続・ツッコミ待ちの町野さん

#42 フェードアウトする町野さん

 一週間後には中間テスト、という五月の終わり。

 この期間はどこの部活も休みだけれど、僕はいつも通り部室でドミノを並べている。

 なぜそんな余裕があるかと言えば、日頃からこつこつ勉強しているから。


「いやまあ、単に通学時間が長いだけだけど」


 電車の中で勉強している人を見ると、なんとなく罪悪感と焦燥感を覚える。それで「自分も勉強してます」と装うべく、参考書を眺めることが多かった。


「でもそのおかげで、一年のときの成績は悪くなかったし」


 具体的にはクラスで五番目だけれど、僕の地頭なら大健闘だと思う。

 なんて自画自賛をしていると、部室の引き戸が開いた。


「芸能人のニュースのコメント欄に現れて『誰?』って無知マウントする人に、因習村で祠を守る老人みたいなリプをする人。『なんでここへきたんじゃ』」


 現れたのは、ブラウスの長袖をまくったポニーテールの女子生徒。

 鉈を構えるおじいさんみたいな表情がツボで、僕は鼻から噴きだす。


「っふ……い、いらっしゃい、町野さん。部活でやるギャグのおためし?」

「これは二反田用。体育会系の一発芸は、『赤ちゃんでも笑う』がコンセプトだからね」


 町野さんが、シャンプー後の猫の顔まねをする。


「なるほど。表情、動き、リズムだよね。普通の高校生はマックで『スマイルください』って言ってゲラゲラ笑うレベルだから、運動部の人のお笑いセンスは尊敬します」

「二反田、本当にウェイウェイしてる人きらいだね……」

「そういえば、もうすぐテストだね」


 ごまかしに話題を変えると、町野さんが額に青筋を浮かべた。


「二年になってから、勉強にまったくついていけないんだけ怒?」

「感情が変換ににじんでる……わかるよ。全体的に難易度が上がってるよね」

「頼みの綱のイオちゃんは、リョーマにつきっきりだし」


 安楽寝さんはああ見えて、クラスどころか学年一位の成績を誇っている。


「まあ誰かが面倒を見ないと、坂本くん留年しちゃうし」

「ベニちゃんはなんか忙しそう」

「八木との関係改善策で、いろいろ準備してるんだろうね」


 なにか大がかりなことを考えていそうで、ちょっと楽しみではある。


「というわけで、ゆる募。わたしに勉強を教えてくれる人」

「僕も教えられるほど成績よくないよ」

「でも二反田、わたしより賢しい」

「不服なんだね、自分の現在地」

「ていうかさー、二反田どうやって勉強してる?」

「僕は電車で半強制的に予習復習して、理解度を上げてる感じかな」

「わかんないとこはどうするの? 先生と一対一で話せるコミュ力がなくて、一緒に勉強会をする友だちもいない人は」

「あてこすりがひどい……まあ昔だったら詰んでるね。でもいまは、AIがあるから」

「う……」


 町野さんは喜怒哀楽にあふれる人だからか、ロボやAIを苦手としている。


「最近は情報の粒度も高くて、勉強にはすごく役立つよ。町野さんのきらいなAI」

「うう……」


 両目が横長の「×」になったので、チクチク返しはこのくらいにしよう。


「というか町野さん。成績そんなに悪くないでしょ」

「『運動部にしては』って、目が言ってる」

「僕みたいな被害妄想」

「そりゃあわたしの成績は、クラスで二十番目だよ……でも泳ぐのちょっと速いし。ダンスもできるし。あと猫飼ってるし」

「球技大会前の文化部みたいないじけかた」

「わたしだって、がんばってるんだよ! テスト前の夜とか」

「一夜漬けってこと?」

「部屋が散らかってても、絶対に片づけたりしないし」

「『テスト前あるある』の逆張り」

「夜食のカレーも妥協しないで、ちゃんとスパイスから炒めるし」

「現実逃避で達成感を得ちゃうまずいパターン」

「一教科終わってちょっと仮眠とか、甘えたこともしない。最後までぐっすりいく」

「二教科捨てて完眠」


 ネタだとしても、ちょっと心配になってきた。


「というわけで、二反田。いまから一緒に図書室で勉強しよ」

「かまわないけど、部室でもいいんじゃない?」

「あ、いたいた。せんぱーい、隣いいッス?」

「コントしたかったんだね……あとまだ後輩こするんだね……」

「先輩って、頭いいッス?」

「悪いよ」

