隣のゴリラに恋してる

二・ゴリラさんとの出会いからこれまで ③

「……塾は、受験前の中三の冬に少しだけ。習い事は……野球とかサッカーのチームに入ってたことはあるけど、稽古事はないな」

「…………そうですか。では、どうして私を見て『ゴリラ』と?」


 はいきたどストレートに一番返しが難しい質問が。

 丁寧というか落ち着きの中に厳しさも感じられる口調の相手に、どう応じればいいんだろう? 冗談っぽくするのは、無理。俺にそんな巧みなスキルはない。

 かといって『キミがゴリラに見えるから』なんて正直に答えるのは論外。嘘も方便じゃないが、相手を傷付けかねないのに信じて貰えない事実を言ってどうするんだ。

 ……となると…………やっぱり、ここは……


「…………ご、ゴリラのことを考えていたら、つい口に出てしまって」


 限りなく真実に近いこの言い訳に、ゴリラさんの眉間に皺が寄った……気がする。ほぼ人間と同じ顔の造りだけど、反応も同じ解釈でいいのかが分からん……!

 少なくとも他のアニマル女子の場合、本物の動物みたいに喜怒哀楽を行為でアピールする訳じゃない。犬の人は喜んでも尻尾を振らないし、猫の人は気が立ってても威嚇して鳴かないし。と思ったら同じ反応で合っている子もいるから余計に難しい。

 目の前のゴリラがさっきより険しい表情をしているように見えるのは、実際にそんな顔をしているからだと思うが……動物の顔って細かい変化が分かり難いんだよなぁ……!

 ええい、もう勢いでいくしかないか。

 腹を括り、俺はパンと両手を合わせてゴリラさんに向けて頭を下げ、


「不愉快な思いをさせたんなら悪いっ、他意はないから許してくれ! この通り、これで足りなきゃ…………えーっと……一発殴ってくれれば!」


 俺に出来る精一杯の誠意を見せると、ゴリラさんはさらに表情を険しくした。うわまずい選択肢ミスったか、と内心冷や汗の俺に、ゴリラさんはため息らしきものを一つ零す。


「しないですよ、そんなこと。どんな乱暴な女だと思ってるんですか。叩きますよ?」

「え、すんごい矛盾した発言してない?」

「矛盾じゃないです。心外すぎてムカついたから、抗議の訴えをしたくなっただけです。秘めた私を無理矢理起こした…………ええと……」


 言い淀んだゴリラさんの視線が俺の机に向けられて、そういやそうかと初歩的なことに気付く。真っ先にやるべきコミュニケーションをまだやれてなかった。


「俺は、斎木。斎木浩太、浅川第二中出身な」

「……なるほど…………やっぱり知らない名前……」


 俺の名乗りに、てっきりゴリラさんも自己紹介してくれるのかと思いきや、また何やら考え込む様子。『森の賢者』は確かオランウータンの異名だけど、マジ顔のゴリラも賢そうだ。

 ……と、ゴリラさんは自分の机に貼られていた出席番号と名字の紙を指さして、


「これ、なんと読むか分かりますか?」

「うん? 自信ないけど、『きょうら』じゃないか?」

「違います。同じ漢字と読みの地名もあるんですが、知りませんか」


 質問というよりは確認のニュアンスだったので素直に頷くと、ゴリラの太い指は『強羅』の字の下をなぞり、


「『ごうら』、と読むんですよ、これ」

「…………………………なるほど」


 よもやのゴリラにニアピンだった。そうか、『強力』と書いて『ごうりき』って読み方もあったっけ。

 せめてそれを知っていれば、さっき『いやー、「ごうら」って言ったつもりが、つい間違えて』という言い訳も――


「ちなみに、下の名前は里穂といいます」

「ほほう。強羅さんちの里穂さんと」

「ええ。なので小学生の時は男子に名前の並びを入れ替えて『ウホゴリラ』とからかわれた苦い思い出が」

「…………ほほう」


 そんな過去をゴリラの口から聞くとは。シュールすぎる。

 ……というか、今の話からすると……もしかして、名前とゴリラを関連付けて答えていたら、最悪を通り越した最低だった……?

