隣のゴリラに恋してる

一・隣の席にはゴリラがいる ②

 小声かつ口早に説明してくれたごっさんは、更なる速度で箸を進めていく。言葉遣いといい、ゴリラとは思えない行儀の良さだ。いや事実ゴリラじゃないんだけど。

 にしても、ゴツい手との対比で、弁当箱も箸も子供用サイズに感じる。ついついそのチグハグな光景をぼけーっと見てしまっていると、不意に現れたセーラー服が視線を遮った。


「こぉら、ダメだよ斎木くん。女の子がご飯食べているところをそんなマジマジと見てちゃ。こわーい顔で睨まれてるよ?」

「ん……ああ、そっか。悪いな、ごっさん」

「……いえ。顔は元々ですし」


 別に他意はなかったんだが、指摘はご尤もなので素直に謝る。あとごっさんは『元々』と言ったけど、元々ゴリラな訳じゃなくて、怖い顔の方だろう。

 ちなみに俺に注意をしてきたセーラー服は、眼鏡を掛けたハクビシン――斜め後ろの席の柳谷さんだ。下の名前が雅で、俺は『やっさん』と呼んでいる。

 女子の中では比較的男子ともよく話す、明るくて気も利く皆のまとめ役的な小動物だ。当然人間サイズだが、背はかなり低い方になる。

 愛らしさと獰猛さを同居させた容貌のやっさんは、小さな鼻をピクピクさせて振り返り、


「ところで、何故に今になってご飯タイム? 早弁はともかく遅弁は珍しいね?」

「あー、それさっき俺も訊いた。なんか部活の用であんま食う時間取れなかったんだってさ」


 止めることなく箸を動かし続けているごっさんに代わって答えると、やっさんは再びこっちを振り向いて「ああ、そういうこと」と呟く。


「そろそろ夏に向けて本戦が始まる時期だもんね。我が卓球部はもう新体制になったけど」

「へー、そうなんか。でも、大会前に色々変えんの?」

「うちはもう敗戦しちゃったからね。三年の先輩方は引退してしまったのよ」

「はやっ。え、まだ六月になったばかりだぜ?」

「試合数が多いスポーツだとよくあるよ。バレー部も地区予選は終わったんじゃない?」


 ハクビシンからの問い掛けに、口をもごもごさせながら頷くゴリラ。なるほど、そんなもんなのか。確かに、一日に一試合か二試合しかやれないようなスポーツだと早め早めに予選やっとかないと夏の大会に間に合わないな。基本は土日にやるんだろうし。


「んじゃ、運動部は引退早いんだなぁ。ああでも、一年からすればそっちの方がいいのか? レギュラーになり易いし」

「卓球部やバレー部はそこそこ人数いるからいいけど、人気のない部は大変だと思うよ。練習相手に欠くし、下手したらメンバーが足りなくて試合に出られないところまであるもん」

「そういやそうか。卓球は二人いればとりあえず出来るけど、バレーなんて…………あれ? 一チーム五人だっけ、六人だっけ?」

「…………コートに出るのは六人です。でもバレーはサーブ権が移る毎にローテーションするので、何人か交代する選手がいないと不安ですね。怪我することも少なくないですし」

「そういうもんか。チームスポーツだもんなぁ」

「卓球だって団体戦はあるよっ。時として仲間の為に実力以上の――って、話してたら長くなっちゃうね。あたし日直だから職員室行かなきゃなのさ」

「また開幕小テストかぁ……コバ先、問題作るの好きすぎね?」

「あたしは嫌いじゃないよ。少なくとも持ち帰りの課題が出るよりはマシ!」


 力強く断言すると、ハクビシンのやっさんは「んじゃねっ」とごっさんに手を振って、慌ただしく教室から出て行った。

 それを見送ってからごっさんに視線を戻すと、いつの間にか食べ終えていた弁当箱を鞄に仕舞い、代わりに教科書を取り出す。わざわざ教科書を持ち帰っている辺り、ごっさんは真面目なゴリラだ。不真面目な俺はロッカーに置きっぱだし。


