竿はボールペンぐらいの長さで収納されていたが、伸ばすと五〇センチ程度───わかさぎを釣るための竿のような形になった。とはいえ、無駄に軍事技術を応用したカーボンナンタラとかで、強度と柔軟性は抜群なのだろう。餌はなく、代わりに毛鉤が数個用意されていた。どうやら餌を消費しないで釣るための方法が模索されているらしい。
その辺をうろうろ歩き、曲がりくねった川を見つけたクウェンサーは、表面に張っていた氷を割って釣り糸を垂らしながら、
「うーん、今日も平和だ」
と、戦場の最前線で思わず呟いてしまうのだった。
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しかしまぁ、素人の学生が頑張ったところで、そうそう簡単にサバイバルキットなんぞ使いこなせる訳もない。元々、ちゃんとした釣り竿を使っても魚を釣れるかどうかも分からない有り様のクウェンサーは、いつまで経っても待ちぼうけだった。
遠くから、断続的に発砲音が聞こえる。
もちろん敵国の兵士が間近まで迫っているのではなく、鹿を求めるヘイヴィアが今夜の晩ご飯を追っているのだろう。今のご時世、超大型兵器オブジェクトの控えている整備基地ベースゾーンへ生身の兵隊が攻めてくるなんて事は確実にありえない。それは核シェルターの壁をタックルで破壊しようというようなものなのだから。
と。
そんな風に考え事をしていたクウェンサーの耳に、さくさくと雪を踏むような足音が聞こえてきた。
「何してるの?」
振り返ると、一人の少女が怪訝そうな顔をしていた。一四歳ぐらいの、派遣留学の学生クウェンサー以上に軍隊には相応しくない感じの少女だ。
肩にかかるほどのふわっとした金髪に、色白の肌。単純な青というより空色に近い瞳は、どこかボーッとしているようで感情を掴みにくい。
華奢を通り越した繊細な体のライン。
彼女の台詞はクウェンサー本人に、というよりは、遠くから聞こえてくる銃声に対して話しかけているような調子だった。
対して、クウェンサーは素っ気ない口調で答える。
「今夜はバーベキューだ。俺がシャケ係でヘイヴィアが鹿係。言い出しっぺが心配するのも何だけど、鹿の肉って美味いのかな。食った事がないから実は結構不安なんだよ。味にクセがなければ良いんだけど」
「……やさいのないバーベキューなんかやってると、その内死んじゃうよ」
少女は箱を開けてくだらない物を発見したような顔で、ため息をついた。
クウェンサーはいつまで経っても反応のない竿から目を離し、
「お姫様はどちらまで?」
「わざとおこらせようと、ちょうはつしてる?」
少女はあまり動かない表情を、その時だけムッと変化させる。
とはいえ、正直クウェンサーは少女とあまり面識はなかったし、接し方も良く分からなかった。おそらく少女の方も、気紛れで話しかけているだけなのだろう。何らかの必然性があって、この少女とコミュニケーションを取らなくてはならない状況が生じるとも思えない。
そう。
『エリート』と呼ばれる───超大型兵器オブジェクトのパイロットとなんて。
このアラスカの整備場で仕事を手伝っている時には、たまに挨拶程度の会話を交わす事はあるが、それで親交が深まっているとは思えない。掃いて捨てるほど余っている学生と一国の中でも限りある人数しかいないエリートとでは、あまりにも立場が違いすぎる。
彼女の服装はクウェンサー達のものとは違い、操縦士エリート専用のものだ。そのスーツの形状は、何と表現するべきだろうか。明らかに普通の軍服などとは違う。藍色を基調にした、首から手足の先までピッタリと覆うスーツ。ブーツや手袋は着脱式らしいが、ファスナー状のパーツで繋ぎ合わせられるようだった。
さらにその上から胴を守る黒の装甲ベストと、ミニスカートのように広がるポケット類が取り付けられている。こちらは実際にオブジェクトを操縦する際はベストの下端とポケット類の上端を繋げて一体型にするらしいのだが……。軍の伝統なのか、彼女のスーツの首元にセーラーの襟が取り付けられている事も手伝って、現状のツーピース型の状態だと、どことなく『安全国』の学生服のように見えなくもない。
その実、強力な撥水性によって着たまま水中活動が可能であり、空軍用のスーツのように『下半身の血を止めて、脳の機能低下を防止する仕組み』まで組み込まれている。何というか、陸海空の既存の軍を全て圧倒する、いかにも『オブジェクトらしい』特殊スーツなのだった。
その青ではなく空色の瞳も、初めて整備場で見た時は本当に光を放っているように見えて、クウェンサーは驚いた記憶がある。ただしその印象は間違いだ。正確にはオブジェクト操縦時に微弱な赤外線を利用して、眼球の動きすら入力デバイスに組み込んでいるため、長期間のレーザー照射で元々は青かった瞳の色が薄く変質してしまっているのだ。
もっとも、これは『レーザーで瞳孔のレンズ機能が無秩序に壊されている』のではなく、『効率良くレーザーの効果を発揮するために進化している』のであって、一定以上瞳の色が薄くなる事はないらしいのだが。
少女はエリートの証拠である薄い色素の瞳をクウェンサーに向けて、こんな事を言う。
「オブジェクトはせいびちゅう。ひまだから外をブラブラしていたら、なんかバンバンおとがきこえてきたの」
「……ヤッベ。基地の中まで届いていたか。となると説教が待ってるかもな」
「あと、きちょうなオブジェクトのメンテナンスなのに、あのコゾウはべんきょうするチャンスをぼうにふってどこであそんでいるんだって、チーフのおばあさんがどなってた」
「ヤッベエ!? そいつは本格的にまずそうだ!!」
思わずガバッとベースゾーンの方へ帰ろうとしたが、
「……いや待て。どうせ今からダッシュで戻っても説教されるんだよな。だったら手ぶらで怒られるか、シャケを手に入れてから怒られるか、だ。……そうかそうか、これは一匹でも釣り上げるまでは死んでも帰れなくなってしまったぞ」
「そんなふうにふまじめだから、いっつもおこられるのよ」
ほとんど現実逃避気味に釣り竿へ戻るクウェンサーに、少女は心の底から呆れた視線を向ける。どうやら本当に暇なのか、あるいは正規の軍人以外の者が珍しいのか(軍人にとってオブジェクトの運用は死活問題なので、それを操る『エリート』の少女に不用意に接触して、万が一にも不慮の事態に陥らせる訳にはいかない、という意識が働いているらしい)、今日は何だかいつもより食いついてくる。いつもは整備場でメンテナンスを手伝っていても、一言二言ぐらい事務的な言葉を交わす程度の関係なのだが。
(……もしや、このお姫様もレーションに飽きてシャケに興味があるのか?)
とも考えたが、そんな事を言えば流石に機嫌を損ねてしまうだろう。
そんな感じで、会話のきっかけを探しているクウェンサーだったが、少女の方が続けてこう話しかけてきた。
「あなた、オブジェクトのべんきょうに来たんでしょう?」