続・ツッコミ待ちの町野さん
#53 体だけが取り柄の町野さん(熱海旅行編2)
僕がパラソルの下に腰を下ろすと、町野さんが「よっと」隣に座ってきた。
「わたしが荷物番するから、二反田もお昼食べてきなよ」
「……砂スイカで満腹なんだ。町野さんこそ食べてきて。まだみんなに追いつけるよ」
「ドミノ。二反田の本心は、『町野さんをひとりにできない』でしょ」
お見通し顔の町野さんは、太陽のせいでいつもよりもまぶしい。
「『ダウト』みたいに……町野さんは本当に、人のことをよく見てるね」
「八木ちゃんに聞いただけだよ」
「あのイカぼっくり……!」
「でもたしかに、『見て』はいるかも」
「なにを?」
「二反田が、いまわたしを見ないようにしてるなーとか」
きっとニヤニヤしているんだろうなと、僕はますます下を向く。
「……意識しないように意識してるのがバレるの、本当に恥ずかしいからやめて」
「わたしは見てほしいんだけどなー」
「……動物プランクトンで一番種類が多いの、コペポーダだって」
町野さんの反応は、「コペポーダってなに?」だと予想したけれど――。
「体だけが取り柄なんだから、ちょっとくらいほめてって言ってるの!」
顔を上げると、町野さんがアメリカザリガニみたいに赤く威嚇してきた。
「えっと……町野さんも恥ずかしそうですが」
「ね。競泳水着と違って、守られてる感ゼロ。でも見られなかったら意味ないし」
「意味……? よくわからないけど、じゃあ……」
そういうわけで、見た。
「二反田、感想は? コペポーダ?」
「きれいです。ドキドキします。コペポーダはちっちゃい甲殻類」
語彙力はすぐに死んでしまったので、たいしたレポートはできない。
町野さんが言った「体だけが取り柄」は、もちろん筋肉的な意味だろう。
ただ僕も年頃なので、元気すぎる部分に目がいったことは告白しておきます。
「満足。じゃ、ラブコメパートは終わりね」
「ラブコメだったんだ……次はなにパートなの」
「喜んで。久しぶりのお説教パートだよ」
うっとなってしまったけれど、今回は心当たりがあった。
「ごめん。町野さんが気を使われたくないのは知ってるけど、でも――」
女子チームがひとりにならないよう男チームで監視していたことを、町野さんは怒っているのだと思う。とはいえ、こればかりは譲れない。
「二反田の気づかいには、みんな心の底から感謝してるよ。でもわたしたちにも情報共有してくれたら、もっと協力して動けるでしょ。こんな風にひとりにならずに」
「ひとり……? まさか僕のこと?」
「ほかに誰がいるの!」
町野さんが、両手で僕のほっぺを引っ張った。
「いてて……でもこの状況って、『狼とヤギとキャベツ』みたいなものなんだ。川を渡る船は農夫しか漕げない。船には農夫ともう一種しか乗せられない。狼を乗せて川を渡ると、残されたヤギがキャベツを食べる。キャベツを載せて川を渡ると、狼がヤギを食べる。ヤギを乗せて川を渡り、ヤギを下ろしてまた戻り、狼を乗せて川を渡り、こんどは狼を下ろしてヤギを乗せてから戻り、ヤギを下ろしてキャベツを載せて……って、農夫は誰も傷つけないように苦労させられるけど、これは農夫自身が望んでいるんだ。みんなが平和でいる状態が、農夫の幸せなんだよ。僕も同じで、みんなが楽しいことが自分の幸せなんだ」
「二百七十字超……これだから文化部男子は」
町野さんがやれやれっているので、僕も少しむっとなる。
「素人質問で恐縮ですが、この問題に文化部とか運動部とか関係ないのでは?」
「二反田の言いたいこと、運動部なら『ワン・フォー・オール』って言うよ」
「八文字……」
「そのあと『オール・フォー・ワン』って続けて、自己犠牲はいらないって戒めてる。あといまの二反田、どっちかっていうと置かれたキャベツ」
「『置かれたキャベツ』って、『腐ったミカン』みたいな響きだね……」
「そういうとこだよ。ヤギに『自分を好きになっていい』って言われちゃうの」
「あのヤギ全部言う……」
友情をたしかめたと思ったのに、完全にスパイだった。
「それに二反田がキャベツってことは、迎えにきてくれる農夫がいるでしょ」
「……そうか。それで町野さんは――」
「いま野菜の話をしていただろう? ぼくにも聞かせてくれ」
坂本くんが、サングラスを輝かせながら戻ってくる。
「すごいタイミングで、農夫っぽい人きちゃった」
僕たちは顔を見あわせ、声を出して笑った。
