隣のゴリラに恋してる

二・ゴリラさんとの出会いからこれまで ⑤

 ごっさんが不穏な言葉と殺気を放った直後、教室のドアが開いて「いやいや、遅くなって悪いね」とちっとも悪いと思ってない口調で担任が入ってきた。遅れるならちゃんと言っておいて欲しいわ。俺の駐輪場からのダッシュは完全に無駄だったじゃん。

 だがまあ、おかげでというべきなのか、ごっさんから二度目の攻撃は受けずに済んだ。もうこっちを見てもいない。真面目なゴリラなので教師がいるのにふざけたやり取りの延長戦をするタイプじゃないし。

 そんな訳で命拾いした俺は、担任の特に大したことのない連絡事項を聞き流しつつ、中身の少ないバッグから筆記用具などを取り出して授業の準備に入り……

 すっかり油断したところで、手短に済ませた担任がそそくさと教室を出て行ったのとほぼ同時にごっさんから強烈な二撃目を貰い、情けない叫び声を上げることになってしまった。


◇                       ◆


「そういや、ごっさん。部活はどうすんの?」


 四月も下旬に差しかかったある日の、特に課題もなく移動の必要もない、授業の合間の休み時間。暇潰しに何となく隣に話し掛けたのは、週明けから各部が体験入部の受け入れを開始するのを思い出したからだ。

 カバーを掛けた文庫本を開こうとしていたごっさんは、ゴリラに似合わない花柄の栞を挟み直してこっちを向き、


「どこに入るかは決めてませんが、運動部に入るつもりです。誘いも受けていますし」

「へー。友達と同じ部に入ろうって?」

「いえ、見ず知らずの先輩からです。背の高さに目を付けられたみたいで、バレー部とバスケット部から」


 スカウトか。ごっさんクラスの高身長になるとそういうのもあるんだな。


「んじゃ、バレーかバスケにすんの? 中学でやってたっていうテニスは?」

「三年間やったので、もういいかなと。そもそも親に払って貰ったラケット代の負い目がなければ一年経たずに辞めていたでしょうし」

「へー、あんまり合わなかったん?」

「テニス自体は嫌いではなかったですよ。ただ、私が下手だっただけです」


 淡々とした口調だが、ゴリラの分厚い唇がほんの少しだけへの字になりかけたのを、俺は見逃さなかった。どうやらそれなりに悔しい経験らしいが、高校でリベンジしたい程の情熱もない、と。テニスラケットをぶん回すゴリラはとても見てみたかったが、仕方ないか。


「私は体験入部をしてどちらか決めるつもりですが、斎木くんはどうするんですか?」

「俺も体験入部してから考える。運動部は普通にやってるところ見れる部が多いけど、文化系の部は実際に突撃しないとイメージと全然違うってよくあるらしいし」


 どこから攻めるか、いくつか目星はつけている。とはいえ部活か同好会に入るのが義務付けられているせいか、似たような部や同好会も複数ある。どこに入るのが合いそうか、ちゃんと吟味しなければだ。

 ……と、何故かごっさんが怪訝そうに俺を見ていた。


「ん? どうかしたか?」

「……いえ…………てっきり斎木くんは運動部に入るのかと」

「おおっと、甘いぜごっさん。確かに俺はスポーティーで爽やかな印象だろうが、実はインドアで芸術を愛でる一面もあるのだよ」

「そんな、急に知らない人の話をされても。前世ではそうだった、という設定ですか?」


 真顔で現世での存在を全否定されたよ。冗談のつもりだったのに悲しすぎるわ。まあ、ごっさんも多少は冗談なんだろうからそこまで気にしてないけど。


「中学までは野球やバスケやサッカーその他と色々やってたんだけどさ。ここは同好会を含めて珍しい部もたくさんあるから、折角だし俺に合ったところに入ろっかなー、ってね」

