蓮華と『唯一無私』を名乗る美女の手元に、突如としてこれまでとは異なる白い球形の光『白棘』が三つほど浮かぶ。彼女達はそれに疑問を抱かない。長大な棒……ブラッドサインを握る右手に力を込め、前へ伸ばした左手の二本の指でもって支えると、足腰の回転から全身へと伝導する全ての力を使い、勢い良くその先端で自分の『白棘』を突き飛ばす。
ゴッ!! と、両方向から挟まれる形で衝撃を受けた『薔薇』が、バラバラに飛び散った。低、中、高音。内部に様々な音の因子を秘め、真紅の色を放つ球形の光『花弁』があちこちへ流れる。地面、壁、瓦礫、そして人工霊場の端。様々なものにぶつかって乱反射を繰り返すが、冥乃河姉妹やライダースーツの美女達の体は素通りしていく。本質的に、『物体』ではないのだ。
それらが動きを止めるのを待つ必要はない。
蓮華は手元に浮かぶ二つ目の白光『白棘』へ吸い寄せるように、ブラッドサインの先端を突き付ける。
───戦場に変化があった。
箱状に整えられた『薔薇』が崩れると同時に、励起手榴弾によって区切られた空間全域に、『球形の虚空』が生じたのだ。地面、壁際、瓦礫の隙間、そして空中。あらゆる場所に浮かび上がった『全方位、どこから接触しても落ちる握り拳大の穴』の数は都合三六ヶ所。その内、冥乃河蓮華の視界が捉えているのは、
(……一四。半分以上は行方不明かっ、くそ!!)
そうこうしている内に、乱反射を繰り返す真紅の光『花弁』が、数あるスポットの一つと接触して、その中へと落ちていくのが分かった。
全ての『花弁』には、法則に従ってアルファベットが一文字ずつ刻まれている。遠方にあろうが何だろうが、その光を見ただけで召喚師なら『意味』を直接感じ取る事ができる。
低音はbcdfghj。
中音はklmnpqr。
高音はstvwxyz。
極低音はaiueo。
二六文字ワンセットのアルファベットから、五つの母音を極低音に、残る二一の子音を三つに分けて低、中、高音に割り振ったものと考えれば良い。
蓮華がスポットに落としたのは『高音のs』だ。
ここからが本番である。
「始まるよ! 彼岸、意識を強く持って!!」
「う、うん。分かった。その、頑張る……!」
言葉が終わる前に、変化が来た。
召喚師はこの世界に存在しない生命体『被召物』を、依代の肉体に憑依させる事で呼び出し、一時的に固定させてから使役する。端的に言えば、これがシステムの全体像だ。
びゅるんっ!! と。
粘質な音を立て、冥乃河彼岸の肉体が身に纏う巫女装束ごと大きく形を変えた。それは炭酸飲料のように不自然に黄色く色付けされた、全長三メートルの巨大な粘液の塊だ。どこまでも不快で、醜悪で、冒瀆的。透けた粘液の奥に、一メートル程度の滑らかな人影『人郭』が浮かぶ。
冥乃河彼岸。
怪物をこの世界に縫い止める『人郭』。他は全て飾りで、ここを潰されれば一撃で終わる。
(『高音』のコスト1、『始祖の黄』か。相手は……)
同じような音が響いた。
ただし、『唯一無私』の美女の隣で渦を巻くのは、不健康なほど着色された赤色の物体だった。
(『低音』か、くそっ!! このままじゃ『三つ巴』の関係で一方的にやられる!!)
蓮華は即座に思考を切り替える。
ようは、手持ちの『白棘』で三音の球を叩いてスポットに突っ込めば、その数や組み合わせで被召物が変化していく。極低音はひとまず無視。低、中、高音が三つ巴の関係で、自分達が不利な状況だと悟ったら、さっさと別の音域、別の個体の被召物に切り替えてしまえば良い。
当然。
殺し合いをしている最中なのだから、敵が黙ってそれを眺めているとは限らないが。
(チッ! やっぱり上手い。単純な技術の問題じゃない、こっちの狙いが先読みされてる!!)
ドカカッ!! と、蓮華と『ガードオブオナー』の刺客の双方から『白棘』が突き進んだ。『白棘』と低、中、高、極低音の『花弁』が激突するたびに血のように真っ赤な軌跡が複雑に描かれ、『花弁』がスポットに打ち込まれていくたびに様々な音響が炸裂する。それはピアノの鍵盤やギターの弦を乱雑にかき乱す、聞く者を錯乱に陥らせる原初の壊し歌だ。光と音の強烈な乱舞でもって、異形の『被召物』は次々と形を変えていく。
血まみれの斧を持つぬいぐるみに、子供の悪戯で脚や鋏をもぎ取られその代わりに車輪やカミソリの刃を取り付けられた巨大なクワガタに、自由に動き回る超重量の歯車に。
虚空に浮かぶ白い球形の光『白棘』は一〇秒程度で補充されるので、やろうと思えばかなりハイスピードで打ち出す事もできる。
……これは、言ってしまえば『名を刻む行為』だと蓮華は解釈している。
超常の名を呼ぶとそれを招き寄せる。神様の名前を簡単に呼んではならないとか、妖精の事を話す時には隠語を使えとか、世界のどこにでもある因習だ。これを儀式の形まで高めたのが近代西洋魔術の『シジル』で、特殊なアルファベット表の上に薄い紙を敷き、呼び出したい天使の名を一筆書きで繫いでいく事で、天使召喚の符を作る、といったものだった。
現代の召喚儀礼はそこからさらに一歩先へと進んでいる。
自己満足的な精神論の話ではなく。
来るか来ないかを神様任せにしてしまう話でもなく。
一〇〇%……確実に神話の存在を現実の世界に呼び出す方法論。神が人に協力するのではなく、人が神を従わせる技術の完成。
(まったく罰当たりな話よね。単なる精神論の域じゃなくて、『向こう』に漂う被召物を具体的に引きずり出して直接使役するだなんて!!)
現代の召喚師は、手持ちの『白棘』と低、中、高、極低音の『花弁』を操り、限定された人工霊場の中で規格外の怪物を自在に操る。
問題なのは全てを決める『白棘』とブラッドサインの使い道だ。
いかに有利な音域の被召物を手に入れようとしても、敵が先回りするように『その被召物のさらに弱点となる音域』へ変化させてしまえば、不利な状況は延々と続く。
時に的確に『花弁』をスポットへ叩き込み、時に蓮華の『白棘』の軌道を弾くために自らの『白棘』をぶつけてくる。ライダースーツの女の手札は一つでなく、しかもそれが流れるように切り替えられていく。