隣のゴリラに恋してる

四・呪われた猫先輩 ①

「事の始まりは明治時代まで遡るらしいわ」


 そうトラ先輩が話し出したのは、飲み物を運んできた店員が退室した直後だった。

 ――あの後、すぐには片付かない問題だと理解した俺達は、改めて放課後に話し合うと決め連絡先を交換し、急いでLHRのある教室へと戻った。

 既に担任は来ていたので説教されるかと思いきや、何人かのクラスメートが『斎木は上級生にかなり強引に連れて行かれた』と証言してくれていたようで、怒られずに済んだ。

 俺以外にさしたる問題も連絡もなく差し障りないLHRとなり、迎えた放課後。すぐに教室を出た俺は、自転車を引っ張ってトラ先輩と別れ際に決めていた通り正門前に向かい、少し待って無事先輩と合流した。

 そしてバス通学の先輩と改めて駅前で待ち合わすことになり、落ち着いた先がこのカラオケ店だ。俺がたまに友達と行く格安店と違って結構高いしドリンクバーもない。だからこそ高校生の利用客が少なくて、知り合いと鉢合わせする可能性もあまりないのだとか。

 相手が年上というのもあって向こうの提案に『じゃあそれで』と従い、のこのこ付いて来た訳だが、こうして二人きりになると変な感じだ。今日が初対面の、しかも自分以外の現在進行形で呪われている人と一緒にいるってのは。

 俺が落ち着かずにいると、トラ先輩は抹茶ラテというカラオケで頼む人なんているのと思っていた飲み物を口にして、心なしか憂鬱そうな猫顔で喋り出した。


「今から百年以上も昔の話ね。当時ボクのご先祖は結婚を間近にして変な男に好きだと付きまとわれていたらしいの。急に男が『一目惚れしたから結婚してくれ』と騒ぎ立てて……ねえ、ちゃんと話聞いてる?」

