「遺産相続エージェントはすでに何組かの富豪から大金を巻き上げているらしいからな。儲けは出てる。身分を変えたり行方を晦ませたりするために、もっと大きな犯罪組織に『パッケージ』を売り込む算段なのかもしれねえな」
そもそも、凍傷騒ぎが起きていた頃、遺産相続エージェントは詐欺に失敗しかかってそのリスクまで露呈している。状況は彼らの計画通りとは評価できねえだろう。ひょっとしたら、遺産相続サービスの最優先目標はすでに『大金を巻き上げる事』から『安全に逃走する事』へシフトしている可能性すらある。
「売り込んだ『パッケージ』がその後に不具合を起こしたら、大きな犯罪組織から命を狙われかねない。だからリスクは承知で『サナトリウム』に残り、細心の注意を払ってデバッグを続けているといったところかな」
「あるいは、そもそも『パッケージ』をアセンブルするのが目的で、大きな犯罪組織にせっつかれて『サナトリウム』へやってきた可能性も否定はできねえが……まぁ低いな。ただのテストプレイなら本物の富豪を狙う必要はねえし」
「ふうん。となると、『サナトリウム』の詐欺事件と雪女の関連に気づく可能性がある忍を、遺産相続エージェントは全力で消しに来たって訳なのね。『パッケージ』完成前に横槍を入れられて骨子を歪められるのも避けたいだろうし」
「そーゆー事」
「……ますますきな臭くなってきたね。大きな犯罪組織とか。夜の埠頭で銃撃戦とかあってもおかしくない空気になってきたよ」
「でしょでしょ」
「しかも致命誘発体の雪女が絡んでいるとか。お金を巻き上げられずに済んだお客さんが凍死しかかったって事は、作為的に失敗すれば雪女を攻撃的に扱う事さえできる可能性がある訳よね。組織、銃器、超常の組み合わせ。地方警察の警官程度で何とかなる相手なのかしら」
「だからご相談しているのですよグータラ座敷童。いやーまったく何であのタイミングで雪女なんかに出会うかね俺は」
「そんな大バトルが待っているならやっぱり私の出番じゃないなあ。ぼんぼぼんぼぼぼぼぼんボンサーイ」
「だから飽きるな!!」
10
電気駆動のバスを使って『サナトリウム』に戻ってきた。
建物の中で詐欺の準備に大忙しなスーツの男達はギョッとしたような顔になったが、ここで猟銃を持ち出せば流石に富豪達が直接雇っている武装警備員達が安全確保のため一斉に動くと判断したのだろう。ぶるぶると小刻みに震えていたが、横を通り過ぎる俺に手を出す事はできねえ。
「惑歌」
「ほいさー」
良く見るとあちこち物々しい待合室で再びクラスメイトと合流する。
「雪女を利用した『パッケージ』の詳細を暴くって言っても、具体的にどこを調べる訳? 言っておくけど聞き取り調査とかは難しいと思うよ。『サナトリウム』って偏屈な富豪が集まるホテルみたいなもんだから。ご近所付き合いなんて概念もない。私の口添えは職員さんにしか通用しないからそのつもりで」
「多分そっちはいらねえよ」
俺はパタパタと手を振って、
「今回の『パッケージ』のキモは、そのものずばり『約束』に集約してる。見逃した事を喋ったら殺す、その後他の女に化けて結婚を迫る。この二段構えの応用で資産を譲渡させる訳だな」
ここで言う『結婚』は、もちろんお役所仕事で婚姻届をあれこれする事じゃない。雪女が攻撃のトリガーに使う、口約束の『結婚』。つまり重要なのは『結婚』ではなく、それを約束させる事にある。だから本来は中心に来るはずの『結婚』を別のものに挿げ替える事もできる訳だ。
「理想的じゃない? まず詐欺集団の事を誰かに話したらアウトって予防線を張った上で、無茶苦茶な取引を迫る。当然断ったらペナルティ。上手く雪女の特性や条件をスライドさせられれば、決して表面化されない巨額詐欺事件のモデルケースになるわ」