「なんかめっちゃウケてんなー。町野、アホはほっといて腹ごしらえしてきなー」
食事から戻った安楽寝さんが、くいっと親指で海の家をさす。
「オッケー。じゃあイオちゃん、リョーマのお守りがんばって」
「ああ。まかセロリ」
「おまえは任されるほうだ!」
愉快な一方通行ケンカップルを残し、僕たちは昼食へ。
「町野さん。海の家のカレーはおいしいって言うけど、本当だね」
「先生としゃべるときにアメ舐めるな? これアメじゃないですー」
「『グミの言い逃れ』じゃなくて、『海の家のカレー』ね」
「ラーメンもおいしいよ。暑さで弱った体に、スパイスの辛さがじんわり染みて」
「あげるから、お箸で僕のカレー食べないで」
「ん」
町野さんが、すっとラーメンを差しだしてくる。
「僕もスプーンでラーメンを食べて、食べにくさを味わえと?」
「すれ違って、傷つけあって、それでも最後は分かちあう。まるで不器用な恋みたい」
「お箸とスプーンもらってくるね」
戻ってきてからは、ビーチボールバレー。
「お母さん、そっちいったモー。娘ちゃんのトスを、アタックするモー」
町野さんの謎発言に、みんながきょとんとする。
「いや『牛の家のバレー』!『海の家のカレー』のくだり僕しか知らないよ!」
どんな隙間にも、束の間にも、町野さんは笑いをねじこんでくる。
町野さん以外がへろへろになったので、スーパーへ買い物に。
「夕食は自炊になるんだけど、みんななにか食べたいものある?」
「遊んでカロリー使ったし、ガツンと重いやつ食べたいなー。ボナーラとか」
「カルボナーラの『カル』って、重さの意味じゃないよ」
でもいいかもとみんなの賛同を得たので、タクシーに乗って今夜の宿へ。
「素敵……本当にこんなところに泊まっていいんデスカ?」
貸別荘のオーシャンビューを見て、雪出さんが青い瞳をうるませる。
部屋数も多いし、設備もサイトで見た通りにきれい。
小さいながらプールもついているのだから、信じられないのも無理はない。
「まだ夏休みの初日。駅から遠い山の上。六人から予約可能。それプラス町野さんがクーポンやらなんやら探してくれて、びっくり値段で借りられました」
みんながぱちぱちと拍手して、町野さんがたいそうドヤっている。
「わたしにかかれば、三つ星レストランも一つ星になるから」
「クオリティ下がっちゃった」
「腹減ったし、とりま飯にしようぜ。二反田、調理の担当割り振ってくれよ」
八木が空腹を訴え、みんなが同意した。
「うん。でもその前に、大事な話をさせて。ガチのやつです」
僕の言葉に一瞬ざわついたけれど、みんな聞く姿勢になってくれる。
「夜寝るときは、男子部屋も女子部屋も鍵をかけて。雰囲気が盛り上がると、若気が至っちゃうかもしれないので」
「おまっ、至るって、シャバ僧が、なに言って、ちょまっ」
テンパる安楽寝さんも、言った僕も、そしてみんなも顔が赤い。
「タイミング悪くてごめん。でも楽しい空気になっちゃたら言いだしにくいし。それに信じてくれた親御さんたちを裏切ったら、僕たちの関係も終わっちゃうから」
そこで町野さんが、ぱちぱちと拍手をしてくれた。
「よう言うた! 空気を読んで空気を読めない人をやれてえらい!」
「だな。普通は『いい子ぶんな』とか同調圧力で封殺され、その後にハブられてLINEからもキックされるとわかっているから、そんなこと言えないもんな」
八木がめちゃくちゃ怖いことを言う。
「……二反田、大学で絶対友だちできないな……あーしが仲よくしてやらなきゃな……」
チョロくねさんにも伝わったようなので、僕は切なくもうれしい。
口に出して伝えれば、「ワン・フォー・オール」は、「オール・フォー・ワン」になる。
いつもながら、町野さんの薬は僕によく効く。
「だが場の空気は冷えた。今日イチの一発芸が望まれるぞ、町野硯」
坂本くんがメガネをスチャって無茶ぶりする。
「体育会系の一発芸は内輪ネタ。お客さんが重いと信じられないくらいすべるよ。こういうときは、ベニちゃんがちょうどいい雑談ネタを振ってくれるはず」
町野さんが右から左へ受け流すと、雪出さんがびくりと体を震わせた。
「えっと……その……『白』を筆頭に高級なやつが流行でしたケド、『たい焼き』って安いほうがおいしくないデス?」
「「「わかるー!」」」
僕たちはちょうどいい雑談をしながら、夕食の準備を始めた。
寸胴に入れたパスタは、Cパートが始まる頃には茹で上がるだろう。



