「早いわよねえ」
改造チャイナドレスの緑娘藍が、凍った林檎をプラスチックのフォークでジャコジャコ崩しながら適当な調子で呟いた。
「ちょっと前はトイドリーム35とか言って、この街もてんやわんやの大騒ぎだったのに。もう四〇に増えている。ま、この分だとすぐに五〇のキリ番に霞みそうだけど」
「ネット漬けの妹とて時代の流れにはついていけないのです。つまり永遠の一四歳。お兄ちゃん愛して……」
なんか『うまい事言った』的なドヤ顔をしている愛歌を軽く無視する城山恭介。
「早い早いって言えば、僕達がこうして集まっているのも不思議なような。というか、より正確には愛歌とリューさんがお化け退治だの古文書封印だの本来の業務そっちのけで仲良く笑顔で殺し合っていた訳なんだが」
「何を言っているのですかこのお兄ちゃんめ。『不殺王』のお兄ちゃんが涼しい顔して一番暴れ回っていたのです」
「いやいやいや。そんなまさか」
「ああ、確かにあれは酷かったわ。年中水着のアホの子も相当だったけど、恭介ちゃんは頭一個飛び出ていたし」
「……オカルトを一切用いずに隠し武器だけで渡り合う年増にあれこれ言われたくないのです。多分あんなのはかなりの年の功がないと為し得ないのです」
「あー肩凝る。おっぱいって邪魔よねえ」
「年増が黄金の鉄板ワードで挑発してきたのです!! ラぁぁイガーぁぁぁ……!!!!!!」
「ふふふはは。そのペットちゃんは獣としても依代としても優秀でしょうけど、あなたが指鳴らす前に急所を五つは破壊する自信があるわよ。『瘦身暗器』を舐めないでちょうだいね? まな板ならともかく肋骨浮いている洗濯板だとちょっと痛々しく見えるわよ誰が年増だ」
ガカァ!! と両者の間で落雷のようなオーラが炸裂したので、恭介はそっと輪の外へ避難しようと考えた。もう林檎のシャーベットも奪われたし、今から五メートルの猛獣が暴れるって言っているし、その五メートルを生身で仕留めると公言するお姉さんが不敵に笑っているしで、ここに残っていたって良い事は何にもなさそうだからだ。
「おっと、そうは問屋が卸さないのですお兄ちゃん……。というか、妹のバトルをコンマ一秒で見捨てる兄とかどういう了見なのですか」
「というかね、愛歌から頼まれたおつかいも終わったし、僕はもう帰って寝たいんだけ……」
「ライガー」
ビキニの少女が軽く指を鳴らす。途端に彼女のソファが動き、母猫が子猫を運ぶように上着の首根っこを甘嚙みされた恭介は大人しくなった。
ソファを失った愛歌はガラステーブルへぐでーんと上半身を投げたまま、
「おつかいは口実に決まっているのですお兄ちゃん。大事な話があるのを忘れてないですか?」
「何がよ」
「『不殺王』の通り名を持つお兄ちゃんが、何を血迷ったのか召喚儀礼の業界から足を洗うなんて言い出した事についてですこのすっとこどっこい」
「だんだっ、だんだんっ、だだだらっだだだだーん♪」
「ちょ、恭介ちゃん。なにイントロ口ずさみながらコンビニの小さなケーキ取り出している訳?」
「なにって召喚業界卒業記念な訳だが」
「セルフケーキとか哀し過ぎる!! じゃなくて、あれが冗談じゃなかったとしたらお姉さんも困るわよ! というか引退するくらいならお姉さんがもらっちゃう!!」
「お兄ちゃんは私のなのです……! もしもお兄ちゃんが他の誰かになびくというなら、その顔にデカデカと愛歌ちゃん印を焼印でスタンプしてやるのです。お兄ちゃんが一体誰のものなのかを、いつでもどこでもすぐに思い出せるように……!!」
「恋愛沙汰を絡めただけで『不殺王』もらえるっていうなら私だって本気出すわよ! ストーカー気質の自覚があって自らに恋愛を禁じた大人の女がスイッチ入るとどうなるか教えてあげるわ。ペットボトルの水の味がおかしい? それは私の残り湯だから当然よ! カッ!!」