「ごっさん、今日の小テストの範囲ってどの辺だっけ?」


 机と仲良しな状態から体を起こしてごっさんを見ると、太い指でペラペラとノートを捲り、


「……たぶんですけど、教科書の三十二ページから四十ページまでの間です。マストで出題されそうなのは……」

「ふむふむ…………ん?」


 横から身を乗り出してノートを覗き込んでみると、俺の千倍くらい綺麗な文字が並んでいるだけでなく、あることに気付く。


「ごっさん、わざわざ日付まで入れてんの? それに最後まで使ってなくね?」

「余白がないと見難いですし、授業毎にまとめた方が復習し易いですから」

「はー、そういうもんか」


 俺は前回の続きから何行か空けて使うやり方なので、新鮮だ。確かにこっちの方がスッキリしていて見易い…………ん?


「あれ、これって……」

「どうかしましたか?」


 どうしたと言われても、言葉に困るものを発見してしまった。


「ごっさん、これ…………なんの……?」

「あ……誰かに見られるとは思わなかったので、つい手慰みに絵を描いてしまって。子供っぽくて恥ずかしいです」

「…………」


 恥ずかしいのはそこなのか。俺としては、この正体不明の妙な怪獣の存在を知られたことなのかと思ったが。なんかやたらとうねうねしてるし。


「……ちなみに、これ何を描いたんだ?」

「見ての通り犬です」


 全然見ての通りじゃないよ。犬という概念が崩れるくらい別物だ。

 これは、どうなんだ。突っ込んでいいのか? 触れないと逆に白々しくないか? ごっさん、イラストを隠そうとしてないし。

 どうしよ、これ以上触れずにそっとしておくのが優しさなんだろか。流石にゴリラフェイスからそこまで細かい判断は難しいし……ここは一つ俺とごっさんが隣の席で培った経験値で正解を導き出してみせるか。うむ。


「ごっさんごっさん。俺、思ったんだけどさ」

「はい? 何をです?」

「この絵、ちょいとSNSに挙げてみないか? 新種のクリーチャーとして、もしかするとバズる可能性も――ぁいだあっ!?」


 素敵な提案をした直後、ゴリラの左手が強烈に俺の背中をぶっ叩いた。


「ば、バレー部のスパイク慣れした一撃はマジで痛すぎるんだけど……!?」

「無邪気なからかいの言葉で刺された私の心の痛みもそれくらいなのでおあいこです」

「俺痛すぎて泣きそうなんだけど、ごっさん全然そんな気配なくね?」

「淑女は平静を装い、心でひっそり涙を流すものですから。あと大袈裟に痛がりすぎですよ」


 これが全然大袈裟じゃないんだ。平手の一撃はシャツ越しなのに『バヂィィィ!』って音がしたし、マジで涙が出そうだし。もうちょっとで床を転がり回るところだったし。

 ジンジンする背中を後ろ手で擦り、


「あと、一応言っとくけど。からかってはないぞ。ガチ提案だったんだ」

「尚更性質が悪いです。全くもう、人の描いた犬をなんだと……」

「いやでも、それを犬って主張すると愛犬家の過激派から訴えられかねないぞ? 大体、犬なのになんで指生えてんの? しかも二本だし」


 明らかにおかしなポイントを突っ込むと、ごっさんは一度ノートに視線を落としてからそそくさとページを捲った。


「……そういう犬もいるかもしれないじゃないですか」

「いたとして、たぶんそれはもう犬って呼ばれないナニかだと思うんだがなぁ……尻尾からトゲみたいなのも生えてたし」

「あれは毛のフサフサ感を表現しただけです!」

「ブスブス感はよく出てたけどなー、っと……!」


 ごっさんの左手がピクリと動いたので、俺は慌てて自分の席に退避して二発目を食らうのだけは防げた。ふう、危ない危ない。

 ゴリラ特有の張り出した眼窩上隆起の奥からこっちを睨み付けたごっさんは、振るわなかった左手でノートを閉じ、


「意地悪を言う人にはこれ以上教えません。自業自得というやつです」

「ぅえ……マジで悪気はないんだけど……」