「ああなるのを防ぐために、とっさに被召物を退去させたんだがな。そうなると自分の守りも失う。心を手放す代わりに瓦礫に挟まっちまった。依代もこの中さ」
彼岸は絶望的な眼差しで山のようなシルエットを見上げる。
中年の召喚師は自嘲気味に笑いながら、
「『ガードオブオナー』だ……」
「何ですって?」
「ヤツらは自分達をそう呼んでいる。俺達を殲滅してでも情報を隠したがっているヤツだ。きっと、この単語が広まれば一矢報いた事になるんだろう。……依頼人に伝えろ、この単語には必ずそれだけの意味がある……」
(……儀仗兵……?)
蓮華は思わず眉をひそめた。
表社会で使われる意味の通りであれば、豪華なパレードなどのために編成される特殊な兵士達の事だ。だが本来、儀仗には儀式に使う武具、さらには儀式そのものを示す意味もある。つまり儀式のための兵士、儀式を執行する兵士。召喚師や依代が名乗る場合、どちらの意味を強く押しているのかは判断が難しい。
そして、悠長に考えている暇もなかった。
ズズン!! という凄まじい衝撃がもう一度遠方で響き渡った。
巨竜がその体軀を使って何かを押し潰した轟音だ。
ただでさえ砕けていた地面が爆心地を中心に再び大きく波打ち、かろうじて残っていた建物も、瓦礫の山も、派手に崩れていく。姉妹も宙に投げ出され、背中を打って咳き込んだ。
そして、もう眼前にはあの男の姿はなかった。
巨大な顎のようになった瓦礫に吞み込まれ、その隙間から赤黒い液体が漏れ出るだけだった。
これが現実だ。
そして悪夢はまだ終わらない。勝手に覚めてくれるものではない。
「……げほ、ごほ……。し、『白き女王』よ、失われし人の子の魂の行く末を……」
「彼岸、いちいち死者に祈っている場合じゃない! くそ、こっちにも来る!!」
直後だった。
転がって光の下へ出てしまった彼岸を狙うように、別の物陰から何かが投げ込まれた。ヘアスプレーくらいの大きさの、円筒形の金属缶だった。
「励起手榴弾……!?」
もはや猶予はない。
姉の蓮華もまた、照明の冷たい光の中へと躍り出ていく。
直後に爆発があった。
とはいえ、普通の手榴弾と違って、爆風や破片が彼岸を引き裂く事はなかった。代わりに周囲一帯へ噴き出したのは、透明な霧だ。深山幽谷を流れる清流のほとりのように、機械油の匂いで満たされた港湾地帯の空気が一気に質感を変えていくのが実感できる。
同時。
カッ!! と、爆発地点を中心に、路上に光を使った複雑な紋様が描かれる。青白い、うっすらとした光が空間全域を満たす。さほど知識のない者でも直感的に分かるだろう。オカルトの技術体系に基づいて精密に計算された、ある種の『陣』……人工霊場だ。
それは檻だ。
この現代において大規模・高純度な召喚儀礼を可能とする区切られた領域にして、器物も一般人も素通りさせる代わりに、召喚師・依代……あるいは、それらから標的と定められた人物だけを正確に閉じ込める、一辺二〇メートルの四角い檻。
(始まる……)
冥乃河蓮華は正確に状況を把握した。
変化はあった。いつの間にか、爆心地に誰かが佇んでいた。それは赤と黒のライダースーツを纏った白人女性達だ。黒い衣装の方は、その首に太い首輪をつけている。
……彼岸の額の目隠しや、首から下げた轡と同じだ。依代は必ず『戒めの象徴』を身に着ける。自身の心理状態を外部から制御する事で、怨霊や邪悪な精霊など、『呼び出してもいないもの』に憑依されないようにするため、だ。
(召喚師同士の戦いが。最悪のタイミングで!!)
蓮華は巫女装束の懐へ手を伸ばすと、和紙でできた束を空中へ撒き散らした。ビュゴ!! と、それらは宙で小さな渦を作り、あっという間に一八〇センチほどの長大で硬い棒を形作る。
とはいえ、人間が単体でできる魔法など、この程度が限界。
手から火を噴き出す事も、ホウキに乗って空を飛ぶ事も叶わない。せいぜい手品で使う魔法のステッキを、タネも仕掛けもなしで生み出すくらいが関の山。
であればこそ。
脆弱な人の子は、より強靭な力を持つ高次存在へ執着するのもまた道理。
「彼岸! 準備して!!」
叫ぶと同時、ライダースーツの二人組にも動きがあった。グラマラスな美女の片割れが、蓮華に呼応して片腕を水平に振るい、砂を操って二メートルに届く棒状の物体を形成したのだ。
(『唯一無私』……?)
長大な棒の側面に刻まれた文字を読み、蓮華は眉をひそめる。
(『通り名』としては耳にした事はない。でもこの局面で名乗りたがりのルーキーが出てくるとも思えない。表のアワードに出てこない隠し球か!?)
その『長大な棒』は冥乃河蓮華と『唯一無私』両名の手の中でゆらりと揺れ動き、先端ではテールランプのように赤い尾を引かせる。
種々様々な宗教により名称は変わるが、職業的召喚師の間では簡潔にこう呼ばれる事が多い。
契約に用いる血の筆跡、と。
励起手榴弾によって区切られた人工霊場の内部、冥乃河姉妹とライダースーツの二人組が対峙する中心点に、ホログラムのように何かが浮かんだ。一見して、カラフルな模様をした一辺六〇センチのサイコロ状の立方体にも思えるが、違う。
林檎ほどの大きさの、血のように真っ赤な球形の光。
低、中、高音、そして極低音。真紅の一つ一つを『花弁』、都合二一六個を凝縮したその塊を、召喚師達は『薔薇』と呼ぶ。和装の蓮華達には馴染みが薄いが、確かルーツは大天使召喚の秘奥を薔薇の紋章の中に隠匿した、ある西洋魔術の象徴だったはずだ。
その『薔薇』の出現が合図となった。