隣のゴリラに恋してる
二・ゴリラさんとの出会いからこれまで ①
――隣の席の女子生徒がゴリラに見えるように、俺の目に異性が動物に映るようになってしまったのは、小六の夏休みからだ。
今でもハッキリと覚えている。八月十一日という日付もだ。
その前日は昼から当時入っていた野球チームの練習で、夕方からは他の友達と神社の縁日に行く約束をしていた。
集合時間の午後六時、待ち合わせていた神社の近くにある橋にやってきたのは初顔の浴衣女子一人だけだった。話によると、仲間の一人と同じ塾で誘われて来たものの、他の皆は揃ってプールに行っていたが、人身事故で電車が止まりすぐには戻れなくなったらしい。彼女は出掛ける直前にその連絡が来て、俺へのメッセンジャー役を頼まれてしまったんだとか。
初対面の彼女からそれを伝え聞いて、俺はどう思ったんだっけか。真っ先に『ヤバい』と思った気がする。知らない女子と二人きりになったことじゃなく、楽しみにしていた縁日に行けなくなるんじゃないかってことに。
野球やサッカーやゲームといった遊びを男女関係なしに夢中でやっていたガキ真っ盛りな俺は、帰ろうとしていた彼女を『一人で縁日に行ったのがバレたら怒られるから、一緒に来てくれ』と引き留めた。あまり活発そうじゃなかった彼女だが、熟考の末に頷いてくれた。
そして俺は彼女と神社に行き、縁日を楽しんだ。食べたい物もやりたいこともたくさんあったから、お金を出し合って満喫した。
たこ焼きに焼きそば、わたがしやチョコバナナと食べまくって、三回挑戦出来る射的は俺が二回やらせて貰って、代わりにじゃないけど賞品のりんご飴は彼女にあげて。
混んでいるから『はぐれないように』と手を繋いで、盆踊りや無料で配っていた線香花火もやった。我ながらよく覚えているもんだと思う。それだけ印象深いってことなんだろうけど。
財布の中身が数十円になるまで遊び尽くした俺達は、帰り道も自然と手を繋いであれこれ話しながら待ち合わせた橋まで行き、親が車で迎えに来た彼女と別れ……途端に寂しさに襲われて、俺は走って帰った。
そして息を切らせて家に着いて、縁日でのことは殆ど家族には話さず、ぼんやりしながら風呂に入り……そこでようやく、彼女の名前を訊いていなかったことに気が付いた。我ながらビックリだ。あんなに楽しく長く一緒にいて、そんなことも知らないとは。
後悔が押し寄せてきたものの、それこそ後の祭り。彼女の笑顔や射的で失敗して残念そうな表情や、帰り際の後ろ姿を思い出しながら布団に入り、自分でもよく分からないもやもやを抱えたまま、いつの間にか眠りに落ちた。
たぶんあれは俺の初恋だったんだろう。今にして思えば、だ。
――で、ここからが肝心要の話になる。
翌朝、問題の八月十一日。母親の『ほらもう、ラジオ体操の時間よ!』という声に目を覚ました俺は、ぼんやりしながら重い瞼を開いた。
そして目の前にどアップで迫る牛の顔に、近所まで響く大絶叫を上げてしまった、と。
いやー、無理もないって。牛だよ? 牧場に行ったことないからテレビや図鑑でしか見た経験のない牛が、寝起きに顔を覗き込んできたんだよ? そら叫ぶわ。
完全にパニクった俺はラジオ体操ではなく時間をおいてから病院に連れて行かれ、『特に異常なし』と診断された。看護師さんや患者が動物だらけで悪い夢を見ている気分だったのに、どこが異常なしなのかと泣き叫びたかったのは覚えている。
そして帰宅すると、いつの間にやらやって来ていた他県に住む祖父ちゃんと伯父さんが俺を見て憐れんだ目を向けて『浩太もこの日がきてしまったか』と残念そうに言った。
訳が分からず、相変わらず牛に見える母親に促されて親族の囲むテーブルに着いた俺は、そこで衝撃の一言を告げられた。
曰く――『それは我が家を蝕む呪いなんだ』、と。
それから聞かされたのは、ハッキリ言ってくだらないにも程がある話だった。
