#21 友だちのライン越えちゃった町野さん

 夜には秋の虫が鳴くけれど、昼間はまだまだ暑い九月。

 僕は部室の床にドミノを並べながら、ふと気づいた。


「そういえば、月見バーガーの季節だ」


 なんだかんだで、この時期になるといつも食べている。だいたいは親が買ってきたのをもらうのだけれど、中学時代は一度だけ友人におごってもらった。


「誰かを誘ってみようかな」


 候補としては八木と、最近はクラスで一緒にいることが多い坂本くん。

 誘ったら喜んでくれそうなのは安楽寝さんで、誘わないと荒ぶりそうなのが──。

 計ったようなタイミングで、部室の引き戸が開いた。


「いわゆる『横浜』じゃない横浜市住みの人が、『出身は横浜です……』って言うときの謎の罪悪感、友だちが紹介してくれたバイトを初日で飛ぶのと同じくらいだって」


 現れたのは、珍しくリュックを背負ったポニーテールの女子生徒。

 今日も笑顔がまぶしいけれど、その目の奥にいたずら心が見え隠れしている。


「いらっしゃい、町野さん。バイトを飛んだことはないけど、気持ちはわかるよ」


 僕たちの学校や居住地が、まさにその「横浜市の果て」だから。

 県外の人に横浜出身ですと伝えると、おしゃれタウンの住人を見る目を向けられて困る。


「つまり、二反田にも罪悪感はあると」

「……町野さん。遠回しな言いかただけど、やっぱり気づいてたんだね」

「え、なんのこと?」


 きょとんとした町野さんを見て、僕は墓穴を掘ったことに気づく。


「な、なんでもないよ。それより町野さん。部活が終わったら僕と──」

「それでは二反田の罪の告白まで、さんさん、にいにい、いちいち──」

「陽キャの人が、ポップに圧をかけるときのやつ……!」


 これをやられると、陰キャは死ぬ。


「キュー!」

「……あれは、先週の土曜日のことでした」

「土曜? わたし、なにしてたかな。お父さんと狩りゲー?」

「僕は町野さんが出場した、高等学校水泳新人競技会を観覧しました」

「ヴォァァァァッ!?」


 町野さんが顔を赤くして、古竜みたいな咆吼を放つ。


「僕が想像していた以上に、アスリートの世界でした」


 水泳場には広大なプールが二面あり、レーンの数は十以上あった。飛びこみ台にはその倍の審判が並んでいて、大きなビジョンに選手の名前と所属校が表示されていた。

 そんな大舞台で、町野さんは堂々と胸を張っていた。夏休みとは違うスパッツタイプの競泳水着で、ゴーグルをしていても真剣な目つきがわかった。

 二百メートルの自由形。最初は横並びだった。

 けれど二回目のターンで、トップと体ひとつ分の差がついた。

 僕は拳を握って応援したけれど、町野さんは三位でレースを終えた。


「あのふがいない成績を、見られちゃったかー」


 町野さんは眉どころか、目まで八の字になっている。


「ふがいなくなんてないよ。立派で、誇らしかったです」

「ありがと。でもなんで、急に見にきてくれたの」

「この前の寝落ち通話で、『たまにはわたしにも興味持て』って言われたから」

「わたし、そんな恥ずかしいこと言った……?」


 今度は顔を赤くして、目を渦巻きにして回す町野さん。


「そう言うと思ったから、お忍びにしたんだ。集中力を乱したくなかったし」

「わたしはむしろ、応援されたら実力以上にがんばれるタイプだよ」

「終わってからその可能性に気づいたから、罪悪感が芽生えたんだ」


 悔しそうな町野さんを見て、僕も悔しかった。応援していると伝えなかったことで、町野さんの努力を無駄にしたような気分だった。


「じゃ、次はちゃんと教えてね。負けたら二反田のせいにできるし」

「にわか乙。町野さんは勝ったときだけ、『応援のおかげ』って言うんだよ」


 町野さんは負けたことを気にしていないどころか、試合のあった日も忘れていた。

 得意分野でのメンタルコントロールは、しっかりとできている。


