第四章 LAUNCHING ②
僕は腕を組んで唸った。
冷静に考えてみれば、確かに、それは論理的な解答ではあるのかもしれない。
突如目の前に現れた、規格外の天才。
彼女にすべてを託してしまえば、確かになんでもできてしまいそうだ。
しかし、それが本当に、正しい答えなのか――
「――いや、それじゃダメだ。僕たちも参加する」
「どうして? 私の能力が信じられないの?」
自分の中にある、わずかな違和感。その直感を引きずり出し、形を与えながら、僕は喋る。
「違う。君は天才すぎるんだよ、稲葉」
わずかに首を傾げたまま、稲葉はこちらを見つめている。
「僕はずっと、1位を目指してきたんだ。いろいろな分野で、試行錯誤しながら。だからわかる。そのやり方は、リスクが大きい」
「リスク? そんなものがどこに? このプログラムに私を超える才能は存在しない。それは明らかでしょう」
「いやそれは認めるけども」
彼女の作ったものを見てしまったのだ。彼女が天才であることは大前提だ。
しかし、だ。
だからといって、ゲームに勝てるとは限らない。
「すべての競争にはルールがあって、評価する人がいるんだ。誰かがなんらかの基準で点数をつける。恣意的にね」
「……このプログラムだと、湖上教授が点数をつける、ってことですか?」
うつむいていたソナタが、身を乗り出して口を開いた。
「そうだ。そもそもなんでわざわざチーム戦にしたのかってことを考えないといけない。だってそうだろ、こんな形式にしたら、チーム内で実力差が出るに決まってる。キャリーしてもらおうと思うやつが出てくる、あるいは逆に特定のメンバーを排除するやつが出てくることなんか、湖上教授は想定済のはずだ」
「そっか、チーム戦にしたんだから、チームで採点される……あれ、なんか当たり前のこと言っちゃいました」
ソナタはひとつひとつの情報を吟味しながら、言葉を選んでいく。
「いや、合ってる。発表はデモだけじゃなくて、質疑応答もあるよね。ソナタ、稲葉が作ったものについて聞かれたら答えられる?」
「む、無理です!」
「僕もだ。だからみんなで作る必要があるんだ。チームを作る力、そしてそれを走らせる力が必要だと、湖上教授は言ってた。チーム戦にしたからには、半分はそれが採点基準になるはずだよ。僕たちがいないと成立しないロボットじゃなくちゃいけない。少なくともどう貢献したのかはっきり言えないと。選抜だって内訳と順位が公開されるくらい評価には気を遣っていたんだ、天才がチームにいたので全部やってくれました! で通るとは、絶対に思えない」
僕は自分が言った内容に、頭を抱えてしまった。
稲葉は間違いなく、とんでもない才能を持っている。彼女と組めば、勝てると思った。誘った時点では僕自身そう考えていたのだ。しかし、今こうして整理してみると、むしろ難しくなったとさえ言える。
そもそも稲葉は、このコンペティションには規格外なのだ。
自動車のレースなのに、ジェットエンジンを積んで出場しなければならないようなものだ。
それでルールを守って勝つというのは、普通に1位を取るより、もしかしたら困難なミッションかもしれない。
「くだらない。優れているものが優れているに決まっているでしょう」
稲葉はなにを愚かなことを、といわんばかりに一蹴した。
その気持ちもわかる。鳥の目線から見れば、ネズミが迷路をうろちょろしている姿はさぞかし愚かだろう。
でも、僕には、目的がある。
「どうしても、1位になりたいんだ」
遥か高みにいる稲葉の目を、僕は地面からまっすぐ見上げる。
「そのために、最善の方法を取りたい」
稲葉は少し考えてから、目を逸らして、こう述べた。
「……一定の説得力がないこともないわね」
「その通り、とは言えないものかな……」
僕が苦笑すると、稲葉は3秒ほど考えてから口を開いた。
「初の目的は1位になること。そうよね?」
「そうだよ」
「1位になったら、嬉しいわよね?」
「それは……嬉しいね」
妙な質問だなと思いながらも、素直に答える。
するとそれを聞いて、稲葉は顔をあげ、僕を指差した。
「ではこうしましょう。初、あなたがリーダー。私は初に従う。言われたものを作る。それが最善ということでいいかしら」
それを聞いて、僕はホッとする。これで少なくとも、稲葉が暴走することはなくなりそうだ。
「わ、わたしもどうやったら貢献できるか考えます!」
ソナタもそう言ってくれる。
リーダーだというのなら、僕が責任を持って、このチームを勝たせなければならない。
「じゃ、まずはブレインストーミングから……」
僕が話を先に進めようとしたときだった。
ピンポン、とチャイムが鳴る。
「ん?」
普段は来客などある家ではない。届く予定の荷物などもないはずだ。僕は首を傾げる、が。
「私よ」
なぜか玄関に向かったのは、稲葉だった。
「は?」
慌てて玄関まで稲葉を追いかけると。そこに立っていたのは、制服に身を包んだ業者だった。
そのロゴとカラーリングを見れば、なんの業者かはすぐにわかる。
引っ越し業者、だった。
当然のことながら、僕に引っ越しの予定はない。肩越しに見ると、家の前には大きなトラックが停まっていて、引っ越し業者は荷物を下ろす準備をはじめていた。つまり搬出ではなく搬入である。搬入? いったいなにを?
