第二章 ENCOUNTERING ③
ふたりの生徒はひそひそとなにかを話したが、ちょっと僕の顔を確認すると、なにも言わずに背中を向けた。せめて挨拶くらいはしていってほしいと思うが、それができるようならはじめからあんな失礼な振る舞いはしていないだろう。
僕はソナタに向き合うと、彼女の顔を見る前に、頭を下げた。
「……ごめん」
「え? あれ? ありがとう、ございます?」
謝罪を疑問形の感謝で返されたのは、はじめてだった。
なにを謝っているのかわからないということらしい。
「いや、さっき。君を⋯⋯引き止めなかったから」
「……初さん、2位だったんですね。仕方ないですよ。実力差、ありますもんね」
ソナタはまた、へらへらと笑った。
「また助けていただいてありがとうございます! さすがにもうちょっと、ちゃんとした人と組めるといいんですけど。じゃ、また!」
どうしてそんなに、自分を傷つけるような笑い方をするんだ。
立ち去ろうとするソナタを。
今度は見送らなかった。
僕は彼女の手を掴む。
「待って!」
「へ?」
「メリットがある」
「はい?」
「メリットがあるんだ。僕と組むと」
「は、はあ」
「まず僕は頭がいい」
「じ、自分で言うんですね……」
「違う! 2位通過という客観的指標がある!」
「そ、それはさっき聞きましたけど……わたしは最下位ですし⋯⋯」
「そうじゃない、バカにしてるんじゃないんだ」
「わたし、バカにされてたんですか……?」
「だから違うんだって。ああ、もう!」
僕は頭をぐしゃぐしゃとかき乱した。
なんだってこう、僕は言いたいことひとつまともに言えないのだ。
「虫がいいのはわかってる! 僕もさっきのやつらと変わらない! 君にはひどいことをした、僕はひどいやつなんだ、だから庄一にも見限られる!」
「あのぉ」
「いや僕、考えたんだけど、本当は特別目立った長所ってないんだ、万年2位のくせに人を見下してるし、自分の話ばっかりして自意識過剰だし、いざというときに必ず判断ミスするし」
「いえ、その」
「だからその、メリット、メリットだよな、ええと……」
「初さん、いったん聞いてもらえます?」
「正直に言う、最初のはブラフで本当は思いついてないんだ、でもなにかあるはずだから」
「あの!」
ソナタが大きな声を出して、僕は固まる。
「3人目を、早く探しません?」
その言葉の意味を理解するのに、時間がかかった。
「なんで?」
「だって、早くしないと、チーム全部決まっちゃいますし」
「そうじゃなくて――」
ソナタは僕の言葉を遮って、にっこりと微笑んだ。
「お誘い、ありがとうございます。嬉しいです。わたしも……本当は初さんと一緒にやりたかったです!」
明るくそう言って、彼女は黒目がちな丸い目を細める。
「メリットって、どういうのがメリットなのか、よくわからないですけど。でも、初さんはわたしのこと、2回も助けてくれたじゃないですか! 初さんはいい人です! だからメリットもありますよ、きっと! 一緒に1位を目指して、いっぱい見つけましょう!」
その瞳がやっぱり眩しくて、僕は目を逸らす。
それを敏感に感じ取って、ソナタはすぐに怯えた表情に戻る。
「あ、すみません、わ、わたしと組むメリットがあるかはわからないですけど……というか多分ないですけど……また迷惑かけるかもしれませんけど……」
「いや、あるよ!」
「たとえば……?」
おずおずと、そう聞かれる。
誰もが戸惑っているときに一歩を踏み出せるリーダーシップが重要な資質なら、他人を前向きに評価できることもまた、プロジェクトを進めていく上では重要な資質だろう。
ソナタが僕と組むメリットがあるかどうかは、わからない。
しかし少なくとも、僕にはある。
ソナタは優秀だ。たとえ順位という数字に反映されていなくとも。
僕は、彼女と組むべきだ。
「……ありがとう。これからよろしく」
「は、はい!」
僕が手を出すと、ソナタはそっとその指先を握った。握手というよりは、なんだかダンスに誘ったみたいだ。まあ、間違ってはいないのかもしれない。ずいぶん恐ろしいダンスだが。
「あれっ、メリットは⁉」
「ソナタが自分で言ったんだ。一緒に見つけようって」
「や、やっぱりないんですよね!」
「そうは言ってないだろ!」
「わたしで大丈夫ですか本当に⁉」
「いいから! 合ってるから! とにかく3人目を探そう!」
改めてあたりを見回すと、遠くの庄一は、すでにチームと思しき3人組で談笑していた。
「とはいえ……」
誰もが同じように、3人で固まっていた。すでにチームを組み終えているように見える。
……僕とソナタの2人で、コンペを勝ち抜く。そんなビジョンが迫ってくる。
人数がひとり少ないのは、単純に不利だろう。
次世代を担う能力があるとみなされた高校生ばかりを集めたこのコンペで。
たったひとつの人数不足のチームとして、勝ち抜くことができるのだろうか――
そんな不安と焦りが高まったときだった。
奇妙な、音が聞こえた。
最初は、あまりのストレスに耳鳴りがはじまったのかと思った。
しかしよくよく聞いてみると、それは建物の外から聞こえているように思われた。
甲高い高音と、唸るような低音。それが同時に聞こえてくる。
まるで音楽再生ソフトのボリュームバーをゆっくりと右に動かし続けるように、音量は徐々に大きくなり続けていた。やがてそれは、周りの声が聞こえないくらいの大きさになる。
誰もがあたりを見回し、その音の正体を確かめようとしていた。
やがて、音が近づくとともに、光が近づいてくる。
それが空から来ていることを理解するのに、時間はかからなかった。
耳を劈くような音はもはや衝撃波となり、光は目を焼く。
その中に、ピシッ、という音が混ざった気がした。
それがなんの音なのか、僕は直観した。
ガシャァン、というとてつもない音がして。
ガラスが、割れた。
「危ない!」
僕はとっさに隣にいたソナタをかばう。
砕け散った細かいガラスがキラキラと舞った。破片が自分に刺さることは覚悟していた。しかしガラスは、僕の周囲に雪のように降り積もっただけだった。
そして、その降り積もるガラスの上に、それは降り立つ。
よく見ると、それは人間だった。
いや、少なくとも人間の形をしていた。
顔に相当する部分には全体を覆う巨大な防護マスクのようなものを装着していて、どこに繋がっているのかわからないケーブルが飛び出ている。まるで宇宙人だ。
その背中に装着された、大きな機械。
炎を噴出しながら飛行し、ここに着陸したデバイス。
それはおそらく、ジェットパックだった。
僕が〈次世代高校生プログラム〉に参加した初日、ジェットパックを背負った宇宙人が飛んできて、その噴射でガラス窓が全部割れたんだ。そんな話、誰にも信じてもらえないだろう。
しかし、科学の世界では、信じがたいことほどしばしば事実である。
そして事実は次の作用を生み、予測できない未来へと接続されていく。
僕はこのとき、想像もしていなかった。
この宇宙人と出会ってしまったことが。
無限にこじれていく運命の、最初の分かれ道だということを。