未踏召喚://ブラッドサイン

オープニングX-02 気の抜けぬ始まり ②

 三〇〇メートル先のフェンスをえればこうわん地帯から脱出できる。だがちゆうしやへいぶつがないので丸見えだ。照明も多く、かつに近づけば一発で見つかる。何か別の経路や手段を探す必要があった。


「お、おねえ、お姉ちゃ……その、励起手榴弾インセンスグレネードの数は……?」

「残りは三つよ。しよせんで使い過ぎた。さっきも一緒に数を数えたでしょ、ポケットの中のビスケットじゃないんだから数え直したって増えたりしない」

「じゃ、じゃあ……」


 彼岸が息も絶え絶えなのは、まだ呼吸が整っていないからだろう。

 それにきようや混乱も輪をかけているのかもしれない。


「『こっちからけられる』回数は、その、あと三回しかないって事なの……?」

「向こうは神格級を持ち出すほどの高レベルの召喚師をあれだけの数そろえている。これじゃどれだけあっても足りないよ。……戦う事は考えないでって言ったでしょ。けて通る事を念頭に置かないと、あっという間に追いめられるに決まってるんだから」


 一人一人が精強な兵士が、くすような軍勢でめてくる。対してこちらはたまの不足になげくような有り様。まるで古い戦争映画のような絶望的せんきようだった。『たおして勝つ事』から『生き残る事』に目的をシフトしない限り、待っているのはヒロイックな犬死にだけだ。

 ズン……!! という低いしんどうが再びひびく。

 思わず息まで止めて様子をうかがう冥乃河姉妹だが、幸い、風景から頭一個以上き出たきよりゆうのファフニールやヤマタノオロチなどは、彼女達に気づいていない。はなれた所をゆっくりと移動している。それは同時に、他の味方がれつこうげきを受けている事を意味していたが。

 青い顔をした妹の彼岸が、口の中で何かをつぶやいているのを蓮華は耳にした。


「(……じんじようならざるいくさを勝利に導く『白き女王』よ、もろき人の子のたましいへ手を差しべたまえ……。に、苦手なピーマンも食べるしお姉ちゃんの言う事もちゃんと聞きます。だから……)」

『この業界』ではめずらしくもないおまじないだった。そのあかけない様子を見て、改めて蓮華は思い出す。

 ───世界よりも大切な妹を生きてがすためなら、どんな事だってやる。

 自分自身でちかったその内容を、れんは強くくちびるめながら、強く強く。


「……しようかんならがんけ以外にだって神様に語りかける方法があるでしょ。行くよがん

「ど、どこに……?」

「家に帰るに決まってんでしょ。あとピーマンこくふくひつだから」


 答えながら、蓮華は身を低くしてきよだい倉庫のざんがいかげかくれつつ、移動を再開した。すでに頭の中にこうわん地帯の見取り図はかんでいる。『安全な出口』にも心当たりはあるが、ちゆう、かなりのきよがあった。一・三キロ。ほぼ港湾地帯をじゆうだんする形になる。やみくもに進めばそくに見つかるが、針のあなを通すようにしんちように進めば命は保障される。そういう道だ。

 れきから瓦礫へ、短くぶように移動する。

 光をけ、かげの中にけ込むように位置取りを行う。

 至近。二メートル以内の位置をあやしげな人影が───おそらくは敵方の召喚師達が───通り過ぎる時も、必死の思いで息を殺してやり過ごす。

 ジリジリとのどがひりつくようなきんちようの中、時に妹の口を片手でふさぎながらも、蓮華は少しずつ確実に『出口』へと近づいていく。

 その時だった。

 ガラリ……と、近くの瓦礫がくずれるような音が聞こえてきた。

 まばらながいとうの光の中、あちらこちらに、何か大きなかたまりが点在していた。それは一抱えもあるきようりゆうの卵のようにも、大の大人が転んだゼンマイ人形のように手足を空回りさせているようにも、れ木のようにも、口を半開きで見えない車のエンジンをかけようとする人影のようにも、地面に落ちたアイスのようにも、ぺたりと座り込んだままブツブツ言う女のようにも見える。

『敗北者』だ。

 召喚師はこの世ならざる存在『被召物マテリアル』を自由に呼び出して戦う。それは神にも等しい力を持つが、逆に言えば、目の前でげきされれば神を殺されるのに等しいしようげきを心に刻まれる。それは神話の終わり、世界の終わりに見る絶望そのものだ。『ていこうする』という当たり前のせんたくすらできず、ただぼうぜんせまりくるさいかべながめるしかなくなってしまう。

 気絶しているのとはちがう。

 意識があるのに動けない。

 旧来のイメージで語るなら、ミイラ取りがミイラに、よりも正しい意味でのゾンビに近いか。ひたすら無意味な行動をゆっくり続け、シンプルなり手振りを見ればだれのものでものろのろと従うだけ。使役者の末路としては、気味が悪いほど皮肉が利いている。

 医学的には、激しいせんこうおんきようをばらくスタングレネードを間近で受けた直後にどんな人間でも必ず十数秒間はおちいる『自分が今生きているか死んでいるかも分からず、あらゆる認識がはじけ飛ぶ』しようげきが、丸一日以上続くと思えば良い。気合だの努力だのくうきよな精神論をはさみ込む余地はなく、そもそも人間の構造的にえられない。

 それだけなら死なない。のがしてもらえる事もある。だが、こうわん地帯でてつていてきしんにゆうしやそうとうを行う『彼ら』にそのは期待できるか。

 いつでも殺せるから、ていこうもできず言葉も返せず手を引いて歩けば金属のえたぎるようこうまでついてくる状態だから、『勝利者』はまず動ける敵のせんめつを優先している。

 移動中にたまたま見かければ、あるいはせんとうすべて終われば、その都度目についた者から殺害される。みちばたに落ちている生卵をつぶすように、あっけなく。


「(お、お姉ちゃっ、お姉ちゃん! あの人達、見つかる前に早く助けないと……!!)」

「(ダメよがん! 私達も人を抱えて走り回れるほどのゆうはないの!!)」


 敗北者達はだれりでも手を引いてもついてくるため、棒の先にハンカチでもしばって軽く振ればれん達もゆうどうできる。だが、あれだけの数をのろのろと動かせばいやでも目立つ。殺してくれといわんばかりだ。

 思わず飛び出そうとする妹の彼岸を、姉の蓮華があわてて止めようとする。

 しかしその前に動きがあった。

 めいかわ彼岸の巫女みこ装束のはかまを弱々しくつかむ、血まみれの手があった。


「……やめて、おけ……。お宅もこうなっちまうぞ……」


 くたびれたスーツを着た中年男性だった。どちらの所属かは問うまでもない。今まで暗いかげかくれていたのと、倉庫のれきの山に両足をわれた状態だったので、二人は気づけなかった。


「アンタも、負けた、の……?」