アポカリプス・ウィッチ 飽食時代の【最強】たちへ

序章 ⑥

「人間にとって一番つらいのはね、忘れられる事よ。何も残せなくて、この教訓を誰もかしてくれない事。だからやっぱり、この子達は喜んでいると思うわ。望み通りの人生じゃなくても、それでも拾ってくれた誰かがいるって分かればね」


 もう一度。

 もう一度だけ、うたがいカルタは台座に飾られる水晶の少女を見上げた。

 どんな表情を浮かべているかは自分でも把握なんかできない。

 それでも彼は、単なる置物に向けるのとは違う声色でこうつぶやいていた。


「行ってきます、先輩」



 待ちに待った……と言うほどお利口さんなつもりはなかったが、一時間目がいきなり潰れると知った時にはうたがいカルタもちょっと驚いた。悪友が言うには、


「例の難問排除だよ。視察訪問に来るって言ったろ、全校集会だってさ。どうせなら『全学大会カタストロフ』の開会式とかにドカーンと登場してくれりゃ良かったものを」

「なるほど」


 他の生徒達に混ざって、マリカやゲキハと一緒に教室から廊下へ。ちなみにアイネはここにはいなかった。今はカルタの腹の中だ。もちろんグロテスクな意味ではなく。

 ひたすら広く、天井の高い空間。

 一面磨き上げられたフローリングの床。

 数多くの高輝度照明。

 かべぎわに設置されたバスケットゴールに、演劇舞台のような壇上。

 ……どこの学校にでもある体育館だろうが、これが一隻の船の中に丸ごと収まっていると聞けば誰もが驚く。床一面を分厚いビニールシートで覆われ、お行儀良く数百ものパイプ椅子が並べられた光景は、入学式か卒業式のようだった。

 男子と女子で大きく切り分けられてしまうため、ストロベリーブロンドに染めたド派手なツインテールのマリカともいったんお別れ。

 隣のゲキハはつまらなさそうに言った。


「くそっ、赤道直下だってのにエアコンぶっ壊れてんじゃねえだろうな。例のにつしよくのせいでひでえ熱帯夜だ、あっちい……」

「生徒だけで六〇〇人、先生入れたら七〇〇人に届くんでしょ。これだけの人が入る事なんて想定されていないって」

「こーれで学園長の長話が始まるんだぜ。ああもう、あのじいさんが真っ先に熱中症で倒れりゃいんだ。ちっとは人の痛みを知りやがれっての」


 ぶつくさ言っている内に『式典』が始まった。

 最初に出てきたのは難問排除の五人組ではなく、やはり予想通りロマンスグレーの学園長だった。人望が厚く、経営能力も高く、政治的な駆け引きもお手の物、何より魔法の才にけた傑物。絶望的なスピーチの長さはきっと神様が帳尻を合わせたんだろうとうわさになっていた。

 老紳士は壇上のマイクを借りて、ゆるゆるとことだまのない原稿を垂れ流していく。


『ええ、このたびせつたくする諸君へさらなる刺激を用意させていただいた。刺激はい、あらゆる学問の種とも言うべき存在だ。もちろん種は種だけでは成立せず、きちんとした土壌を用意し、水を与え、陽の光を浴びせる必要がある。これが何を意味しているかは賢明なる我が校の諸君ならば自然と理解しているはずだが……』


 かんしきっていた。

 彼は自分が話すのが楽しいのであって、他人にどう思われるのかはあまり重視していない。うるさい生活指導のようにだらけた生徒を見つけて金切り声を上げるタイプでない事は知れ渡っていた。


『……そこで今回は実際に世界各地を渡り脅威と戦っている、難問排除と呼ばれる五名の先人の声を聞かせたいと思う。種はいた。どういう方向へ伸ばすかも含めて、生徒諸君は正しい判断を!!!???』



 だから。

 突然の破滅的な中断の、意味が分からなかった。


「……あ……?」


 その瞬間。

 うたがいカルタは目の前で明らかに人間が終わったにもかかわらず、声一つ上げる事はできなかった。

 あまりにも鮮やかな、その命の刈り取り。

 老紳士の頭が丸ごと吹っ飛び、全身がビキバキと音を立てる。かろうじて水晶魔法使いとしてのきようが勝ったのか、その肉体が衣服を含めて急速に透明化し、コールドスリープのように固まっていく。