「だったら大量の死人が出ると思わねえのか?」
俺は眉をひそめて言う。
「『絶対確実に遺産をコントロールしますのでどうぞよろしく』『何も怪しい事はありませんからさあ全額どうぞ』……こう言われて頷くヤツがいたら相当の馬鹿だ。普通の神経してたらまず怪しむ。現に、初期の遺産相続エージェントは失敗していたみてえだし」
「でも、約束を拒んだら死ぬんでしょ? だったら」
「だったら拒んで死んじゃうヤツが出るのが普通だ。雪女が組み込まれている事を本当に信じられねえ人達がな」
あ、と惑歌が声を上げた。
思い当たる節があるんだろう。
「例の凍傷騒ぎだよ。おそらく最初は雪女をダイレクトに使うか、エージェントの連中が『直接』老人に取引を持ちかけたんだろう。そして失敗し……危うくペナルティで老人を死なせかけた。あの時点である程度、雪女の特性や条件をいじっていたから死人までは出なかったようだが、それでも威力が強過ぎたんだ」
「だから遺産相続エージェントは方法を改めた」
「そもそも疑問を抱かせねえ方法で『約束』させる。引っかかりさえ感じさせなければ、凶悪なペナルティで老人を死なせずに済む。最初の入り口だけが問題なんだ。雪女の『約束』の中に取り込めれば、後は自由に料理できる」
「そんな方法あるの?」
惑歌は懐疑的だ。
「遺産相続エージェントの話術自体はそれほどレベルの高いものじゃない。雪女を組み込んでも凍傷騒ぎを起こして失敗しかけたぐらいよ。そもそもの話ベタが何を底上げしたところで、結局ボロが出るのは同じなんじゃない?」
「だろうな。だからそもそも話さねえ。ターゲットの老人だって、そんな『約束』がある事すら知らねえんだ」
「……?」
「前に遭遇した『パッケージ』じゃ、こんなやり方があったよ」
俺は一度短く区切ってから、
「フリーソフトの利用規約にこっそり紛れ込ませる形で『約束』させるパターンさ。誰も読まねえ、でも同意しないとソフトを利用できねえ。そういう長文の中にこっそりとな」
「まさか……」
「ここにもあるんだろ」
俺はあちこちを見回し、
「『サナトリウム』の利用規約。惑歌だって目を通した覚えはないんじゃねえか? そこに細々とした条文を追加できるとしたら、得体のしれねえ妖怪と『約束』させたがっている連中にとっては都合が良過ぎるぜ」
利用規約の原本は『サナトリウム』正面のカウンターに置いてあるらしい。利用客ならともかく職員には顔が利くらしい惑歌の応援を受けて、俺はその電話帳みたいに分厚い利用規約の原本に目を通す。
甲は乙の管理する施設の利用に際し、内部へ持ち込んだ物品を常に乙へ開示・説明する義務が生じる。
甲が乙の管理する施設を利用する間、乙は甲の所有物の保護に全力を尽くすが、これは努力目標であって義務は発生しない。よって、乙の管理する施設の利用中に甲の所有物が紛失・破損したとしても、乙に補償義務は生じない。
甲は乙の管理する施設を利用する場合、乙の管理する備品を適切に取り扱う義務が発生する。甲がこの義務を怠り、乙の備品を破損させた場合、甲はその全額を補償する必要がある。
「……何でこう、利用規約とか契約書ってヤツは堅苦しい言葉でまとめたがるのかね」
「流し読みさせるためでしょ。ほら、こことか汚ねー。利用客のお財布がなくなっても施設は責任は取らないって書いているのに、施設の備品を壊した時は例外なく利用客が全額弁償だって」
「ただ、雪女絡みのワードが付け加えられている痕跡はないな」
乙の管理する施設の利用中に甲の所有物が紛失・破損したとしても、乙に補償義務は生じない……という辺りはクサいと言えばクサいのだが、この一文だけで雪女がターゲットの財産を巻き上げるには言葉が足りない。
「読み違えちゃったかな?」
「いや……」