「…………や、話の内容もだけど、口調変わってるの気になって」


 俺の当然すぎる感想に、トラ先輩は「あー……」と面倒そうに声を漏らし、


「外では男口調だけど、家族にはこんな感じで喋るのよ。……へ、変かな?」

「んや、別に変じゃないっすよ」


 俺からしたらアニマルさんが話している訳だし。まあその時点で十分変だけど。

 と思っていたら、トラ先輩がまじまじと俺を見つめてきて、


「でも、そっちは変ね。敬語がぎこちないっていうか……無理しなくていいわよ」

「え。いやでも、上級生相手だし、タメ口って訳には……」

「構わないわ。込み入った話をするんだし、浅くない関係になるんだから」

「そっか……んじゃ、お言葉に甘えるわ」


 正直、めっさ助かる。女性は動物に見えるせいでつい敬語を忘れがちになるから。


「なら話を戻すわね。変な男の申し出はキッパリお断りして、ご先祖は問題なく結婚した……で、済むはずだったんだけど……」

「……というと、そいつが?」

「そう、当然振られたその男がご先祖に呪いを掛けたの。しかしすぐには発動せず、生まれた子供がある程度育ったところで、ある日いきなり呪いの餌食になったんだって」


 トラ先輩の猫耳がヒョコヒョコ揺れる。どんな感情でそうなっているのかは不明だが、鋭い目を見れば負の感情なのは一発で分かる。


「つまり、その呪いが、先輩にも掛かっている……?」

「『本家の長女は男としてしか認識されないようになる』――それがボクに掛けられた呪いなのよ。正確には、ボクの一族に掛けられた呪いね」

「なるほどなー……似たような話はどこにでもあるっつーか、世の中狭いんだなぁ」

「そういえばキミの呪いはどういうものなの?」

「発動のタイミングは一緒で、俺は『女性が動物に見える』って呪い。女なら歳に関係なく色んな動物に見える。別に性格や特徴関係なしで」

「……んー……他者ではなく自分に作用するタイプ?」

「っぽいわ。例えば服で覆われていなければ――」


 興味津々みたいなので細かい部分まで説明すると、トラ先輩は腕組みをして小さく唸る。


「んむぅ……共通点は、ある程度育ってから呪いが発動することと、個人ではなく家系が呪われていることね。触った感じはどうなの?」

「あ、それは普通。あと、尻尾とかウサ耳とかは見えても触れなくて」

「キミが幻覚を見ているだけで実在はしないんだから当然かな。でも、そうなると……ボクが人間の女の子に見える訳じゃなくて……」

「俺には茶虎の猫に見える。声も普通に女声だし」

「他の人達には落ち着いた低めの声に聞こえるらしいけど…………既に呪いが発動しているから、ボクの呪いは弾かれた……のかな」


 納得と落胆が混ざったようなトーンで呟き、トラ先輩はため息を零す。

 俺にしてみれば全く予期せぬ同類の被害者というか仲間が見つかったみたいな感じなんだけど、先輩はどうも違うらしい。何が期待に添えなかったのかは分からんが、気になる反応だ。

 トラ先輩が腕組みして考え込むような姿勢になったので、俺はコーラで喉を潤してから質問してみた。


「そういや、先輩はどうやってうちの高校に入ったんだ?」

「……うん? どういう意味よ?」

「や、呪いっつっても後から発動したんだから、戸籍は普通に女なんじゃ? 男子生徒として入学するのは無理じゃね、と思ってさ」

「……ふ。そう思うのは呪いの厄介さを理解していないからよ」


 どことなくやさぐれた顔でそう言うと、トラ先輩はスマホを手に取り、斜向かいに座っていた俺の横へ来ると、カシャリとインカメで自撮りした。

 そしてスマホを弄って画面を俺に見せてくる。


「ご覧の通り、呪いのせいで写真でもボクの姿は男に写るのよ。自分では普通に可愛い女子高生が写っているようにしか見えないのにね」

「…………はぁ、なるほど」

「むっ。何よ、不満そうに」

「や、俺には猫にしか見えないから、全然共感出来なくて」

「……ああ、そっちの呪いも効果範囲が広いのね。けど、ボクの呪いは本当に厄介なのよ? 何しろ以前のボクの写真も男に見えるらしいんだから。元のボクを知っている人達は混乱しちゃうし、呪いなんて説明しても余計に面倒な事態にしかならないから、学校を辞めるしかなかったのよ」

「ぇ……!? じゃ、呪いのせいで転校したのか……?」

「そうよ。それどころか、元の友達とは連絡を取れないわ。地元ではそこそこ幅を利かせられる家だから、戸籍も元のもの以外に男としてのものを用意して貰って、今はそっちを利用してるのよ」


 ……ヤバい、俺とスケールが違う。明らかに主人公格の環境だよ。戸籍を用意するってマジである世界なのか。

 取り巻くスケールに驚くしかない俺に、トラ先輩は抹茶ラテのグラスを手にして続ける。


「呪いが発動して以来、ボクは母方の『三戸』の名字と戸籍を使って、実家を離れて暮らしてるわ。といっても、困ったことがあったら駆け付けられるように、車で三十分程度の距離なんだけどね」

「はぇー……んじゃ、先輩は一人暮らししてるんだ?」

「ううん、お手伝いさんと一緒。去年までは母も同居してくれてたの」


 ――お手伝いさん! メイドじゃなさそうだけど、お手伝いさん……! もう紛れもなく完璧にブルジョアジーだよ!

 おかしい、どうして同じく呪われている家系なのに、うちは普通の一般家庭なんだ……俺の小遣い、高校生にもなって月に二千円しかないし……


「ん? どうかした?」

「…………いや……格差社会と現実の厳しさに直面して……」

「そうね……確かに、現実は甘くないわ。奇跡的にボクの呪いから逃れている男子がいると思ったら、別の呪いを受けてるんだもんね。しかも異性が動物に見えるだなんて……」


 ショックを受ける俺を全然違う解釈で納得したトラ先輩は、抹茶ラテを一口飲んで、ため息を吐く。


「やれやれだわ……この忌々しい饅頭太の呪いから解放される絶好の機会なのに、上手くいかないなんて……」