「そうなんですか。何かしたいことでも?」

「楽しけりゃ何でもいい! ただ、運動系は割とやってきたから、インドア系にしようかと」

「バイトなどはしないんです?」

「あー、したかったけど厳しそうでさ。条件合うのがあればやりたいんだが」


 自由になる金が働き次第で手に入るのはとても魅力的だけど、俺の場合は女性がアニマルに見えるという超絶ハンデがある。これが接客業だとかなりのマイナスになる……とは伯父さんから教わった。客を怒らせる結果に繋がりまくるんだとか。

 夏休み前にどこかで肉体労働系のバイトに応募するかなー……と思いつつ、そろそろ次の授業の開始時間なので机の中から教科書を探し出し、


「とりあえず候補は絞ったから、いくつか見て回る予定。ごっさんはどっちにしろ体育館に行くんだろうから、鉢合わせにはならなそうなー」

「何の部に行くつもりかは分かりませんが、そうですね。文化系は部室棟に部室がないところも多いと聞きますし」

「あ、そうなん? 活動場所が旧校舎のところもあるから、そっちを部室にしてるのかもな」

「では夏場の活動が大変ですね。旧校舎にはエアコンが設置されてませんから」

「………………なんという的確に入部意欲を削ぐ指摘を……」


 苦悶といってもいい俺の呟きに、ごっさんの口元が綻んだ――気がした。ゴリラなので非常に分かり難いが、雰囲気もそんな感じだった。

 何がウケたのかは知らないけど……まあ、楽しそうならいっか。

 隣の席でゴリラが心なしか機嫌良さげに文房具をチェックする様を横目に見て、俺は俺で何となく嬉しくなった。

 ……それも授業開始直後に小テストが始まったことで、すぐに閉店終了したのだけれど。


◇                       ◆


 ――とまあ、そんな会話をごっさんとした一週間後。

 俺は放課後の人気が減った学内の、校舎裏ルートを一人で歩いていた。別に告白や果たし状で呼び出された訳じゃなく、単に用事を済ませて駐輪場に向かっているだけだ。

 とはいえ、まだ通い始めたばかりで行ったことのない場所も多い学校内、初めて通る道はそれだけで新鮮味があっていい。端に纏めて置かれている廃材やイスなんかも、何となく立ち止まってジロジロ見てしまう。

 他にもランニング中のラグビー部っぽい集団とすれ違ったり非常階段でカップルが肩を寄せ合って座る前をちょいと気まずく通り過ぎたりして、体育館や格技場のある裏門側にやってくると、水道の所に見知った人影がいるのを発見した。


「おっ、ごっさんじゃんか。まだ部活やってたん?」


 声を掛けると、水道で顔を洗っていたごっさんはこちらを見ようとする素振りはしたものの、濡れていて目が開けられないからか止めて首から提げていたタオルで顔を拭く。


「……その呼び方は、斎木くんですか。よく私と分かりましたね」

「ま、隣で一ヶ月近くいればな」


 ごめん嘘です、本当はゴリラだから分かっただけです。学校内で教師込みでゴリラどころかチンパンジーやオランウータンを含めて唯一猿系の外見だから、後ろ姿でも一発だった。

 顔を拭き終えたごっさんはいつもの凛々しいゴリラフェイスで「ふぅ」と小さく息を吐き出し、チラリと俺を見る。


「こんな時間までいるところからすると、斎木くんも体験入部ですか」

「まー、ほぼ入部決定だけど。三日連続だし、今もゴミ捨て手伝ってきたところだし」


 返事をしつつ、俺はごっさんを上から下まで見る。

 いつもの制服姿とは違って、白いTシャツの上から黄色いビブスを着けていて、下は学校指定のジャージに体育館履きのシューズ。あと教室では付けていた髪飾りがなかった。


「ごっさんは、バスケ部に?」

「いえ、バレー部です。たぶん来週には本入部していると思います」

「ああ、そうなんだ。何となくバスケの方が似合いそうな感じしたけど」


 本物のゴリラダンクが見たかった、とは流石に言えない。