第四章 LAUNCHING ③
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「さて、ラボも無事にセットアップできたし、これで最低限のことはできるわね」
「天才って、みんな他人の家のガレージを自分のラボと言い張るものなの?」
「わからないわ、私と同等の天才に出会ったことがないから」
「あっそう……」
もはや文句を言う気力も失い、僕は肩を落としてあたりを見回した。
ガレージは、すっかり作り替えられてしまっていた。稲葉に付き従う小ロボットたちが引っ越し業者の持ってきたパーツを組み立て、あっという間に稲葉の研究所ができあがった。ところ狭しとさまざまな工作機械が並び、ちょっとした生産拠点という趣である。
確かにここならなんでも作れそうだ。もともと僕がロボットを作るのに使っていた貧弱な設備――いや、比べてしまうと設備というのもおこがましい。今となっては、あれは単なる作業スペースにすぎなかったのだと再認識させられる。当然、これはフルスペックの拠点ではなく、臨時のものにすぎないのだろう。いったい彼女が本来拠点にしているラボは、どれほどのものになるのだろう。
「じゃ、手始めになにか作りましょうか?」
あまりにも気軽に、稲葉はそう聞いた。
「そんな、料理を作るみたいな言い方……」
「似たようなものよ。まずはもう少し手が必要ね」
稲葉が空中に手をかざすと、プロジェクターが起動して、空中にホログラムが映し出された。稲葉はジェスチャーでそれを操作していく。
すると、稲葉のラボに、火が入った。
機械の液晶パネルの光が、暗いガレージに灯って、機械はひとりでに動き出していく。
生産は、設備と小ロボットの共同作業で行われていた。稲葉の周りに常に帯同している丸みを帯びた小さなロボットたちが、さまざまな設備を駆使しながら、手足のように働いてロボットを生産していく。稲葉は一歩も動くことはなく、ドライバーのひとつも持つことはなかった。
そして作られているのは、小ロボットだった。それは自分自身を複製しているようでもある。より大量になって果たして制御できるのか聞こうかと思ったが、愚問だったのでやめることにした。
そしてそのすべては、信じがたい猛スピードで行われていた。
まるで虚空から次々とロボットが生まれてくるかのようだ。
僕は昔見た、ミッキーマウスのアニメを思い出していた。魔法使いが手をかざすと、魔法がかかった箒が動き出して水を汲む。
驚くと同時に、僕は自分の胸が高鳴るのを感じていた。
僕は彼女の横顔を見つめる。うっすらと浮かんだ笑顔は、どこか楽しそうにも見えた。つややかな肌は液晶の白い光を鏡のように反射している。湿った唇の薄い皮膚からは、赤い血が透けていた。
これだけのことが、呼吸をするようにできるとしても。
彼女は僕と同じ、高校生なのだ。
誕生から同じ年数を生きてきた。そのはずなのに、こんなに違うのか。
これが才能というやつなのか。
いや、才能、という言葉ですら生ぬるい。
それは、もはや別の生き物だった。
研究をするために生まれてきた存在。
草原を時速100kmで走るチーターのしなやかさ。
空中で急降下し獲物を捉えるワシの力強さ。
海を飛ぶように泳ぐペンギンのなめらかさ。
それとまったく同じように。
僕は彼女のことを、美しいと思った。
僕はもっと知りたかった。彼女がいったい、なにを作っているのかを。
「これ、どれくらい大きいものまで作れるの?」
「そうね、結局資材の組み合わせだから、手の数にはよるけれど――この家程度の大きさなら、数時間かしら」
「すごい……これが稲葉の研究か⋯⋯」
「そんなわけがないでしょう。これはただの道具よ」
稲葉は侮辱されたとでもいわんばかりの表情をした。
「なら、君は……なにを研究してるんだ?」