「やめてどっちも気持ち悪いッッッ!!!!!!」
何やら不穏な名前で呼ばれているワケアリ恭介が女の子みたいな声で叫んだ。
「……そもそも、これって二人には半年前から相談してきた事だろう? 事件に一区切りがついて、僕は召喚に使う依代を失ったんだ。卒業したっていう方が正しいけど。そして半年経っても新しい依代と巡り合えなければ、そこですっぱり召喚儀礼の業界から足を洗うって」
「うっ……。そんな約束も、していたような」
「今日が期日の半年。でもって、僕の横には新しい依代なんていない訳さ。なら、そういう事で。そもそも召喚師って言ったって依代がいないと何も呼び出せないんだし、縁がなかったって事なんだってば。僕はほら、最強の召喚師になるとか、まだ見ぬ被召物の可能性を模索するとか、そういう目的を持って息巻いている訳でもないんだし」
「……逆に不思議よね。特別なモチベーションもなく、そこまでのらりくらりとやっていて、どうしてあんな上位まで上り詰める事ができたのかしら」
「僕だって知らないよそんなの。『呪いの言葉』を耳にするたびに仕方なく人を助けてきた。で、気がつけば妙な通り名で呼ばれるようになっていたんだろう? それ以外には何もないね」
「そこに痺れるお兄ちゃんなのです……。具体的には『呪いの言葉』を言うごとに毎日妹のご飯を作りに来てくれて、水着を洗ってくれるので助かるのです」
「いやこれからは自分でやらないと駄目だろうが。僕は引退するって言っているんだからさ」
だから、と恭介が続けようとした時だった。
恭介の衣服の首回りを甘嚙みしていたホワイトライガーが口を離すと、ぐるぐると唸り声をあげた。愛歌は小さく首を傾げつつ、
「そういえば、お兄ちゃんが来た辺りからライガーが落ち着かないのです。お兄ちゃん、途中で唐揚げとか肉まんとか買い食いしてきたのですか……?」
「ああ、多分あれの事ではないかな」
呟くと、恭介は部屋から出て行った。
廊下か玄関に何かを取りに戻ったのかな、と二人の女性は考えたが、直後に脳裏に別の考えが浮かんだ。
……さりげない流れを作って逃亡したのでは?
ガタガタン!! と慌てて廊下へ飛び出す愛歌と緑娘藍。
だがそこで、彼女達は何かに足を引っ掛けてどったんばったん転げ回った。
足を引っ掛けたもの。そこにあったものとは。
ごろり、と。広く長い廊下のど真ん中に、何か大きな塊が転がっていた。
それは全身あちこちを血の滲む包帯で雑に手当てした……意識のない巫女さんだった。
仰向けともうつ伏せとも違う、とりあえず四肢を投げ出したままの苦しそうな体勢にも拘わらず、その巫女さんはピクリとも動かない。長い髪は茶というより金に近く、革のヘアバンドのようなものでアクセントを加えていると思いきや、よくよく見ればそれは目隠しだった。同様に、首飾りに見えたものも競走馬の口に咥えさせる轡である。
「ホワイトライガー、とか言ったかな? 血の匂いで興奮するかなと思って、ちょっと扱いに困っていた訳なんだけど」
「お、お兄ちゃんが私の家に他の女を連れ込んできたのでぶぎゅう!?」
「その子どうしたのかしら?」
ややこしくなりそうな芽を物理的に摘んだ改造チャイナドレスの美女が尋ねた。
恭介は肩をすくめて、
「いや、愛歌のおつかいの途中で倒れているのを見つけて、『たすけて』ってお願いされちゃった訳だからさ、つい……っていうか……」
「……ああ、なるほど」
緑娘藍の返事には複雑な色があった。納得とも諦めとも言える。人差し指で自分のこめかみをぐりぐりする彼女に向かって、恭介はこう締めくくる。
「やり残しがあるのも気持ち悪いし、これを召喚師としての最後の仕事にするよ。『たすけて』と頼んだ彼女の命と人生を一通り保護する。その程度なら依代がいなくても何とかなるだろう」