第五章 SERVING ①
翌朝から、僕たちのチームとしての生活はスタートした。
しかし、それは想像したほどめちゃくちゃなものではなかった。
最大の理由は、稲葉が基本的に家にいないことである。
僕たちは、湖上教授が自ら教える授業に通うことになっていた。講義や実習を取り混ぜた授業はどれも役に立つ実践的なものばかりで、かといって理論や原理もおろそかにしていない。誰もが目を輝かせて話を聞いていたし、ロボットを作るという観点において、これほど充実した手ほどきを受けたことはなかった。
もちろん僕もソナタも、その例外ではない。僕たちは共に学び、そして学んだことを持ち帰っては気づいたことを共有した。その意味で、生活を共にしているというのは確かに都合がよかった。異性が家にいるというのはもっと気をつかうかと思ったけれど、案外すぐに気にならなくなった。ソナタは部屋着でソファに横たわって居眠りをしたり、リビングで大音量でホラー映画を見たり、コーラを冷蔵庫にストックしたり、ポップコーンを食べ散らかしたり、そこかしこに例のモンスターのぬいぐるみを置いたり、なかなか自由に過ごすようになったからだ。なんとなく、もし妹がいればこんな感じなのかなと、密かに思っていた。
当然、授業では庄一の姿も見かけることがあった。しかし、見かける、という以上の状態には、なかなかならなかった。もしかしたら、話しかけたらあっさりと、また前のように話せるのかもしれない。でもそれが、僕の希望的観測にすぎないとは言い切れない。実際、僕がいくら庄一を見つめても、目が合うことはなかった。庄一は、いつも自分のチームメンバーのほうを見ていた。派手な感じの女子と、眼鏡をかけた男子。他の人たちも、みんな3人1組で行動していることを考えれば、それはある種当然のことであったろう。それでも、僕は庄一とのあいだに、まだピリピリしたものを感じていた。それはそれでいい。きっとそのわだかまりに決着をつけるのは、最後の日を待たなくてはならないのだ。そして、その日は存外すぐにやってくることを、僕は知っている。
そしてなにより、稲葉だ。
稲葉は一切の講義や実習に出席していなかった。まあ、天才の彼女にとっては知っていることしか学べないのだろう。ほとんど僕の家のガレージのラボにこもりきりだったし、家のほうに来るのは風呂に入るときと寝るときくらいだった。僕は稲葉の姿から、その生活からも多くを学ぼうと思っていたので、少し拍子抜けしてしまったのも事実である。今のところわかったことは、天才というものは極めてハードワークである、ということだけだった。
もっとも不思議だったのは、ときどき稲葉がどこにもいなくなることだった。当然その動向すべてを把握しているわけでもないし、どこに行くなどいちいち連絡するわけもないから、それは家の中で猫を捜す作業に似ていた。どこかに紛れ込んでいないことを確認して、ようやく外に出ていったのだとわかる。常に家のそこかしこで稼働している小ロボットだけが、稲葉の存在を主張していた。どこでなにをしているのか、気にならないといえば嘘になる――どころか正直に言ってたいへん気になるが、まあ、稲葉にもプライベートはあるだろう。
意外と同じような天才がいて、そういう人と付き合っていたりするのかもしれない。
その人に会うために日本に来たんだったりして。
そんな非合理的でどうでもいい想像をして。
なぜか少し傷ついている自分を、僕は見て見ぬふりをした。
……そういうわけで、僕たちは順調に生活していたのだが。
肝心のコンペの準備については、順調とは言えなかった。
それどころか、壊滅的であったといってよい。
まず作りはじめる前の段階で、僕たちはつまずいていた。
「も、もうなにも思いつかない……」
僕はリビングのテーブルにつっぷしていた。あたりにはいろいろなアイディアを書き殴ったA4のコピー用紙と、色とりどりの付箋が散乱している。
ソナタはソファに横たわっていて、額には冷却ジェルシートが載っていた。あまりに知恵を絞りすぎて熱があるらしい。
「あ、あれはどうですか、映画館で落としたポップコーンを拾って集めて汚れを落として食べられるようにしてくれるロボット……」
「それは4時間前に出た」
「おうちのお掃除してくれるロボットってなんでダメだったんでしたっけ?」
「既に100万回商品化されてるからだよ」
「もういっそエイリアン作りません、すっごいリアルなやつ!」
「好みに走ったな。いや映画産業用アニマトロニクスはアイディアとしてはなくもないけど、既存技術との差別化がデザインセンスだけになるのは避けたい」
「なら困ったときにアイディアをいっぱい出してくれるロボットぉ……」
「それは今の人工知能でもうできる、というか、それを使った結果、採用できるアイディアが出てこなかったから今こうなってるわけで……」
「こんなんじゃ、1位取れませんよねぇ……はぁ……」
ぐったりとした僕たちのあいだに、絶望的な停滞の空気が漂う。
僕たちはコンセプトを決めようと、毎日アイディア出しを続けていた。
講義や実習はせいぜい1日に数時間である。僕たちは残りの時間を、すべてブレインストーミング――アイディアを広げることに注ぎ込んでいた。まずはなにを作るかを決めなくては、一歩も前に進むことができない。それを決めるのは僕の仕事であると、稲葉には見得を切ってしまった後だ。
だが。
どれだけ案を出しても、どこにも辿り着かなかったのである。
「そういえば、稲葉は?」
「なにを作るか決まったら教えて、って言って、また出かけちゃいました……こっちの様子はモニターしてるそうです」
小ロボットが、返事をするように目を光らせる。
稲葉に助けを求めたいのは山々だったが、それでは解決しないからこそ、僕たちはこんなに苦しんでいるのだ。
「稲葉ならなんでも作れちゃうだろうけど、だからこそね……」
そう。これを作りたい、と言えば、稲葉はひとりで実装してしまうだろう。それも、おそらくは完璧なものを。
それでは意味がないのだ。僕たちは発注者ではなく、チームメンバーでなくてはならない。稲葉に丸投げしたプロジェクトをプレゼンテーションで発表して、湖上教授の口頭試問を生き延びられるわけがない。
庄一とロボットコンテストに挑んだときは、解決すべき課題が明確だったし、自分たちが持っている技術も非常に限られていた。だから迷うなどという贅沢はそもそも発生せず、できることをやるだけで精一杯だった。
しかし今回、選択肢は無限にある。稲葉がいれば、なんでもできてしまう。だからこそ、どの選択が正しいのか、一向に定まる気配がない。
そのときだった。
ぐう、とソナタのお腹が鳴った。
「あ、あはは……」
彼女は笑ってごまかそうとするが、それは意味のない行いだった。
「はあ……晩ごはんにするか……」