第五章 SERVING ③
「せっかくだから映画見ながら食べましょう! 『エイリアン2』と『エイリアン4』どっちにしますか?」
リモコンを手にしたソナタは、テレビのスイッチを入れながら、ウキウキと僕の隣に腰を下ろす。
「待って待って待って」
「それとも映画見ながら食べるのはお行儀悪いですかね……?」
「いやそれは別にいいんだけど、その選択肢はどうにかならない?」
「あ、すみません! 1作目から見るのもいいんですけど、個人的には2と4がオススメなので、まずそこから見てほしくて! ちょっと古い映画ではありますけど、過去作見たほうが最新作も楽しめますし!」
「いやエイリアンってタイトルで言っちゃってるよね⁉ 大丈夫? 人間が食べられたりするシーンとかない?」
「あー……」
「あるんだ、その反応はあるんだね? ハンバーグと両立しないよねそれ」
「むしろエイリアンを見ようと思ってハンバーグにしたんですけど」
「そこは相性がいいって認識なんだ……」
「やっぱりこう、臨場感があるじゃないですか」
「……食べようか、冷める前に」
僕は目の前の料理を万全の状態で食べることのほうを重く評価し、他のすべてをあきらめることにした。
「電気消してきますね!」
「そこまでするのか……」
その徹底ぶりには少々驚かないでもなかったが、まあ作ってくれた人が望む食べ方をするのも、ひとつの礼儀というものだろう。
ともかく、僕たちはふたりでソファに並び、映画の再生ボタンを押して、20世紀フォックス、というロゴを確認すると。
「いただきます」
「いただきます」
声を合わせてそう言って、ハンバーグを食べはじめた。
ナイフによる切断。フォークによる輸送。口内の閉鎖。咀嚼。やがて破断されたハンバーグの肉汁とソースが口の中で混ざりあって、僕の味蕾を刺激し――
「おいしい」
そんな感想を、放たせる。
「ふふ、よかったです」
正直に言って、僕は驚いていた。店で食べるようなものよりも、ずっとおいしく感じられる。余計な味がひとつもせず、必要な味だけがする。ひとつひとつの食材が柔らかく、ふんわりとしている。
そしてその味覚情報は。
不釣り合いな視覚情報によって、徐々に混乱させられていくのだった。
『エイリアン2』の人体損壊は覚悟していたよりは控えめで、カット割をうまく使って直接的な描写を避けられてはいたものの、ハンバーグでないものを食べている気分になるのには十分すぎた。隣のソナタが嬉々としてハンバーグを頬張っているのを見て、これはこれで一種の才能なのではないか、とすら思う。
しかし、それを大幅に、地の底まで差し引いてなお、ありあまる満足感が、そのハンバーグにはあったと言わなければなるまい。
それに。
料理の味と、映画の趣味。
そのどちらもが、ソナタらしさなのだろう。
自分にとって都合のよいほうだけを受け入れて、それ以外を否定するのは、ちょっと違う気がする。チームとして? いや、多分、人として。
「本当においしかった、ありがとう」
僕はまだ続く映画に遠慮して、小声でそうソナタに報告する。
「元気出ましたか?」
「うん、食事は大事だな……」
「そうですよ! 大事です!」
食事は映画の前半そうそうに食べ終えてしまい、後半、僕たちは暗くなった部屋でひたすら続きを見ることになった。
映画がおもしろくなかった、というわけではない。しかしアイディア出しで疲弊し、お腹がいっぱいになって血糖値が上がった僕は、いささか集中力を欠いていることも事実だった。
「初さん、今の!」
「え、なに?」
「今のやつ、中身ロボットですよ! アニマトロニクスというやつです」
「なるほど……精巧だね、生きているようにしか見えない」
「そうですよね! カメラワークとか演出の工夫もありますけど、やっぱり動きそのものの完成度が高いと思うんです!」
集中力を欠いていたのは僕だけではなかったようで、ソナタもそうして実況しながら見はじめた。一応、映画をつけたソナタを尊重して静かに真面目に見ていたのだが、彼女が率先して話しはじめてしまったので、僕たちは会話を交わしながら見進めることになった。まあ、彼女は何度も見ている映画なのだろうし、僕は彼女ほど異星の完全生物が人類を食い荒らす描写に熱意を持っているわけでもなかった。
僕はその体験を、新鮮に感じていた。
家族とも、こんなふうに過ごしたことはなかった。暗闇、映画のシーンに応じて切り替わる部屋の色、わずかに残った料理の匂い、そして隣に座る人の温もり。
「……こんなこと言うと、引かれるかもだけどさ」
「なんです?」
「母さんがさ。よく作ってくれたんだ。ハンバーグ。だから、嬉しかった」
ついそんな話をはじめてしまったのは、多分、暗くて疲れていたからだと思う。
「その、前から気になってたんですけど。初さんのお母さんって――」
「死んだんだ。急に。脳出血で」
ソナタが凍りつくのがわかった。
映画の中で、エイリアンに襲われた人が悲鳴をあげていた。傷つき、食いちぎられ、結局主人公はその人を救うことができなかった。僕はソナタのほうを見ることなく、そのシーンをじっと見つめていた。
「⋯⋯素敵なお母さんだったんですね。羨ましいな」
ごめんなさい、というような形式的な謝罪を、彼女はしなかった。家には僕しかいないし、玄関には写真が置いてある。おそらくは薄々察していたのだろう。悲しむでも憐れむでもなく、ただ受け止めてくれたことに、僕はむしろ感謝していた。他人にこんな風に母親の話をするのは、はじめてだったから。
けれど、ソナタの言い方に引っかかるものを感じて、僕は先を促してみる。
「ソナタのお母さんは?」
「……わたし、父が会社をやってて、母はそのサポートで忙しくて。なんでも、もともと音大に行っていて、ピアノのプロになりたかったんだけど、子どもを育てるのが大変で、なれなかったらしくて」
「それで、ソナタ、って名前……」
「はい。わたし、ふたり年の離れた兄がいて、どっちも優秀なんです。だから、あんまり期待されてなくて。女の子はいい男を捕まえなさいって言われてて……今回も、友達の家でしばらく暮らすって言ったんです。そしたら、男の子なの、優秀なんでしょ、うまいことモノにしてきなさいよ、ですって。初さんに失礼ですよね?」
その理不尽な物言いに、怒りたい気持ちはあったのだけれど。
内容のデリケートさに、僕は怒るタイミングを逃してしまう。
「お料理も、ずっと習ってきたんです。母がやってるのを横で見て、同じことができるように。なんでも言われた通りにして。ロボットみたいですよね」
僕の代わりに、映画の中の兵士がエイリアンを撃つ雄叫びが、返事をした。