「荷物に管理番号があるわ。7番から43番まで全部ガレージに入れて。残りは居間に」
「待って待って待って! どういうこと⁉」
我が物顔で指示をする稲葉を僕は慌てて止める。
「大丈夫、他の荷物はほとんどないから。寝室は2階の奥の部屋をもらうわね」
「どういうことだよ!」
「さっき放ったロボットで家の間取りは把握しているから」
「そうじゃなくてさ」
「決まってるじゃない。ここに住むのよ」
「え、ええ⁉」
なにを言っているのかわからなかった。
ここに、住む?
僕の家に?
言葉にならない疑問が顔から噴出していたのだろう、稲葉はものわかりの悪い子どもに算数を教えるような顔で説明をはじめた。
「私、アメリカから来たばかりで家がないから」
「家がない⁉」
僕は叫んでしまう。そんな無計画なことがあるか?
「ホ、ホテルでもなんでも行けばいいだろう!」
「立地から考えると条件に合致するホテルがないの。それに、私の使用言語は独自のものだと説明したでしょう。製作機械の制御も同じ言語で書いている、いくら大学の設備が使えても不便すぎる。ゆえにガレージを臨時ラボにしてここに住む。これ以上に合理的な解決はないわ」
「解決してるんじゃなくて問題を発生させてるんだよそれは! というか、いつ手配したんだよ引っ越し業者を!」
アメリカから急遽帰国したんじゃなかったのか? どう考えても辻褄が合わない。当たり前だが、目的地は引っ越し業者が荷物を運び出した段階で定義されていなくてはならないはずだ。
「え、今の、本当ですか? 稲葉ちゃん、ここに住む?」
そう確認してきたのはソナタだった。
「いや、本当じゃない! 許可してない!」
僕は慌てて否定する。
「あの、なら、わたしもここに住みます!」
「は?」
「だ、だって、チーム、一緒にいたほうがいいですよね? 合理的、ですよね?」
「ソナタまでどうしたんだよ!」
止めるロジックを考える。しかし、どうせこの家には僕しかいないのだ。生活を共にしながらチームでコンペに取り組むメリットは確かにある。デメリットは――あまりにも非常識的であるということだけだ。
僕の頭脳の回転数は、どうやら十分ではなかったらしい。考えているあいだに、稲葉の小さいロボットが家の中を駆け回り、引っ越し業者から受け取った荷物を運んでいく。その様子は引っ越しというより搬入だった。いや、引っ越しだとしても搬入だとしてもおかしいことに変わりはないのだが。
「わたしも荷物取ってきますね、夜また来ます!」
ソナタも一方的にそう叫ぶと、荷物の合間を縫って走って出ていってしまった。
「まったく、ありえない……」
僕は急に家の中の温度が上がったように感じて、服の首元から空気を入れる。
口ではそう言いながらも、僕の鼓動は速まっていた。
それはこれからはじまるコンペティションへの興奮だということに、今はしておきたい。