 ………………やっべ、間一髪セーフ……! ちっともセーフラインは守れてない気がするけど、まだマシだ。デッドラインを飛び越えて落ちるところだった……!

 それにしても、強羅里穂をウホゴリラて。女子を相手になんてこと言うんだ小学生。そしてそんなトラウマ持ちをピタリ賞でゴリラに見せるって何してくれてんだクソ呪い。

 内心焦りまくる俺を、隣のゴリラさんはじっと見つめてきて、


「てっきり同じ小学校か習い事が被っていたかだと思いましたが……面識なし、ですか」

「お、おう。いきなりゴリラは悪かったと思うし、まさかそんな事情があるとは……知らんかったとはいえ、すまないな」

「いいえ、故意でなく悪意もなく言ったのなら、仕方ありませんから。高校生にもなって目くじらを立てるようなことでもありません」

「そう言ってくれると助かるわ。マジで悪かった、今度ジュースの一本でも奢らせてくれ」


 頭を下げて感謝を告げると、ゴリラさんの口元が綻んだ……気がした。もしかしたら微笑んだのかもしれない。

 助かった、このゴリラは良い人みたいだ。入学早々に女子と揉めて、しんどいスクールライフになるのを回避出来たのは素晴らしい。日頃の行いの良さが出たかなー。


「ところで、ゴリラのことを考えていたとのことですけど」

「ん? あ、うん、それが?」

「何がどうなれば入学初日の教室でゴリラに思い耽るのか、教えてくれません?」

「……………………」


 まずい。なんも考えてなかった。つーか何だよ、ゴリラに思い耽るって。

 一瞬にしてまた王手を掛けられた俺は、しどろもどろになりそうなのをどうにか耐え。

 入学初日からこれっぽっちも頭になかったゴリラに関する疑問やイメージや憧れなどを、さも考えていましたよみたいな感じで喋りまくるという地獄の時間を、チャイムが鳴って担任が来るまで五分近く過ごす羽目になった。


◇                       ◆


 ――思えば最悪に近い出会いだったが、俺と隣のゴリラさんこと強羅里穂は、バッドスタートになりかけた割にはそこそこ良い隣人付き合いが出来ていた。あくまでも俺目線だけど。

 クラスではとりあえず顔と名前を一致させる意味もあって、一学期の間は出席番号順の席のままで過ごすと決まり、俺は新しいクラスメートを覚えるのに尽力した。

 幸いにもクラス内に見分けがつき難いアニマル女子はいなかったので、頑張って名前と動物名と毛並みの特徴を把握する。身長はそのままだが、顔や手足を見たらでっぷりしたサイなのに制服を着た胴体はスレンダーだとすると、その子は実際には太っていない。

 アニマル化して見えるのは露出している素肌の部分だけ。だから制服の着こなしや本来の体型は、同種のアニマル女子を見分ける大きなヒントだ。

 そもそも、俺の目に映るアニマルの状態は、本来の姿とはほぼ関係性がない。

 例えば隣のゴリラさんは、ゴリラなだけに厚みのある体で首も腕も指も太いけど、ジャージ姿を見るに全然太っていないどころかスタイルはいい。髪は腕とかの体毛と変わらない短さだ。でも髪飾りやリボンを付けていることが多いし、耳に入る女子同士の会話から察するに、髪は結構長いらしい。長髪のゴリラは存在感がありすぎるのであんまり見たくないが、実物と俺の目に映る情報が違いすぎるのは本当に困る。

 ……まあ、アニマルに見えている段階で別物にも程があるんだけどな! 目や口や手足の本数が同じならいいとでも思ってんのかって文句が出るくらい適当に外見割り振りやがって。呪いさんのそういうアバウトなところ、マジで嫌い。早く別れて欲しい。