマインドを否定する、いい意味で暑苦しい町野さんのアスリート精神は、僕も含めて多くの人を救ってるから」
「ありがと。でもいまのは肩パン案件」
「町野さん、おなか空いてるでしょ。パスタ揚げただけのやつ買ってこようか?」
「(ぎろり)」
あんなものでおなかが膨れるかと言いたげな、冷たい小声と視線が突き刺さる。
「……すみませんでした。焼きそば買ってきます」
「うん。半分こしよ。二反田は蓋側ね」
「青のりしか舐められない!」
「あ、じゃがバターあるよ! 二反田食べて。わたしバター塗りたい」
「たしかにバター塗るときがテンションのピークで、食べきれず持て余しがちだけど」
やっと町野さんの口が「ω」になったので、ふたりで夜店に並んだ。
町野さんは躊躇せずに焼きトウモロコシを頰張り、もしゃもしゃと綿菓子を食べ、ぴかぴか光る腕輪を買って、終始ご機嫌だった。
「町野さん。そろそろ戻らないと、花火始まっちゃうよ──」
僕が言い終わらないうちに、ドーンと大きな音がした。
見上げた夏の夜空に、きらきらと光の粒が弾けている。
「間にあわなかったー。二反田、もうここで見よ」
コンクリートの堤防に空いているスペースを見つけ、ふたりで並んで座る。
「きれいだね」
横目に見た町野さんの瞳が、花火の明滅を映していた。
希望に満ちた子どもみたいだと思いつつ、僕も「うん」と夜空を見上げる。
しばらくお互いに黙ったまま、夜を彩るアートを眺めた。
「なんでかなー。花火を見てると、泣きそうになっちゃわない?」
「僕たちはいま、将来のノスタルジーを目に焼きつけているんじゃないかな。それを直感的に察知して、情緒が先走っちゃうのかも」
「じゃあいつかの未来で花火を見たら、今夜を思いだして感傷的になるんだ」
そうだねとも、来年も一緒に見ようとも、僕は言えなかった。
花火がさらさらと静かに終わり、「じゃあ戻ろうか」と立ち上がる。
「いった……」
一緒に立とうとしていた町野さんが、そのまますとんと尻餅をついた。
「もしかして、靴ずれ?」
「だね。下駄とかビーサンとか履くと、ちょいちょいなるやつ」
「僕、絆創膏持ってるよ」
ボディバッグから箱を出すと、「おー」と町野さんが目を輝かせた。
「すごいね、二反田。イケメン……というよりお母さん」
「浴衣デートのサイトで予習してきたから」
「言わなくていいことを言った罪。お母さんみたいに貼って」
僕はドキドキしながらひざまずき、意外と冷たい足に触れる。
「こうやって貼って、貼って……見て。お母さん、一週間でシール三十点集めた」
「二反田のお母さん、パン祭りの猛者なの? かわいいね」
ふたりでしばし笑った後、「ありがとね」と町野さんが立ち上がった。
「暑いし、人多いし、花火はあっという間に終わったけど、きてよかったなー」
「そうだね。僕はこの花火を、遠い未来までずっと忘れないと思う」
「二反田が日記を書いたら、『花火』に意味ありげなルビ振りそう」
わかると思ったタイミングで、背後から声がかかった。
「おまえら、こんなところにいたのか」
振り返ると、八木と雪出さんがほどよく距離を空けて立っている。
「ごめんごめん、ふたりとも。おなか空いたよね? 焼きそば買ってあるよ」
町野さんがビニール袋をあさり、僕たちは再び堤防に座った。
しばらく四人で談笑していると、八木があらたまった口調で言う。
「二反田、町野さん。ふたりとも、今日はありがとな。とりあえず雪出さんとは、これからは普通に、というか昔みたいに話せると思う」
「それって、つきあうってこと?」
町野さんが身を乗りだすと、雪出さんが首を横に振る。
「スズリと二反田サンを見ていて、ワタシたちはうらやましいと思いマシタ」
「おまえらなんつーか、スゲェ楽しそうでさ。好きとかきらいとかじゃなくて、ああいうのいいなって、俺も雪出さんも思っちまった」
八木に言われて、僕と町野さんは顔を見あわせた。
少しうれしく、けっこう恥ずかしく、ゆえにか町野さんは空を見上げてごまかす。
「もう二学期が、始まっちゃうね」
その少し潤んだ瞳に、うっすらと花火の残像が見えた気がした。