#19 なんか変だったな、町野さん

 充実した夏休みが終わり、けだるい登校をする九月。

 久しぶりに会うクラスメイトは、彼女ができたり、原付の免許を取ったり、美容院で変身したはずの髪型を再現できていなかったりと、ささやかな変化が見受けられた。


「八木もちょっと、髪が茶色っぽくなってたし。みんな節目節目で成長してるなあ」


 僕は放課後の部室でドミノを並べつつ、クラスで見た光景を思い返す。

 人は年を取るほど保守的になり、変化を避けるようになるらしい。傷つくことが怖くなった結果、チャレンジからも遠ざかる。当然、成長の機会も失ってしまう。


「髪色を変えるのが成長かと問われれば……まあ、僕にはできないチャレンジだし」


 二学期からは僕もなにかに挑戦しようと考えていると、ノックの音がした。


「えっ……どうぞ」


 校舎の隅の空き教室、すなわちドミノ部に顔を出すのは、同じクラスの町野さんか八木くらいだ。ふたりともノックなんて一度もしたことがない。


「うぃーす」


 引き戸をがらりと開けたのは、金髪を頭頂部で束ねて黒いマスクをした女子生徒。

 その小さな黒目は不機嫌そうに、ぎょろぎょろと部室を見回している。


「えっと……安楽寝さん。どうしたの?」


 安楽寝さんも僕のクラスメイトだ。見た目は激安の殿堂にスウェット上下でうろついていそうなヤンキーだけれど、取り立てて悪い噂は聞いていない。


「ドミノ部って、二反田しかいねーの?」

「あ、うん。安楽寝さん、ドミノに興味あるの?」

「あるわけねー。でも……入部は考えてる」

「だよね、ごめん………………は?」


 さすがに驚いて、二の句が継げない。


「二反田は、ダチいないだろ。あの安いヘッドホンのスポンジみたいな頭のやつしか」

「八木だね。あの頭を素材でたとえた人は初めて見たよ」

「だから、その、ダチ……欲しくないか」


 安楽寝さんはそっぽを向き、三箇所にピアスがついた左耳を見せた。


「えっと……八木以外だと、町野さんにも仲よくしてもらってるけど」

「あ? ハッタリこいてんじゃねーよ。町野としゃべってるのなんて、見たことねーぞ」


 教室では話さないけれど、ということを説明したものかどうか。


「そういえば、安楽寝さんはいつもひとりだね。友だちが欲しいの?」

「ぼぼぼ、ぼっちじゃねーし! 友だちいるし! アホメガネとかわりと仲いい……いや仲よくねーし! 『ひと目ぼれ』とか言われて、つきまとわれて困ってるし!」


 その「アホメガネ」は、みんながリョーマと呼ぶ坂本くんのことだろう。坂本くんはいかにもインテリっぽい見た目ながら、学年最下位の成績を誇っている。


「坂本くんが言ってたっけ。安楽寝さんはヤンキーなのに成績クラストップだって」


 ゆえに勉強を教わりたい、というのを口実にして、坂本くんはいつも安楽寝さんを追い回しているという。


「誰がヤンキーだ! あーしはファッションヤンキーだ! ……あっ」


 この、いっぱいいっぱいの感じ。

 空間にはガンを飛ばすのに、僕とはあわない目線。

 ストーカー気味な坂本くんを、友人にカウントしてしまう切なさ──。


「ごめん、安楽寝さん。よく聞こえなかったよ」


 安楽寝さんに自分と同じ「コミュ力を持たざる者」の気配を感じた僕は、プライドを傷つけないように配慮しておいた。


「昔のラノベ主人公みたいにすっとぼけてくれた……二反田、いいやつかも……」

「チョロい心の声出てる! 聞こえないふりしたんだから、ちゃんとイキって!」

「お、おう。さっきの話が本当なら、二反田はどうやって町野と仲よくなったんだ?」


 四月の自己紹介ですべって……という、おなじみのくだりから説明する。


「──それで部活が始まる前に、ちょっと話すようになったんだ。町野さんは誰とでも友だちになれるタイプだから、安楽寝さんとも無料で仲よくしてくれるよ」


 友だち料はかからないと伝えたのに、安楽寝さんは浮かない顔だ。


「……二反田は同族っぽいから、もう気づいてるだろ? あーしは中坊のときは真面目キャラで、勉強はできたけどダチがいなかった。それで高校デビューに懸けたんだ」

「なんでヤンキーキャラをチョイスしちゃったの……」

「大事なのは、デビュー一発目のつかみ。あーしは二反田が自己紹介ですべったとき、間髪をいれず『寒っ』ってかました……誰も笑わなかった」