「じゃあ勉強できるッスね。頭いい人は、みんなそう言うッス」

「全肯定後輩……」


 まるでお風呂に入ったみたいに、しみじみと心があたたまる。


「先輩。テストなんですけど、ここ教えて欲しいッス」

「どれどれ」

「あなたは森を歩いています。一緒に歩いているのは誰ですか?」

「たしかにテストだね。心理の」

「回答は?」

「後輩ちゃん」

「……いまわたし、複雑な思いッス」


 町野さんが頬を赤らめ、目をジトらせ、口を「3」にして僕を見た。


「えっと、結果は教えてもらえない感じ?」

「ここから先は有料ッス。あとわたしの答えも先輩ッス」

「インフルエンサーのnoteみたいなやり口」

「あれ? どっかいっちゃった。先輩、見てないッス?」

「消しゴムでも落とした?」

「点P」

「よく動くからね。あ、いた。そこ」


 町野さんの口を指さす。


「口に『P』……って、よだれ垂らしてるってことッスか!」

「ノリツッコミ前に、ちょっとタメを作る後輩……」


 こんな後輩が本当にいたなら、僕はがんばってボケに転向する。


「先輩。『フェニックスドライブ』、できるようになったッス」


 町野さんが右手でペンを回し、跳ね上げ、それを左手で受け、なお回した。


「なんかすごいの見た」

「わたし、ペン回し全一ッスから」

「勉強の邪魔をしてきて、謎特技を披露して、盛りグセのある後輩……」


 体中の全細胞が、「いい!」とスタンディングオベーションしている。


「せんぱーい。勉強飽きたッスー」

「そうだね。そろそろ帰ろうか」

「そッスね。理想的な後輩のいない日常へ」

「帰りたくない!」


 いい具合に落ちたところで、町野さんがふふんと笑う。


「二反田、満足した? ベニちゃんの恋愛相談のお礼だよ」

「楽しかったけど、僕は後輩女子が好きなわけじゃないよ」

「またまたー。ショートカットで運動部所属の女の子ツボでしょ。陸上部か水泳部の」

「……正直に言うとツボだけど、僕が好きなのは町野さんだから」

「え」


 町野さんの顔が固まった瞬間、僕は自分の言葉足らずに気づいた。


「ごっ、ごめん! 町野さんの演じる後輩キャラね! 変な空気にしてごめん!」

「う、うん。じゃあわたし、部活行くね……」

「まだ変な空気! 前みたいに、『コクられたかと思った』って笑って!」

「あははー。コクられたかと思っちゃった。じゃあね」


 町野さんは笑顔で部室を去っていったけれど、セリフが棒読みだったのが気になる。


「今日のコントは、どこまでがネタだったんだろう……」


 きわどいネタはいままでもあったけれど、余韻はいつもからっとしていた。

 こんな風に微妙な空気のままフェードアウトしたのは、初めてかもしれない。


「そういえば、あの心理テストの意味は」


 ぽちーとスマホで調べると、うすうす予想していた通りだった。


「『森を一緒に歩いている人は、人生において一番大切な人を表します』……」


 この手の心理テストは、当たる当たらないは問題じゃない。

 一緒にテストを受けた人と話すことで、価値観の乖離や共有を確認できる。

 町野さんは僕の答えを聞いて、「複雑な思いッス」と言った。

 そして自身が森を一緒に歩いた人は、「先輩ッス」と言っている。


「えっと、これはつまり、僕たちは、お互いのことを――ハッ!」


 頭がぼーっとしてきたところで、人の気配を感じた。

 スマホから顔を上げると、引き戸のところで町野さんがニヤニヤしている。


「ちな、わたしの答えは『後輩キャラ』としてね」

「ここまでコントだった!!」


 叫びに近い僕のツッコミに、町野さんが口を「ω」の形にする。


「ごめんごめん。もてあそぶつもりはなかったよ。でも『部活行くね』のところで、『テスト休み!』ってツッコまれなかったから、こう落とすしかなくてさー」

「僕の手抜かりだけど、町野さんはおもしろのために体張りすぎだよ……」

「しょうがないよね。体育会系だもん」

「じゃあ男女関係赤ちゃんでも、わかるネタにしてください」

「勉強赤ちゃんでも、わかるように教えてくれるなら」


 こうして僕たちは机を寄せあい、バブバブ言いながらテスト勉強をした。

刊行シリーズ

続・ツッコミ待ちの町野さんの書影
ツッコミ待ちの町野さんの書影