隣のゴリラに恋してる
四・呪われた猫先輩 ③
「俺の伯父さんにも一応訊いてみるかなぁ。好きな相手とキスした経験はあったか、って」
「難しいんじゃない? ボクの家系は相手が同性と認識しているのがネックだから、恐らく伯母さん以外の前例はないと思うけど……」
「……伯父さん、恋愛経験ないって言ってたからなぁ。相手が蛙に見えれば仕方ないけど」
「ぅぐ。それはまた難儀な…………うぅ、ボクなら引き籠もりになりそうだわ……!」
「あれ、トラ先輩は蛙が駄目な人?」
「好きな女子は間違いなく少数派よっ。あのフォルムもぬめぬめ感も、生理的に……」
はー、そういうもんなのか。妹は平気なタイプだし、ごっさんはどうなんだろ?
まあでも、そうか。好きな相手と両想いになってキスしたら、呪いは解けるのか……俺とトラ先輩の呪いが同条件で解けるのかは未知数だけど、可能性があるってだけでも有り難い。
…………好きな、相手と……
「――いや呪い解く条件厳しいな! 両想いの相手とキスって!」
「でしょ? もしかしたら片想いでも解けるかもしれないけど、これが呪いである以上、少なくとも向こうがこちらに好意がある必要性は感じるのよね……」
「ああ、そっか。こっちが一方的に好きになってキスすりゃいいのなら、なんとかなりそうだしなぁ。犯罪者一直線だけど。絶対嫌われるけど」
好きな相手に無理矢理とか絶対にしたくないけど、呪いが解けるならという誘惑に負ける瞬間もあるのかもだ。特にトラ先輩の呪いなら。
「両想い、もしくは好かれている異性相手と……か。シンプルだけど難題だな、こりゃ」
「……そうなの。少なくとも、ボクの愛犬相手じゃ呪いは解けなかったのよ……恋愛の好きじゃないのが原因なのかもだけど……」
「いや動物相手だからじゃないかなぁ。それでいいなら俺もペット飼い始めるわ」
「結局、正攻法が一番の近道だとボクは判断したの。伯母さんは男子校に入れと勧めてきたけど、流石にそれはキツくてね……」
「そっか、トラ先輩の場合は同性でもいけるって人じゃないと駄目なのか」
「でも、やっぱり男子校は無理でさ……今は着替えもトイレもどうにか隠れて済ませてるけど、男子校に逃げ場はないのよ……中学の時に頑張ってチャレンジして、無理すぎて一ヶ月と持たずに転校する羽目になったんだもん……」
うなだれて語るトラ先輩に、俺からは「ご愁傷様で」としか言えない。男だけの空間ってノリが違うからなぁ。そこに女の身で入るのは、正直厳しいわ。
「そういやトラ先輩の伯母さん、呪いが解けた後はどうなったんだ? その先輩ってのとは」
「…………残念ながら、相手の人はガチで同性じゃないと駄目なタイプの人で、付き合ったその日に破局しちゃったみたいで……伯母さんはそのショックで男性との付き合いに遠慮がちになったと聞いてるわ」
「うわぁ…………それは……どっちにとっても不運だな……」
伯母さんからしてみれば予期せぬ呪いからの解放だったが、相手にとっては好きな人の姿と性別が変わったんだから、そりゃあ今まで通りとはいかないか。
「好きになった人と結ばれて呪いも解けてハッピーエンド……とはいかないんだな。現実はマジで厳しいわ」
「そうよね……でも、伯母さんのおかげでボクは希望が持てるの。両想いの異性と……き、キスをすれば、呪いとはおさらば出来るんだからっ」
「…………もしかしてだけど。トラ先輩、キスって言うの恥ずかしいん?」
「んぁっ!? な、何を証拠にっ……」
「や、だってキスって言う度にごにょったりもにょったりしてるからさ。言ってたら俺もちょっと恥ずかしくなってきたけど」
こんなにキスキス言うの初めてだし、相手は猫フェイスだが女の子だ。どうにも意識してしまう。
肉球付きの細い両手で顔をごしごし挟み、トラ先輩は猫目を尖らせて睨んでくる。
