第四章 LAUNCHING ①
天才高校生・水溜稲葉、城北大学大学院棟の窓ガラスを破壊
XX月XX日夕方ごろ、城北大学の大学院棟で、1階の窓ガラスがすべて破損したとの通報がありました。
警察署および消防署によると、敷地内でジェットパックと思われる移動装置が使われ、噴射が当たったことにより窓ガラスが砕けたとみられています。なお、怪我人はいませんでした。
ジェットパックを扱っていた水溜稲葉さん(17歳)は、アメリカの大学で飛び級制度を活用、すでにふたつの修士号とロボット工学分野の博士号を取得した天才高校生として知られています。
城北大学の〈次世代高校生プログラム〉に参加するため来日する予定でしたが、航空機の遅れにより初日のオリエンテーションに間に合わず、やむを得ず持参したジェットパックを使用して大学に移動したとのことでした。
〈次世代高校生プログラム〉の責任者である湖上早雲教授は「本件は大学のプログラム内で起きた出来事ですから、言うなれば実験事故です。大学の安全管理の側に責任がありますので、私が責任者として、本人を含めた関係者に安全対策を徹底するよう指導しました。まあ、学生のやることですからね。失敗もあります。ガラスはこういうときのために破片が飛び散らず粉々になる強化ガラスを採用していますし、参加者および保護者にも、安全管理は徹底しているため安心してくださいと説明しました。本人から弁償の申し出もありましたので、その点は相談中です」と語っています。
〈次世代高校生プログラム〉は、官学連携の科学人材育成プロジェクトです。プログラム内の公開コンペティションで1位となった学生には、特別選抜での大学合格と、大学院までの授業料免除の特典が与えられることから、新しい人材発掘として注目されています。
■
「大変な目に遭った……」
「すごい経験でしたね……」
僕とソナタは、リビングのソファに、並んで腰をかけていた。
場所は僕の家である。たまたま大学に近かったし、家には誰もいなかった。大学の研究室にも自由に出入りしていいことにはなっていたが、あんなことがあった後だ、できるだけ人目のない場所で話し合いをしたかった。
僕たちの向かいには、彼女――稲葉が座っていた。
くつろぐでもなく、かといって緊張するでもなく。強いて表現するなら、そこに設置されている、というような佇まいで、稲葉はそこにいた。
あれから警察やらなにやらが来て大変だったが、湖上教授が取りなしたのだろう、どうやら事なきを得たようだった。僕たちも細かいことは報道で知ったありさまだったのだが、それは重要ではない。
なぜなら僕たちのコンペティションは、もう、はじまってしまったのだから。
与えられた時間は、決して多くはない。
公開コンペティションの課題は、ロボットを作り、それを発表すること。
シンプルだが、それゆえに難しい。
とにかく、僕たちはチームになった。
お互いのことを知り、最適なコンセプトを立てるところからはじめなくてはならない。
僕はちらりと隣のソナタの表情を窺う。彼女の口元は、引きつった笑顔なのか、単に緊張して引き結ばれているのか、判断しがたい形状になっている。おそらくはその両方だろう。彼女のこともまだ理解したとは言い難いが、ともかくリーダーシップを取るタイプでないことはまず間違いない。
声をかけた責任もある。
僕がまとめていかなければ。
「ええと、水溜さん――」
僕が意を決して切り出すと、稲葉はきょとんとした顔で僕を見つめる。
「あれ、名前、間違ってないよね?」
「いえ⋯⋯稲葉でいいわ。不要な識別子で情報量を増やす必要はないでしょう」
「口頭での会話にそんな緻密なビット数管理いる⁉」
敬称が不要な識別子だと思ったことはなかったが、まあ本人がそう言うのならこだわるほどではない。
「わかったよ。じゃ、稲葉――」
僕は素直に言われた通りにしたのだが。
「待ってください、初さん」
「ソナタ⋯⋯なに?」
「わたしは稲葉ちゃんって呼びたいです! 稲葉ちゃん!」
「ソナタ、話聞いてた⋯⋯?」
まあ、チームとしてはお互い遠慮がないほうがいいだろう。親しみを込めた呼び名は案外重要かもしれない。稲葉も黙っているところを見ると、反対というわけでもなさそうだった。
「それで、稲葉――」
「ちょっと待って」
「なんだよもう!」
今度、僕を遮ったのは、稲葉のほうだった。
「先に目的を明確にして。これはどういうミーティング?」
その声も、目も、表情も、彼女の心情を推し量ることはできない。彼女がなにを考えているのか、察するにはその言葉のほうを見つめるしかなかった。
「え、いや、同じチームになったから」
「から?」
「から……その、キックオフというか」
「認識に食い違いがあるようね」
僕が言い終わるか言い終わらないかのうちに、稲葉は打ち返してくる。
「初、あなたの目的は、このコンペティションで1位になることよね?」
「そう、だけど」
「ならもう解決よ」
稲葉はそう言って、パチンと指を鳴らす。
あのオリエンテーションで見たのと同じようにディスプレイが虚空に表示され、そこにネットワーク状のなにかが表示されている。
彼女がジェスチャーでなにかを操作すると、バックパックからあの丸い小さなロボットがわらわらと出てきた。
「きゃっ!」
ソナタが悲鳴をあげて、ソファの背もたれに登ろうとする。ホラーが好きとは言う割に、怖がりなところがあるのかもしれない。
一方、僕は目の前で起きていることに感嘆していた。
稲葉が手を翻すと、ロボットたちはふわふわと浮かんでいく。稲葉はさながらオーケストラの指揮者か、あるいは軍隊の指揮官のようだ。彼女の意志を反映して、ロボットたちは僕の家中に散っていく。
自律して、分散していながらも、協調するその姿は。
「生きてるみたいだ……すごいな……」
思わずそんな声が漏れる。
「私は天才なの」
得意げでもなく、自慢げでもなく、机の上に載った鉛筆を鉛筆だと名指すくらいの気軽さで、彼女はそう言う。
僕は気づくと立ち上がっていて、空中に表示された図形を見つめていた。ネットワーク状になったそれは、複雑なパターンを明滅させている。
「これで制御してる⋯⋯んだよね?」
「ええ、既存の言語はあまりに狭すぎるから。もっとも、カプセル化した概念同士をネットワーク化したものだから、もはや狭義の言語ではないかもしれないけれど」
「とんでもないことを言うね⁉」
ロボットは、それを作っただけでは動かない。その動きを制御するよう、プログラミングする必要がある。そのプログラミングはさまざまなプログラミング専用の言語によって行われ、それが最終的には0と1の機械語に翻訳される。英語話者と話すことが英語の習得からはじまるように、ロボットへの指示も、既存の言語を学ぶところからはじまる。学んでいる人が多い言語ほど情報も多く、習得も容易であり、研究も進んでいる。
しかし稲葉はそのどれも使っていない。
それどころか、独自の制御形式を自ら立ち上げているというのだ。
そんなことが果たして可能なのか。それも高校生に。
「わかったでしょう。では本日は解散で。完成したら連絡するわ」
「待ってよ、ちゃんと話し合って――」
「話し合う意味がどこにあるの? 知性にも技術にも差がありすぎる、あなたたちが参加する意味はどこにもないでしょう」
取り付く島どころか、掴む藁もなさそうだった。
ソナタはおろおろと、僕と稲葉の顔を見比べている。