隣のゴリラに恋してる
四・呪われた猫先輩 ②
「……………………………………うん?」
――今。さらりと言ったが、トラ先輩はとんでもないことを口にしなかったか?
「…………え、と…………先輩、今なんて言った?」
「んっ? どうしたの、大好きなドラマの最終回直前に盛大なネタバレで結末を知ってしまったような顔しちゃって」
「すんごい有りそうな喩えはともかくとして! 今っ、トラ先輩が言ったヤツ! えらい衝撃事実じゃなかったか!?」
「…………トラ先輩とは、また変な呼び方をするのね」
「そんなんどうでもいいから、ワンモア! さっきなんて言ったよ!?」
天然なのか滅茶苦茶察しが悪いのかはともかく、鬼気迫る俺の勢いにトラ先輩は持っていたグラスをテーブルに置き、首を傾げる。
「……忌々しい饅頭太の呪い?」
「それもすげぇ衝撃発言だったけど! そっちじゃなくて、その後のっ」
「…………ああ、なるほど。つまりキミは知らないのね」
得心がいったとばかりに大きく頷いた先輩は、猫耳をぴょこんと跳ねさせて、
「ボクは知っているのよ――この呪いを解く方法を」
「………………っ……」
それは間違いなく、ここ数年で一番の――それこそ初めて呪いが発動した時以来の、驚愕の知らせだった。
「――ボクとキミのご先祖に呪いを掛けた男は、恐らく同一人物ね」
驚きと興奮が醒めやらない中、俺とトラ先輩は改めて自分の呪いについて話し合い、そういう結論になった。
まさかの名前が飛び出して、まだ動揺が収まらない。
「饅頭太なんて変な名前、他にいないだろうな。先輩の家にも呪いを掛けていたとは……」
「名前を継いでいる可能性もなくはないけど、呪う切っ掛けがどちらも色恋沙汰の逆恨みだし、時期的にもそうズレてないんじゃないの? 確定で良さそうね」
「でも、俺の先祖は呪いの解き方なんて知らされてなかったみたいだぞ。トラ先輩の方だけ教えてたのかな?」
「……その前に。ボクはその変な呼び方で固定しちゃうの?」
「三戸来那って名前だし、俺には茶虎の猫に見えるんで。良い感じじゃね?」
「うー……あまりあだ名なんて付けられたことはないから勝手が分からないわ。女の子扱いだった頃は普通に『来那ちゃん』って呼ばれてたし」
「ちなみに、今は?」
「……あんまり親しい友達はいないわよ。男子のノリは未だに慣れないし、女子の輪に入っていく訳にもいかないし」
なるほど、呪いでコミュニケーションが難しい弊害か。距離感って大事だもんな。
「で、肝心の呪いを解く方法ってのは?」
「ボクのご先祖も呪いが発覚して以来手を尽くしたけど、神職や祈祷師はお手上げで、饅頭太の所在も掴めなかったって。でも奴の同門という呪い師を見つけたところ、解呪の方法は分からないものの解けない呪いはないと断言されたらしいわ」
「……そんな希望だけ持たせられてもなぁ……」
「そうよね。結局、いくら探しても肝心の方法や条件は分からなかったんだけど、二十年ちょっと前――ボクの前に呪いに侵された伯母は、思いがけず呪いが解けたのよ」
「おお…………マジか……!」
単に『こうすればいいかも?』くらいのあやふやな方策かと思いきや、実例があるとは。これは期待も膨らむな……!
けど、トラ先輩が呪われたままってことは、簡単に済む話でもないのか。
「順を追って説明するわね。まずボクの伯母なんだけど、なかなかに肝の据わった人で、呪いに身を侵されながらもとても気丈に学生生活を楽しんでいたらしいの。恋に部活に一人暮らしにと満喫していたんだって」
「ふむふむ」
「周囲には男と思われているから運動部は避けて吹奏楽部に入って、そこで一学年上の男子生徒と仲良くなったそうよ。同じ担当楽器だったから接する機会が多くて、その先輩が引退する頃にはハッキリ好意を自覚してたみたい」
「同じ部活の先輩後輩なー……」
とはいえ、向こうからしてみればトラ先輩の伯母さんは男だ。報われない恋、ってヤツになるんだろうか?