 ゴトン、と首なし水晶像と共にマイクの倒れる大きな音の方にびっくりするほどだった。それくらい、知覚と認識が遅れていた。

 おそらくは、何かを投げた。

 剣、やりおのつえ。それが何であるかは見えなかったけれど。

 かつこつと。ただかつこつと。

 そんなゼンマイの切れた人形達の見ている前で、新たな人影が舞台袖から壇上へ。それは女だった。あまりにも中性的で、一瞬性別の判断に迷ってしまうほどの、長身で細身の、長い白髪を垂らしたパンツスーツの女。

 ビリビリと、嫌な予感がカルタの全身を包んでいた。

 そいつは足元に転がる頭のない水晶像にいちべつを投げる事すらなく、転がっていたマイクを蹴り上げて片手でつかむ。口元に寄せ、そして宣言する。


『無能』


 一言。突き刺すような、まさに全否定。


『無能、無能、どいつもこいつも全員無能。よって、洋上水晶魔法学園グリモノアは現時刻をもって廃校処分とする!!』


 ようやく、ようやっと。

 ガタガタガタン!! と一斉に少年少女達がパイプ椅子から勢い良く腰を上げた。その音だけですでに洪水だった。普通の人間だったら、わき目も振らずに逃げ出していたかもしれない。あるいは逃げる事もできずにへたり込んでいたかもしれない。だがここは洋上水晶魔法学園だ。全世界の国や州や街を無差別に消滅させる脅威と戦うために用意された次世代の戦力だ。その胸に水晶花を挿す一軍の中の一軍が、無能呼ばわりに異を唱えるべく壁のように立ち塞がろうとしたのだ。

 赤色がなく、無機質で非現実的な水晶の破砕しかないのも恐怖をさせ、無謀に拍車をかけたのか。

 人が一人死ぬ事よりも。

 プライドを傷つけられた事の方が大事だと言わんばかりに。

 隣ではかざむきゲキハも立ち上がっていた。女子の列ではマリカも立ち上がっているかもしれない。そこはもう人の森だった。うつそうと生い茂る森。

 でも、だけど。

 うたがいカルタだけは、立ち上がらなかった。むしろ汗びっしょりのままうずくまって、森の中に隠れようとしていた。

 だって。

 学園長はロマンスグレーの老紳士だった。一見して腕相撲なら簡単に勝てそうだった。だけど実際には、彼は優れた魔法の才を持ち、これだけ巨大な水晶魔法の学校を設立した本物の傑物だ。それが、ああもあっさり? ありえない、まともな人間では絶対にあんな事できない……!!

 うずくまりながら、カルタは必死にゲキハのズボンを引っ張り、サインを送っていた。

 水晶状のチェーンソーとガトリング砲を組み合わせたような凶悪極まる武装を手にしたまま、げんな顔をするクラスメイトに、少年は汗まみれの顔を必死に振っていた。

 横に。

 直後の出来事だった。


『無能』


 スピーカーから、再びの声。


『我が身は難問排除の一つ。相対してなお、彼我の力の違いすらも分からぬとはな』



 ゴッッッバッッッ!!!!!! と。

 いきなり、白髪の女の真後ろ。壇上の壁がぶち抜かれた。


 足元が揺れる。

 いいや、あまりの超重量に豪華客船のような学園全体がかしいでいる。


『インドの変神ヴィシュヌにねがう……』


 へんする神の力。しかしそもそも、それは一体……何だったのだろうか。

 はべり。

 寄り添う、あまりにも巨大な影。

 剣のようだったし、やりのようだったし、おののようだったし、つえのようだった。そもそも武器に限った話でもなく、盾やよろいでもあった。びた冷蔵庫や電子レンジのようなもの、潰れた車やコンテナのようなもの、そもそもバネや歯車といった部品さえも珍しくなかった。

 一つ一つに意味なんてなかった。


刊行シリーズ

アポカリプス・ウィッチ(5) 飽食時代の【最強】たちへの書影
アポカリプス・ウィッチ(4) 飽食時代の【最強】たちへの書影
アポカリプス・ウィッチ(3) 飽食時代の【最強】たちへの書影
アポカリプス・ウィッチ(2) 飽食時代の【最強】たちへの書影
アポカリプス・ウィッチ 飽食時代の【最強】たちへの書影