「……ボクは元々、男の子は苦手だし今だって得意じゃないの。上手く馴染めないし、なのに両想いになってキスをする仲を目指さなきゃならないし……けどっ!」
「お、ぅ?」
いきなりトラ先輩が勢い良く立ち上がり、テーブルに手を着いてぐっと顔を寄せてきて、
「キミとボクは仲間であり同志であり、目的の為に協力し合えるわ! 一挙両得ね!」
「と、と、ちょっと待った! 話の流れが急すぎて全然付いていけてないんですけども?」
「んぬぅ、察しの悪い……だから、つまりねっ」
至近距離で、興奮したようにピンと耳を立てた茶虎の猫が歯を剥き、
「――キミとボクで互いを好きになれば、全て解決するでしょっ!」
フーフーと息を荒らげて、とんでもないことを言ってきた。
ポカンとしてしまったのは、果たして何秒程度なのか。空白の時間の後でハッとした俺は、
「ちょ、ちょい待ってくれ。フリーズ……じゃないか、ジャストモーメント?」
「何故にそんな発音の悪い英語を?」
「混乱してるんだよっ! え、そうなんの? 俺と、トラ先輩で? キスすんの?」
「だっ、それは最後の締め括り! 事情を知ってて目的の為に恋愛関係になって、とどめの儀式としてやるだけよっ。そこだけクローズアップするとおかしいでしょっ!」
語気荒く否定するトラ先輩は、怒ったように腕組みをして元いた場所に座り直す。距離が出来て、俺の方は少しだけ落ち着けた。先輩の言っていたことも、周回遅れで呑み込めた。
確かに、一理あるというか、検討すべき提案に思える。
「……そっか。トラ先輩の場合、異性に好かれるってハードルが滅茶苦茶高いから、呪いのことを知ってて効果がない俺が最適なのか」
「そうっ。同性愛者を狙い撃ちするのは難しすぎるし、ボクの方から好きになるにしてもターゲットを絞るのが大変だし、失敗したら次の攻略を一からやらなきゃだし……」
「けど、俺と恋愛関係ってのも難しくないか? 互いを好きになる努力をして、どうにかなるものなん?」
「恋愛経験のないボクには分からないわ! でも、明確な目的があるし、『男子高校生なんてチョロいからすぐ惚れたり腫れたりする』って従姉妹の姉さまが言ってたもの!」
「すぐ腫れるってなんかヤな言い方だなぁ……」
しかも間違っているとは言い難いから余計にヤだ。トラ先輩はあんま分かってなさそうな感じだけど。割と凄いこと言ってんのになぁ。
まあでも、俺の場合はそんなに簡単じゃない。
「つっても、俺には先輩が男に見えない代わりに猫に見えるんだぞ? 難易度高いって」
「むむぅ……それはそうだけど…………でも、出来なくはないと思うわっ。それに、好きな人や付き合ってる相手はいないでしょ?」
「…………………………………………………………………………イナイヨ」
死角からの全速力特攻チャリくらい唐突な質問をかわしきれず、俺はそっと目を逸らした。
……が、数秒としない内にガッと両肩を掴まれて、無理矢理視界に入ってきたトラ先輩がまん丸に見開いた目で見据えてきた。何となくだが、信じ難いものを見る雰囲気で、
「……う、嘘でしょ? 好きな相手がいるというのっ?」
「い、いやー、好きかどうかはまだなんとも……その、気になる、くらいの……」
「ただ気になるレベルの反応じゃないわよっ!? けど、でも…………ええ……? …………異性が動物に見えるんじゃなかったの? その子は特別なの?」
「う…………と、特別っちゃ特別なんだけど、普通にアニマルに見えるぞ」
「…………ちなみに、どんな動物に?」
「………………………………………………ゴリラ」
躊躇いはしたもののちゃんと答えると、目の前で猫の耳が高速でパタパタと動いた。同時に口がわなわなと震え、肩を掴んでいた手からは逆に力が抜ける。