「伯母さんは常識的な面もあったから、好意を相手には伝えないままだったんだけど……卒業式前日に、向こうから呼び出されて告白されたんだって」
「おぉっ!? マジか、そーいう展開か……!」
こいつは予想していなかった。まさか逆告白とは。
…………ん? でも、あれ? その卒業する先輩からは、トラ先輩の伯母さんは……
「……伯母さんの呪い、効いてなかったのか?」
「ううん、あっちは伯母さんを男だと思っていたの。その上で告白したみたいよ」
「…………おお…………そういうのもあるのか……」
その発想は俺にはなかった。でも、そうか。同性で結婚出来る国だってあるもんなぁ。
「伯母さんは呪いのことがあるから迷ったものの、告白を受け入れたんだけど……問題はその後に起きたらしいのよ」
「ふむ……?」
「伯母さんは告白を受け入れた勢いのままに、先輩と、その…………き、キスを、ね? したんだって!」
「お、おう……まあ若い二人が想いも募ってのことだし……」
「そして、きっ、キスをした後……その先輩は悲鳴に似た叫び声を上げ、伯母さんに問い掛けたらしいのよ――『キミは誰だ?』、って」
「………………う、ん?」
何故か青春恋愛ドラマっぽい流れがサスペンス風になっている。しかもキスした直後に。
これは、まさか……
「……もしかして、呪いが……?」
「そう、伯母さんの呪いが解けて、今まで男だった伯母さんが女子に見えるようになったの。相手の先輩だけじゃなく、他の人達も同様に呪いの効果が消えていたんだって」
「…………おぉ……マジで呪いが解けたのか…………しかもそんな、童話みたいな方法で」
信じ難いけど、嘘を吐く理由の方がない。マジでキスをしたら呪いが解けたんだろう。
俺の感想にトラ先輩は深々と息を吐き、小さく頷く。
「そうなのよ。伯母さんはそれ以来、ちゃんと女性として認識されてるわ。だからもしかしたらボクも呪いは掛からずに済むのかと期待されていたんだけど……」
「完全には解けてなかった、ってことか」
「残念ながらね。でも、伯母さんのおかげでボクは何十年も呪いに苦しむことなく、どうにか解く可能性があるわ。恐らくは、キミも」
「…………キス、か。古典的だなぁ……でも、キスするだけならさっさと――」
「そこまで甘くはないのよ。まず、相手が同性じゃ呪いが解けない」
「なるほど……ん? え、それ試したん?」
もう駄目だと分かってるってことはそうなんだろうが、そこを試す流れがよく分からん。一応やってみたんかな?
「……その、伯母さんはなかなかに奔放な方で、中高で複数の女の子と交際経験があるのよ。彼女と、き、キスの経験もあるって……」
「…………お、おう、そうか。だから同性じゃ駄目って結論なんだな?」
「……ん」
出来れば隠しておきたい類の身内話にトラ先輩は気まずげに口をもごもごさせ、
「それから、ただ異性と……その、キスするだけでも駄目。ボクの呪いが発動してから、嫌がる親戚の男の子とキスをしたけど、それじゃ解けなかったわ。だから条件は、恐らく……」
「好きな相手とのキス、か?」
「たぶん。両想い、こちらか向こうかどっちかが好きならいいのか、それは分からないけど。少なくとも伯母さんの時は両想いだったから、そのケースが一番可能性が高いかな」
「なるほどなー……他に条件っぽいのはなさそうなのか?」
「検証出来るものはないのよね。伯母さんの実例だけが手掛かりだし」
まあ、そりゃそうか。もう呪いは解けちゃったんだし、代替わりする呪いだから他に試せる人はいなかった訳だし。
しかし、キスかぁ……