……時間は少しだけ遡る。
ある双子の巫女が、『失敗した』と即座に気づいたその瞬間まで。
「くそっ!!」
国際再生都市・トイドリーム35。旧名・夏海市。財政破綻のツケを外資系怪物企業にオマカセした結果、市政一個分の行政権限を丸ごと明け渡し、ドル箱の巨大遊園地に生まれ変わった子供達の夢と大人達の希望の街。今では米国・日本のみならず、あらゆる大陸に広がる新しい常識となった風景の、その一角。
沿岸部の港湾地帯だった。
夜と死。それらを象徴するような暗い海がどこまでも広がっている。
大量消費の権化たる遊園地を支える、物資の玄関口。どこもかしこも電飾と花火で埋め尽くされた光の祭典の中、ぽっかりと穴が空いたように暗闇に支配されたスポット。その『大飯喰らい』に見合う広大な闇が、『彼女達』の戦場だった。
冥乃河蓮華。
冥乃河彼岸。
共に艶やかな長いストレートの髪に、滑らかな肌を持つ少女だ。身に纏うのも緋の袴の巫女装束。ただし、蓮華が黒髪に色白の肌という『巫女のイメージ』そのままであるのに対し、彼岸は金髪に青い瞳と、そのイメージの対極に位置している。
そして。彼女達の役割もまた。
召喚師の蓮華と、依代の彼岸。どちらかが欠けても召喚儀礼は為し得ない。
姉の蓮華は獣が唸るように口の中で呟く。
「しくじった……。いや、これも連中にとっては予定通りなのか? どっちみち、このままじゃヤバい。彼岸、戦う事は考えないで! 依頼なんてもうどうでも良い。さっさと安全圏まで逃げ切りましょう!」
「お、お姉ちゃん、その、どういう事なの? 予定通りって……???」
オドオドとした声が返ってきたが、蓮華にはいちいち説明している余裕はなかった。
簡単な仕事のはずだった。
トイドリーム35の港湾地帯に『白い女』の幽霊が出るという。召喚儀礼の世界では、こういう手合いは様々な条件が重なり行き場に迷った力の塊と相場は決まっている。それが物質的か情報的かはさておき、魂はある、とするのが召喚師達の常識だ。そして何かしらの条件が狂ってエラーが生じると、死人の魂は行き場を失う。その場に留まる。落ち葉の詰まった排水溝に、雨水が溜まっていくように。
だから大抵の場合、召喚師は戦う必要さえない。現場に赴き、『この世ならざる者を呼び出す準備』を整えるだけでつっかえ棒が外れて勝手に消失してしまう。それが現象としての消滅に過ぎないのか、本当に天国へ行ったのかは知らないが、とにかく怪現象は解決する。この手のお化け退治だの古文書封印だのは、秘奥を尽くしてしのぎを削る召喚師同士の戦闘に比べれば小遣い稼ぎの雑用、傘張り浪人と同じ副業の内職みたいなものだ。そんな話だった。
とんでもなかった。
かち合った瞬間、冥乃河姉妹含む捨て駒の召喚師全員がこう思った。
失敗した、と。
(……何が『白い女』よ。敵情視察っていうか、強行偵察が本当の目的か。何が潜んでいるか知らないけど、私達が撃破されるスコアを確認する事で、敵さんの真の実力を計ろうとしている。わざわざフリーの召喚師がかき集められていた時点で怪しいと思うべきだった!!)
ズズン……!! という、アスファルトの地面全体を揺さぶるような震動があった。
巨大倉庫の壁に背を預けて身を隠す姉妹は、その正体を知ると嫌な汗を噴き出す。貨物船からコンテナを下ろすために使われる、ガントリークレーン。その二倍に匹敵するサイズの巨体が複数、港湾地帯をゆっくりと移動しているのがここからでも見えた。黄金色に、碧の光。暗がりの中、辺りを睥睨する怪物達の瞳の位置はそれだけで恐怖を感じさせるほどに、高い。
味方が召喚したものだ、と考えるほど、姉妹は楽観的な思考はしていない。
「お姉ちゃん、あれ……。ファフニールに、あの、その、ヤマタノオロチ……だよね……」
「ちくしょう。神格級の被召物まで呼び出されているじゃない!」
あそこまでの高純度かつ高出力の怪物が、ただ勝手に現れるはずがない。昔々はいつでもどこまでも神様は来てくれるものと信じられてきたが、改めて計算してみれば宗教関係者が絶句するほど降りてこられる場所や条件は少なかったのだ。こうなると心当たりは一つしかない。
同業者がいる。あれは間違いなく人間の手で……召喚儀礼で人工的に呼び出されたモノだ。
複数の巨竜。
それは……殴りかかるでも、喰らいつくでも、口から炎や毒を吐き出すでもなかった。
一度体を大きく伸ばすと、その巨体でもって勢い良く前方へ倒れ込む。
あまりにもシンプルで、だからこそ回避の困難な一撃。巨人の掌で羽虫を叩き潰すような運用方法。だが引き起こされた結果は甚大だった。
ゴッ!!!!!! と。
爆心地を中心に、倉庫やコンテナの山やクレーンが宙へ舞い上げられた。分厚いアスファルトの地面が液体のように数メートル台の高さで大きく波打つのが、ここにいても分かる。分かっていて、迫りくる壁に対してどうする事もできなかった。
蓮華と彼岸は、猛牛の角に真下から突き上げられたように宙を舞う。
同時に、今まで身を隠していた巨大倉庫が、基部を丸ごと破壊されて倒壊を始めた。
爆心地にいたターゲット……姉妹と同じフリーの召喚師達がどうなったのかなど、いちいち気に留めている暇さえなかった。
背中から地面に叩きつけられた姉の蓮華は、同じように呼吸困難で喘ぐ妹の彼岸の巫女装束を摑み、強引に引きずる。崩れ落ちる巨大倉庫に潰されないように少しでも距離を稼ぐ。
(こんな所で死んでたまるか……)
鉄の味のする歯を食いしばり、冥乃河蓮華は妹の彼岸の体を引きずる。
(世界より大切な妹を、顔も知らない連中のための捨て駒なんかにさせてたまるか……!! 何としても、ここを脱出する。逃げ切る! そのためならどんな事だってやってやる!!)
「彼岸! 立って、無理でも何でも良いから自分の足に力を込めるのよ!」