「……安楽寝さんだったんだ。というか、予想外二次被害」


 僕のせいではないけれど、ちょっと申し訳ない気がしてしまう。


「そんかわり、あーしのキャラはクラスに浸透した。ヤンキーに憧れてたから、それはうれしい。ただ見た目と口調と名前で怖がられて、ぜんぜんダチ公ができねぇ……」

「選択肢、ぜんぶ間違えてるからね」

「部活も入ったけどだめだった。もうこんな場末の文化部しか残ってないんだ……」

「だったらそれこそ、町野さんと友だちになればいいよ。見た目がヤンキーで中身がチョロいなんて、町野さん絶対に大好物だよ」

「町野は……あーしみたいなヤンキーとはあわねーよ。あいつは運動部だし、メイド事変とか起こすし。クラスでも中心にいる、真っ当な青春を送ってるやつだろ?」

「そのルサンチマン的な考えかた、わかりすぎてつらい……」

「あーしは二反田くらいの陰キャで十分なんだ。机に突っ伏して寝たフリはしないけど、自分の机に座ってるギャルには注意できない。そういうやつとサイゼに行って、実のない話を永遠として。その日は一応なんかあったっていう、青春というのもおこがましい、ソシャゲのデイリーを一日飛ばした程度の空白が欲しいんだよ。でもそれすらも努力しないと手に入らないって、やっとわかった。あーしはこのまま卒業したら、ふっと高校時代を思い出して、『あいついま頃どうしてるかな』って、誰かの顔を思い浮かべることもできねー」


 その話の内容も、成績優秀であってもヤンキーは「延々と」なんて言わないという言葉使いの徹底ぶりも、僕に涙を誘わせた。


「やっぱり安楽寝さんに必要なのは、町野さんだよ。面白さがすべての人だし」

「なおのこと無理じゃねーか。二反田が町野と仲よくなったきっかけの話だと、『寒っ』って言ったあーしを、町野は『おもんないやつ』って切り捨てたってことだろ」

「大丈夫。安楽寝さんは、ちょっとどうかと思うくらい面白いよ」


 僕がぐっと親指を立てると、安楽寝さんの頰が見る間に赤くなる。


「そんなこと、初めて言われた……二反田、いいやつかも……」

「また心の声出てる! 一部界隈で、『チョロくねさん』って呼ばれちゃうよ!」

「くっ……じゃあ具体的にどうすれば、町野と、なっ、仲よくなれる?」


 あわよくば雪出とも……と、黒マスク越しに小声が聞こえてくる。


「そうだね……たぶんもうすぐ町野さんがここへきて、『わたしが遅れると、二反田はすぐに女の子を連れこむね』、的ないじりかたをしてくるから」

「お、おう」

「安楽寝さんは『ちげーし!』的な感じで返して、あとはなりゆきで会話になるよ。でも雪出さんと友だちになるのは……内気な人だし難しいかも。微妙に金髪もかぶってるし」

「そ、そうだよな。わかった。なんか二反田、あーしが思ってたやつと違うな」

「僕をどんな人間だと思ってたの」

「ファミレスで配膳してるロボット」

「よくそんなやつと友だちになろうとしたね!」


 なんて勢いよくツッコんだところで、部室の引き戸が開いた。

 現れたのは、スポーツバッグを斜めがけにしたポニーテールの女子生徒。

 夏休みの間はずっと水着だったから、町野さんの制服姿が新鮮に感じる。


「イオちゃん、リョーマから二反田に乗り換えた?」


 半目で僕と安楽寝さんを交互に見て、町野さんが言う。


「ちげーし! 乗り換えてねーし! ……あれ?」


 コミュ力がポンコツな安楽寝さんは、アドリブなんてできないのだった。


「そっか。さっきそこにリョーマいたから、呼んできてあげるね」


 町野さんがにっこり笑い、部室を出ていく。


「ていうか町野が、『イオ』って名前を知ってた……うれしい……」

「チョロ……安楽寝さん、坂本くんにつきまとわれて困ってるんじゃないの?」

「そ、そうだ。今日は帰るわ。二反田、ありがとな。今度イオンでおごってやる!」


 安楽寝さんが足早に出ていくと、入れ替わりに町野さんが顔を見せた。


「二反田とイオちゃんの話さー、実はこっそり聞いてたんだよね」

「そんな気がしてたよ。じゃあ坂本くんもいないの?」

「……もう部活の時間だから、また今度ね」


 町野さんは「ω」の口ではなく、クラスで見せるような普通の笑顔で去っていった。


「今日の町野さん、なんか変だったな……」


 その理由が判明するのは、二日後の「夜」のことだった。