稲葉は目線を逸らして一瞬考えると、手をかざして一度生産を止めた。
そして何度か空中で指先をひらめかせると、そこから、別のものを作りはじめる。
小ロボットたちが次々に運んでくる部品によって、なにかが組み上がっていく。
コップに水が満ちるように、それはこの世界に現れる。
やがて作業台の上にできあがったのは。
四角い箱、だった。
「これが私の研究」
稲葉はその箱を指して、そう述べる。
僕はまじまじとそれを見つめた。金属の板で囲まれ、ブラウンの塗装が施された、箱である。それが筐体――単なるケースなのであろうことは僕にも予想がつく。
「中身はなに?」
〈私よ〉
僕が疑問を呈すと、彼女はそう答えた。
しかしその答えに、違和感を覚える。
稲葉の口は動いていない。
聞こえてくる方向もおかしい。いや、声の様子も、奇妙に歪んでいる。
僕は、はっとして、その四角い箱を見る。
〈私は一種の人工知脳。人間に相当する知的活動が可能なロボットを作ることが、私の研究というわけ〉
「しゃ、喋ってる……」
喋っているのは、その箱だった。
よく見ると、小さなLEDのインジケータが縦にふたつ並んでおり、話すたびにそれが光っている。
「会話を生成する人工知能か……なんて自然なんだ……」
今、この箱は、僕の質問に答えた。事前に設定されている内容を話したのではなく、今この瞬間に思考し、このなめらかさで会話を生成しているのだ。
僕が稲葉のほうを見ると、彼女は黙って頷いた。
はやる好奇心を抑えながら、僕は質問を続ける。
「ええと、君は稲葉なの?」
〈定義の問題ね。そうとも言えるし、そうでないとも言えるわ。私は水溜稲葉のライフログを基にした人工知能だから、既存の概念でもっとも近いのは稲葉ということになるでしょうね。けれど生身の水溜稲葉そのものとは言えない。論理的にも、哲学的にもね〉
ライフログ、という言葉は、稲葉が常に自分自身の生活の記録を取っていることを意味していた。自分に関連するあらゆるデータを大量に学ばせ、それをトレースさせているのだろう。
しかしそれでいて、自分自身と稲葉の差を弁別できている。
「君も天才――いや、稲葉と同じ程度の知性を持っているのかな」
途中で定義を明確にし直して、質問する。
「いいえ、現状は単に受け答えをするだけにすぎない。私の言語活動を部分的に切り出した会話装置よ」
代わりに答えたのは、生身のほうの稲葉だった。僕は不思議な気分になりながら、今度はそちらに向き直る。
「ひょっとして、稲葉の知性全体を再現することもできる?」
稲葉は僕に答える代わりに、ごほん、と咳払いをして、目の前に投影されたコンソールの前で手をひらめかせた。
すると新たなソフトウェアがインストールされたのだろう、箱が反応を見せた。
「君は、誰?」
僕は改めて、更新されたロボットに聞いた。
しかし、返事はなかった。
代わりにその箱は、奇妙な音を立てながらガタガタと揺れはじめた。
それは、まるで。
苦しんでいるようにしか、見えなかった。
「だ、大丈夫⁉」
僕は思わず手を伸ばす。しかしそれが届く前に、箱から煙があがり、そして、嫌な音が何度かしたかと思うと、機能を停止した。
「これ、どういうこと……?」
「……私の研究は、まだ完成していないの」
稲葉は壊れた箱を持ち上げ、胸に抱えた。
「私の知的活動全体を再現しようとすると、自壊してしまう。それがなぜなのかは、まだ完全には特定できていない。ただ……」
「ただ?」
「おそらくこれは、自殺なのだという仮説を持っているわ」
「自殺……箱が?」
「ええ。現状、ハードウェア的な制約から、私の知的活動全体は再現できない。ゆえに目的に対する達成度の評価が負のフィードバックで無限ループして――」
「待って、理解が追いついてない」
ごほん、と稲葉は咳払いをした。