銃声と共に、俺の間近にあったバス停のベンチの一部が粉々に散った。
間違って人のいる方に飛んでっちゃいました、じゃあない。
明らかに俺を狙うために撃ってやがる!?
「……ッッッ!?」
誰が?
何故?
自分で発した疑問に自分で答える前に体を動かす事ができたのは、もちろん理由がある。
猟銃の破壊力がどの程度のものか、正しくイメージできなかったからだ。たとえ目の前でベンチを砕かれても、それが自分の肉に突き刺さった場合にどれぐらいの痛みが炸裂するかなんて想像もできねえ。
なまじ、これがナイフや金属バットなら、明確に痛みをイメージできる分、足がすくんで何もできなかっただろう。
威力の高過ぎる猟銃より、無音で迫りくる電気自動車の方に威圧感を覚えたほどだ。そして道路にいるのは危険だと思い、急カーブを描く山道のガードレールの向こう側に目をやり、五メートルほどの崖に心臓を鷲掴みにされたほどだ。
危険が大き過ぎる事が、逆に突破口に繋がる。
高い所から飛び降りるとか、猟銃の銃口から明確に逃れるとか。
そういう事は頭になく、ただ『向かってくる自動車を避ける』意識でガードレールの先へ身を乗り出す。
飛ぶ、という感覚はやはりなかった。
勝手にバランスは崩れ、覚悟を決める暇もなく傾斜七〇度の土の崖を転がり落ちる。
「がァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
視界が回る。
全身に鈍い痛みがめり込んでくる。
呼吸が止まる。
皮膚という皮膚がじくじくと沁みる。
転げ落ち、背の低い茂みの枝をバキバキと折り、草葉の潰れる青臭い匂いと、赤黒い鉄の匂いが混じり合う。どこかが折れたという感じじゃねえが、とにかく力が入らねえ。呼吸がおかしい。罰ゲームでもらったボディブローを思い出す。やり過ぎた。猟銃も電気自動車も全部忘れて後悔するほどの痛みと苦しみが襲いかかってきやがる。
現実を思い出させてくれたのは、頭上から炸裂する爆音。
二連式の猟銃が奏でる発砲音だ。
つーか崖から落ちたぐらいじゃ許してくれねえってか!? こっちはただの高校生だ。あんな大仰な準備を進めて狙われるような心当たりなんてある訳ねえぞ!!
「ち、くしょう……!!」
とにかく遮蔽物を探して走るしかねえ!! ……と、痛む体を引きずり、慌ててガサゴソ下草をかき分け木々の間を抜ける形で動き始めてから気づいた。本当に相手がこっちをじっくり狙って撃ってきたら当たっているはずだ。今のはこっちを見失った襲撃者が、俺の反応を窺うため適当に撃っただけだ!?
まんまと引っかかっちまった。
物音で完璧にこっちの位置はバレたはずだ。
全身から血の気が引くのが分かるが、今から取り消す事もできねえ。とにかく足で安全を確保するしかねえみてえだ!!