「本人に古参マウントとか……」


 町野さんがまた赤くなり、口を「3」の形にした。


「なんで不満顔なの」

「だって今日は、二反田の誕生日でしょ」


 町野さんがリュックの中から、ラッピングされた袋を取りだした。


「……誰にも言ったことないのに、どうして僕の誕生日を知ってるの」

「誕生日マニアの先生に聞いた」

「たしかにそんな先生いるけど。でも簡単に、個人情報を話しちゃうもの?」

「テンポよく雑談しながら聞いたら、鼻からうどん出すみたいにとぅるんって」

「先生が勢いで答えちゃって、『しまった』って思ってる感がよく伝わるよ……」

「とりあえず、ハピバ。開けていいよ」


 袋のリボンをほどくと、中からぬいぐるみが出てくる。


「ステゴサウルス……! 町野さん、恐竜展まで行って買ってきたの?」

「行ってないよ。ネットで普通に売ってるの見つけて、ぽちっとしただけ」

「でも高いものだよ」

「それが五十パーオフでさー。だから最初に罪悪感の話をしたんだよ。二反田がわたしに用意してくれたドミノ動画と違って、お手軽でしのびないなーって」

「ドミノはありものを使っただけだし、町野さんの誕生日はとっくにすぎてた。罪悪感を覚えるとしたら、どう考えても僕だよ」

「二反田が誰にも誕生日を教えないのって、負担をかけたくないからでしょ。祝わなきゃーとか、忘れちゃったーって、人に思わせるのが申し訳ないから」

「そこまで気づかいしないよ」

「にわか乙。二反田はレジに店員さんがいなくても、呼ばずに待つド陰キャだから」

「……鋭いね。僕への理解力も、ワードも」

「そういうの、今日はなしね。ほら、動画撮ろ。お誕生日ボーイっぽいの」


 町野さんが、僕にスマホを向けてくる。


「えっと……い、イェーイ。町野さん、誕生日プレゼントありがとうございました。両親以外からもらったの、生まれて初めてです」

「見返したとき泣いちゃうからやめて。もっとお気楽に」

「じゃあ……町野さん。今日の部活が終わったら、一緒に月見バーガーを食べてください」

「ぜんぜんいいけど、なんで月見バーガー?」

「中学時代に友人とマックに行った際、今日が誕生日だって言ったら月見バーガーをおごってもらえて。それが僕にとって、一番いい誕生日の思い出だから」


 町野さんが、鼻をすすってまぶたを押さえた。


「今日はわたしだけだけど、来年はみんなでお誕生会しようね……!」


 かくして僕は、町野さんとマックにやってきた。


「泳いでるわたしって、二反田から見るとどんな感じ?」


 町野さんは両手でバーガーを持って食べている。小指だけ浮いているのが面白い。


「野生の動物っていうか、生きるために泳いでるって感じでした」

「そこまで必死じゃないよ。スポ薦ももらわなかったし」

「水泳は高校まで?」

「たぶん。でもだからこそ、部活の間はベストを尽くしたいかな」

「その答えかた、すごく町野さんっぽい。地に足が着いたリアリストでありながら、その範囲で誰よりも努力するアスリート」


 最初の頃は陽キャバイアスで、自分とは別世界の人だと思っていた。

 でもいまは町野さんを、同じ世界で遮二無二がんばっている普通の人だと感じる。


「ねえ、二反田。わたしたち、友だちのライン越えちゃった気がするね」

「えっ」

「わたしと二反田が、仮につきあっていたとして」

「えっ」

「ケンカしても、『おまえに俺のなにがわかるんだよ!』って言えないかも」


 そのくらい、お互いの理解が深まっていると言いたいのだろうけれど──。


「なんで僕が彼女側なの!」

「二反田のほうが、彼女っぽいから?」

「情報量が一個も増えてない!」


 町野さんが機嫌よさそうに、口を「ω」の形にした。


「来年も月見バーガー一緒に食べようぜ、ニタ子」


 たしかに町野さんのほうが、彼氏っぽい気がしないでもない。