明治初期にうちの先祖が山本饅頭太とかいうふざけた名前の呪術師と揉めて、その結果『斎木家の長男は年頃になると異性が人外の生き物に見えるようになる』という呪いを掛けられたんだとか。しかもその経緯が、結婚間近だってのに呪術師が『一目惚れした! 我と夫婦になろうぞ!』とご先祖様に迫ってきて、当然振られて逆ギレした挙げ句に『貴様らの血筋など呪い潰してくれるわ!』と捨て台詞を吐いていったんだとか。
それが単なる負け犬の遠吠えじゃないと分かったのは十数年後、すくすく育っていた長男がある日突然『母さんがのっぺらぼうになった!』と言い出してからだったそうな。
色々と手を尽くして高名な神主に視て貰った結果、判明したのは『斎木家を継ぐ長男は呪われ、それは次代に引き継がれる』ということで、残念ながら呪いを解く方法は分からなかった。次男には呪いが掛からず、その次男に男の子が生まれて呪いが発動すると長男の呪いが解けるのは、せめてもの救いといっていいものなのかどうなのか。
結論として、うちの家系は代々次男が継ぐことになり、長男は呪われる前提で早急に次男の誕生が望まれることになった……らしい。
これを聞かされた俺の心境よ。噛み砕いて説明されたけど、だからこそ余計に思ったわ。
――いや俺がこんな目に遭う理由、ないじゃん!
先祖だって逆恨みされただけだし、何もかも呪いやがった変な名前の呪術師が悪い。そもそも呪いの効果が出るのが早くても十年以上先って、掛けた本人もとっくに忘れてる頃だろ。
しかも呪いの言葉を吐いてから呪術師が現れることはなかったそうだ。『呪いを解いて欲しくば~』って展開にすらなってない。やりっぱなしで結果の確認もしないってどうなんだ饅頭太。お前含めて誰も得してないぞ饅頭太。おかしなのは名前だけにしとけよ饅頭太。
……とまあ、溢れんばかりに顔も知らない饅頭太へのヘイトは溜まったけど、モテない呪術師はとっくの昔に死んだはずだ。なのに呪いは消えていない。その最悪な事実が問題だ。
単に名字を捨てたら済む話なのか分からないし、次男が家督を継ぐからその長男が呪われるのか、次代の中で一番早く誕生した男の子が呪われるのかも分からない。何しろ呪いが発動するのは思春期くらいまで育った後な訳で、呑気に結果待ちしてから対処するには時間が掛かりすぎている。
代々呪われた長男達は、かなりいい歳になってから呪いが解けた影響もあって、子供はいない。伯父さんもまだ独身のままだ。
そしてもう一つ重要なのは……俺の場合、妹を挟んでから弟が出来た。待望の斎木家次男の正晴君は来年から小学生で、すくすく育って早めに結婚したとして……その子供が大きくなる頃、果たして俺はいくつなのか? アラフォーならまだマシ、って感じがする。
そんな歳までこの異性アニマル化のままなら、伯父さん達みたいに独身一直線の人生になりかねない。とはいえ、人間サイズのリアルな動物相手に恋愛しろって、それも無理な話だ。
――ちなみに、例の二人で縁日を回った女の子とのその後はというと、進展どころかどこの誰か不確かなまま終わった。他校の小学生だっていうのは本人から聞いていたけど、それ以上は知らない。名前やどこの誰かは一緒に行く予定だった連中に訊けば分かったんだろうが、結局訊かず仕舞いだ。
だって記憶の中の彼女と違って、再会したところでアニマルだもの。会ったところであの子かどうかも分からんし。
今ではアニマルズにも普通に対応出来るようになったものの、異性というよりは別種の人間って感じだ。少なくともキャッキャウフフな甘酸っぱい想いを抱くのは無理です。当時はアニマル女子と話すのに、しばらくは戸惑っていたし。
そんなこんなで周囲の男共は恋愛にエロに花を咲かせて盛り上がる中、俺は楽しいけれど女っ気はまるでない中学時代を過ごした。せめて呪いをどうにかする方法が見つかれば――と願いながらも、その糸口さえ全くないまま、高校生になり……
入学初日、いきなりやらかしてしまったのだった。