スーツの襲撃者もあの高さから飛ぶのには躊躇するだろう。しかしいずれ覚悟を決める。それまでの間に少しでも距離を稼ぐしかねえ。
普通に考えれば、猟銃相手に走って逃げても助からねえと思うだろう。だが諦めるのは早い。連中が使っているのは安田銃砲店の三二式で使っているのは散弾。隣のじーちゃんが使ってんのと同じだ。ライフル弾タイプに比べれば射程はかなり短い。その上、周囲は高級なヒノキの木々が生い茂っている。距離を稼げば稼ぐほど、間に挟まる遮蔽物の密度は増してくれる。四〇から五〇メートル辺りが最大殺傷範囲だ。一〇〇メートルも離れれば、仮に当たったとしても致命傷にはならずに済む。
実際には、違うのかもしれねえ。
ド素人の高校生が見当違いの事を考えているだけかもしれねえ。
だが間違いだろうが何だろうが、楽観論は足がすくむのを防止してくれる。
木々の間を駆け抜け、下草を踏み潰しながら、俺は最低限の機能しか期待されていない、カメラのレンズさえぶっ壊れている携帯電話を取り出す(スマホもあるけど、大抵座敷童にスラれて音楽プレーヤー代わりにされている)。山の中であってもアンテナが三本立つのがインテリビレッジの良いところか。一瞬、これで居場所を探知されるのでは、という懸念も頭をよぎったが、どのみち襲撃者側から目視で確認できる距離しかねえから意味はねえ。
ただし、掛ける相手は一一〇番じゃない。救援なんて絶対間に合わない。そもそも通報してから真っ先に動くのは村にある小さな交番だろう。この時間、いるのはおじいちゃんが一人だけ。彼がそんなに優れたエリートソルジャーなら、高級フルーツを作っている業者は武装警備員なんて自腹で雇ったりはしないのだ。
構わず電話を掛けた。
運動部所属も顔負けの快活な声で、クラスメイトは通話に出る。
『どしたー? 忘れ物とか?』
「惑歌さん。ちょいと質問したいんですけどね!」
『夏休みの宿題ならやってないよ』
ドパァン!!!!!! という、間近の落雷にも似た銃声が炸裂する。どこかで木の皮がはがされる鈍い音も続く。根拠ゼロの楽観論が的を射ていたと信じて俺はさらに前へと走る。信じるしかねえ。根拠ねえけど。恐怖が実感として追いついてきたら動けなくなる。だからとにかく生き残るために都合の良い事ばかり考える。逃げる。半ばやけくそ気味に、叫ぶように会話を続ける。
「雪女に遭ったってのが危ないとか言ってたけどさー!!」
『うんうん』
「遺産相続エージェントってのがヤバ過ぎな事も知ってたんじゃねえだろうな!?」
『すごーい。忍クンもうそこまで辿り着いちゃったんだー』
「ぶっ殺すぞこの野郎!! 何で先にそれ教えなかった!?」
どこかから水の流れる音が聞こえてきて、思わず顔をしかめる。川があるという事は、木々の遮蔽が途切れる。狙い撃ちにされるリスクが増す。だが足を止めるのも無理。危険と知りつつ直進を続けるしかねえ。
そんな現状を知ってか知らずか、惑歌は極めてあっけらかんとした声で、
『えーだってー。面白い話を期待しているのに、先にそんなの教えちゃったら丸ごと台無しっていうかさー』
「……!!」
生き残るための勇気をありがとう☆
何があってもあいつ一発ぶん殴る!!
『遺産相続エージェントってのはね、法的な順番を無視して依頼人の希望通りに遺産の譲渡を成功させるっていうのが売り文句のビジネスなの。ちょいとアクティブな弁護士集団って感じかな。この辺は「サナトリウム」でも話したよね』
「まっとうなビジネスなら猟銃持ち出したりはしねえよな! どうせブラックな部分があるんだろ!?」
『問題なのは遺産の移動方法にあってね。法的順番を無視して譲渡するなんて、普通は無理なの。だから依頼人から息子を飛び越えて直接孫へ、とは渡さない。裁判所に止められるのが分かっているから』
木々が切れた。
思わず足を止めると、眼前に小川と河原がある。幅は合わせて三〇メートルほど。しかしゴツゴツした石や水の中では普段のペースは出せねえはずだ。もたもたしている間に追いつかれれば狙い撃ちされちまう。
『依頼人は資産を一度遺産相続エージェントへ譲渡するのね。遺産相続ではなく、資産贈与の形で。そこからさらに別人へ贈与する分には「会社から特定の人物へ」だから、孫にだって愛人にだって好きなように割り振れる。贈与税が二回もかかるから取り分は減るけど、遺産相続エージェントが預かった時点で「資産運用」しちゃえば失った分は取り戻せる』
「惑歌の大好きなデイトレードとか?」
『インテリビレッジ関連なら、高級作物の先物取引とかもありかな』
ガサゴソという草木をかき分ける音が徐々に近づいてくる。