第四章 LAUNCHING ④

「あなたにもわかるように、比喩表現を使いましょう。私の知性という水は、このロボットという器には収まらないの。だから注ぐと溢れてしまう。ここまではいい?」

「多分」

「けれど目的は私そのものを再現することで、そのために駆動している。だから溢れている時点でなのよ。だからこのロボットは私を再現しようとし続け、こぼれた水を自分という器に戻そうとする。けれどそれは不可能だから、負のスコアを自らに与え続ける。その結果として――」

「――存在意義を見失って崩壊する?」

「おおむねそういうことになるわ」

「なんだか親近感が湧く話になってきたな」


 まるで1位を目指し続ける僕のようだ。僕も自己崩壊したいと思ったことは何度もある。ロボットに感情もなにもないだろうが、気持ちはわかる気がした。


「解決の目処は立ってる?」

「条件付きイエスよ」

「それってノーじゃないの⋯⋯?」

「将来的にはなんらかの方法で私が解決する。構想もある。ただが少し足りていないだけ。条件付きイエスよ」


 意外にも前向きである。楽天的と言ってもいい。彼女くらいの天才になれば、それは単なる楽観ではなく、根拠のある自信なのだろう。

 しかし、話を聞いているうちに疑問に思ったことがあった。


「稲葉はさ。なんでロボットを研究してるの?」

「人類史を前進させるのが天才の責務でしょう」

「それはわからないでもないけど……なんでロボットなのかな、って」


 それを聞いた稲葉は、長い長いため息をついた。もう二度と息を吸わないのではないかと思うくらいの時間のあと、心底憎々しげに言う。


「人間は脆弱だから」

「脆弱?」

「人間の身体は制約が多すぎると思わない? たとえば私の手は2本しかないし、一定時間を睡眠に費やさないと脳の性能は低下する。私の知性に対して、人間という枠はあまりに狭すぎるのよ」

「それは……どうかな。確かに道具は便利だけど、バイクを陸上競技に持ち込んで1位になっても、僕は嬉しくないけどな」


 思わずそう反論する。そんな意図が稲葉にないとわかってはいるけれど、自分の力で1位になろうとしてきた自分の努力と、彼女の考え方は両立しない気がしたのだ。

 機嫌を損ねるでもなく、稲葉は僕の名前を呼ぶ。


「初らしいわね」


 それがどういう意味なのかはよくわからなかったけれど、突っ込むとなんだか自分に対するネガティブな評価が出てきそうで、僕はとっさに話を逸らしてしまう。


「いや、でも、とにかく稲葉はすごいよ。間近で見てよくわかった。まるで魔法みたいだ」


 わかった部分を繋ぎ合わせて考えれば、稲葉が取り組んでいるのは、稲葉と同程度の知性を持った新たなロボットを生み出す、ということだろう。それは生命の創造に限りなく近い。一般に、それはほとんど魔法の領域だ。


「……古いSFね。私に言わせれば、それは逆よ」


 曇ったままの顔で、稲葉は反論する。


「逆?」

「十分に発達した科学は、魔法と見分けがつかない、というやつでしょう? でもそれは定義の問題よ。このフレーズにおける科学はどう定義される?」

「教授みたいな質問するね」

「私はまだ教授ではないわ」

「まだ、ね……」


 確信を持ってそう言う稲葉に、僕は苦笑する。


「ええと、魔法との対比で言うと、理解できて再現できるもの……ってことかな」


 未来の教授に、一応はちゃんと考えて返事をする。

 稲葉が頷いたのを見て、僕はマルをもらった学生の気分で続きを聞いた。


「つまり、科学が魔法と見分けがつかないのではなく、単に人間は自らの想像を超えた現象を魔法と認識する。だから大半の専門技術は素人にとっては魔法よね。そしてもしこの世界に本当に魔法があるとするなら、それは魔法を生み出す側にとっては特定の知識と手順によって再現される科学に他ならない――」


 迂遠な言い方ではあったが、言おうとしていることは、なんとなくわかる気がした。


「……要するに、手の届かないものと思ってるようじゃダメってことか」

「意外に理解に時間がかかったわね?」

「予想より婉曲な言い方だったからね」


 僕は少し愉快な気持ちになって、そう茶化した。

 なにせ飛行機が遅れたからジェットパックで駆けつけ、自分ひとりでやるのが最適解だからチームメンバーはなにもするなと言ってのけるのだ。直截な物言いしかしないのかと思っていた。


「魔法とか言ってる時点で救いようがないほど愚か、くらい言われるかと思った」

「そうは……思ってないわ」

「いや思ってるよね! その間はなんだよ!」


 稲葉は目を逸らしてあらぬほうを見つめている。割と嘘が下手なのかもしれない。

 僕はふう、と息を吐いた。


「別に、言ってくれていいよ。僕にとっては、1位を取ることが大事なんだ……今度こそ。だから、成長の機会は逃したくない。少しでも君に近づきたいんだ。君の目から見て、僕に足りないことがあったら、知りたいと思う」


 稲葉は黙り込んだ。なんでもすぐに返答してきた彼女らしくない振る舞いで、僕は少し面食らう。


「……嫌いにならない?」


 僕は思わず聞き返しそうになった。

 そんなことを気にしそうにはとても見えなかったからだ。

 しかし稲葉は目を逸らして、口を尖らせている。冗談を言うタイプでないことはわかっているし、ふざけている表情にも見えない。

 さまざまな機械、そのディスプレイが発する青白い光が、彼女の横顔を照らしていた。頬が赤く見えるのは、入射光が青みを帯びているための錯覚だろうか。

 常識外れの天才が急に見せた人間らしい表情に、僕は戸惑う。


「嫌ったりしないよ」


 動揺を悟られないよう、意図してはっきりとした響きを出して、僕はそう述べる。


「そう……人間がどういうときに傷ついて、なにが嬉しいのか、よくわからないものだから」


 まるで自分が人間ではないような口ぶりで、彼女は首を傾げる。その表情は、僕にはどこかさみしそうに見えた。

 万能に見える天才にも、もしかしたら、天才なりの悩みがあるのかもしれない。

 僕にコンプレックスがあるのと、同じように。


「僕はずっと2位だった。選考でも、1位だったのは君だ。僕は1位になりたい。だから……君に学びたいんだ、稲葉」


 それは僕の本心だった。

 もし、魔法を使えるようになりたいのなら。

 きっと、魔法使いに学ばなくてはならないだろう。


「初。それがあなたの、望みなのね?」

「望み、というと大げさだけど。まあ、そうかな」


 稲葉は腕を組んで、何度か頷いた。


「私に教えられることはないし、それで私が再現できるようになるとは、思わないけれど」


 それもそうだろうと納得はいく。

 月だって、亀にどうしたら夜空に浮けるか聞かれても答えられないだろう。


「僕もそう思うけど。少しでも近づいて、それを繰り返していくしかないだろ」

「なにかを手に入れるには、あまりに非効率的じゃないかしら」

「稲葉にとってはそうでも、そうやって進むしかないんだ、僕は」

「私はそうしない。そういう迂遠な選択肢は取らない。でも――」


 絵本のキリンを全身真っ青に塗った子どもを見るような顔で、稲葉は僕を見る。

 それからふっと表情を緩めると、ぐっと顔を近づけた。


「――私は、あなたの役に立ちたいわ」

 耳元で、そう、囁く。

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