第二章 ENCOUNTERING ②

 わっ、という歓声と悲鳴が1対9くらいのノイズが、空間を満たした。蜂の巣をつついたような、いや、ネズミの巣に猫が手を入れたような狂騒が、うねりとなって僕たちを飲み込む。

 こうして、僕たちの戦いははじまったのだった。


「庄一!」

「ああ……」


 僕は庄一の肩を何度か強く叩くが、ぼんやりとした返事しかしない。どうやらなにかを考えているようだった。

 庄一の返事を待つよりはやく、ソナタが声をかけてくる。


「あの、初さん。わたし、行きますね」

「え?」

「その……足手まといになると思いますので……」

「あ、えっと――」


 一瞬、判断が遅れた。

 引き止める時間は、十分にあった。0・5秒。それだけあれば十分なはずだった。待って、と声をかけることはできたはずだ。

 でも、僕はそうしなかった。

 頭をよぎってしまったのだ。

 彼女の言う通り、足手まといになったら――

 そしてそれは、ソナタもわかっていただろう。

 僕が引き止めないのを確認したかのように、彼女は微笑む。それから僕に目線を残したまま何歩か後ずさると、小走りに離れていった。

 彼女の長い黒髪は、気がつくともう、声が届く範囲の外で揺れていた。

 僕は焦る。しかし追いかけている時間はなかった。まずこっちが優先だ。


「庄一! 探すぞ、すぐに有能なメンバーを手に入れないとまずい!」


 周囲を見回すが、まだ具体的にチームを組むために動き出せているやつはいない。チームは一度組まれてしまい登録が済んでしまえば、そう簡単に変更できるとは思えない。僕たちの選べるカードは、刻一刻と減っていくのだ。最初に一番強いカードを取る。そういう単純な話だ。


「多分この中に、1位のやつがいるはずなんだ、早く見つけないと!」

「……ん? おい初、深森さんは?」


 我に返ったのか、顔をあげた庄一は驚いたような声をあげる。


「いや、彼女は別のチームに行くって……」

「当てがあるのかよ? 俺は深森さんと組むんだとばかり――」

「そんな余裕ないだろ! 彼女は最下位だし専門性も不明瞭だ。いいから早く、もっと有能なメンバーを探しに――」


 そこまで言ってから、しまった、と思う。

 庄一は、別に僕を責めてなんかいなかっただろう。

 僕の判断を否定してなんかいない。だから僕も、そんなに強く言い返す必要はない。

 庄一は動き出すことなく、その場に座ったまま、じっと僕の目を見つめた。


「⋯⋯お前の言ってることはさ、わからなくはないよ。誰だって有能なメンバーと組みたい。でも、それじゃ有能なメンバーってどんなやつか、ってことだよな」

「そんなの決まってる。僕以上に有能なやつは、この中にひとりしかいない!」


 焦れば焦るほど、僕は間違った方向にハンドルを切ってしまう。それが正しくないことはわかっているのに、自分で自分がコントロールできなかった。

 庄一は長い溜息をつくと、僕の胸を指差した。


「気づいてるか? お前、こう言ってんだよ。ひとりを除いて、ここにいる全員が自分より無能だって。お前はさ――」


 その声がほんのわずかに震えていることに、愚かな僕はようやく気づく。


「――俺も無能だって思ってんだろ」


 違う。そう言いたかった。

 でも僕の身体は、そんな単純な音列さえも、作ってはくれなかった。

 なぜか。理由ははっきりしている。

 僕は、認めてしまったのだ。

 心のどこかで、庄一を見下していたことを。

 そしてそれは、伝わっている。伝わってしまっている。

 庄一は僕から目線を切った。

 それからその場にまっすぐ立ち上がると、両手を口の横に当てて、大声で叫んだ。


「聞いてくれ! 俺は高峰庄一! プログラミングならちょっとしたもんだ! ロボットコンテスト、見てたやついるだろ! 俺は準優勝だ! 機械系が得意なやつ、俺と組もう!」


 生徒たちは一瞬静まり返って庄一の言葉を聞いたが、すぐに騒がしさを取り戻した。

 元に戻ったのではない。

 今の一瞬で、空気は完全に、変わっていた。

 生徒たちは鋭敏に反応し、次々と人が庄一の周りに集まっていった。その中で次々とグループができていく。

 やられた、と思った。

 僕は有能な人材を獲得すべきだと考えた。しかし、誰もが動き出せず、膠着した状況で、もっとも輝く価値はなんだろうか。

 それはリーダーシップだ。

 最初に海に飛び込める、道を切り拓く人間。

 考えてみれば簡単なことだ。有能な人間を集めたいのなら、自分が有能であることを示せばいい。庄一はそれを華麗にやってのけた。最初の一歩を踏み出す勇気。それを見せられた人間は、こう考える。もし同じチームになったとして、今後困難に見舞われたとき、常に道を切り拓くだろうと。

 庄一は、きっと静かに考えていたのだ。今、もっとも効果的な手はなんなのかと。

 人込みに揉まれて庄一は遠ざかっていく。

 言えない。

 待ってくれと。

 今だけ都合よく庄一を引き止められるわけがない。

 本当は、庄一のほうが、ずっと頭が良かったんじゃないか?

 僕は庄一を当てにして、ずっと甘えていたんじゃないのか?

 僕は――庄一に、勝てるのか?

 渦に飲み込まれたように思考は巡り、その場から動けなかった。

 しかしそんな僕の耳に、聞こえてきた声があった。


「そのぬいぐるみかわいいね。俺たちと組もうよ」

「え、ええと……」


 その周波数は、まるで氷水を流し込んだように僕を覚醒させる。


「あとひとりだからさ、ほら」

「いえ、でも、わたし……」

「俺5位。こいつは8位。上のほうだろ? 君何位?」

「いえ、内緒、です」

「えー、俺たち恥を忍んで言ったのにさ。見せて見せて」


 ソナタの声が1つ、あまり上品でない生徒の声が2つ、合計3つ。

 3という数字はもはや不吉だ。チームが成立

 生徒はソナタの手から無理やりスマートフォンを取り上げ、顔認証を目の前のソナタの顔で解除する。


「げっ、最下位かよ」

「別にいいよ、どっちみち1位とか無理だからさ。もう〈次世代高校生プログラム〉に参加できてる時点で普通に大学の推薦とか余裕だろ。それだったらかわいい女の子と思い出作りたいじゃん。バカでもおっぱいでかけりゃいいって」

「お前、変なこと言うなよ!」

「わ、わたし――」

「お、組んでくれる気になった?」

「わたし! 真面目にやりたいので! 1位、なりたいので!」


 震える声で、彼女はそう叫んだ。

 それを聞いて、僕は嘲笑した。

 愚かな生徒を、ではない。当然ソナタを、でもない。自分を、だ。

 ショックを受けている場合じゃない。

 しっかりしろ。

 そんなことで、1位が取れるかよ。

 僕は走って声のするほうに近づくと、ふたりの学生とソナタの間に、強引に割って入る。

 小柄な僕からは、ふたりを見上げるようなかたちになる。どちらも身長が高く、筋肉質だ。よく見ると、まるで双子のように同じ体格をしている。髪型まで同じだ。仲が良い、というよりは、自我がないのだろう、と思う。


「ソナタ、ここにいたんだ。探したよ」

「初、さん?」

「彼女はうちのチームのメンバーだから。もうひとり探してるけど、どっちか入る? ああ、そうそう、順位だっけ? 僕は2位通過だよ。ひょっとして、君たちのうちのひとり、1位だったりする?」

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