神様を決める教室
第一章 英雄たちの学び舎 ④
派手な経歴を持っているが、イクス自身は物腰の柔らかい好青年といった感じだった。
剣なんて携えていなくても一目見るだけで分かる。この場で一番強い武力を持っているのはイクスだ。隙のない佇まいに、全身から醸し出される存在感がそれを物語っている。
最初に会った時、誰よりも早く声をかけたのもイクスだった。人の中心に立つことに慣れているのかもしれない。世界を救った英雄ならそれも当然だ。
最後に、ミコトが自己紹介する番となった。
「僕はミコト=ハヅキ。生前は、その……これといって何かをしたつもりはない」
「ん?」
イクスが首を傾げる。
突き刺さる三人の視線に、ミコトは苦笑した。
嘘は言っていなかった。少なくとも英雄と呼ばれるに相応しい行動は何もしていない。しかしこのまま沈黙していると怪しまれるので、微かな心当たりを伝えることにする。
「……強いて言うなら、悪い人をたくさん倒したかな」
「なんだ、ちゃんと何かやってんじゃねぇか。ミコトも英雄の一人なんだな!」
ライオットが爽やかな笑みを浮かべて言う。
だが――英雄と呼ぶのはやめてほしかった。
生前の行いを悔いているミコトにとって、その評価は皮肉にしか聞こえない。
全員の自己紹介が終わった辺りで、寮の外に出た。
「あれが校舎か」
イクスが正面にある大きな建物を見る。
白い壁の建物だった。高さは五階建てで、傍には講堂や体育館が見える。ミコトが知識として知っている一般的な学校と比べても大きい。講堂には恐らく二千人近くの生徒がいたため生徒の数が多い分、学校の校舎も大きくなっているのだろう。
「でっけー! あそこで俺たちは一緒に授業を受けるんだよな!?」
「一緒に受けられるかは分からないがな。違うクラスになる可能性もある」
「クラス? そんなのあんのか?」
ウォーカーの補足に、ライオットが疑問を口にした。
「ライオットの世界には教育機関がなかったのか?」
「まあ、教育っていう教育を受けた経験はないな。俺のいた世界は、どの国もモンスターのせいで生活がぐちゃぐちゃになっていたから、勉強どころじゃなかったぜ」
「……そうか」
ウォーカーが気まずそうな顔をする。
「私のいた世界も魔物の侵攻は激しかったが、どちらかと言えば人類側が優勢だったな。教育が充実している国もあった」
イクスの世界でも化け物退治という概念はあるらしいが、ライオットの世界と比べると多少は落ち着いていたようだ。
「ミコトの世界はどうだったんだ?」
ライオットが訊く。
ミコトは答えを考えた。実体験の中からではなく、知識の中から回答を探す。
「僕のいた世界は平和だったよ。モンスターも魔物もいなかった。人間同士の戦争はあったけど、僕が暮らしていた国ではそういうのもほとんど他人事で、のんびりしていた」
恐らく、この四人の中で一番平和な世界で生まれたのはミコトだろう。
モンスターに魔物といった単語を、ミコトは創作物の中でしか聞いたことがない。それがまさか、こんなに幸せなことだったとは思いもしなかった。
申し訳なさそうにするミコトに、イクスが微笑む。
「いい世界だな」
「うん。だから逆に、経歴が皆と比べて薄っぺらいんだけど」
「だが、それこそが私の目指していた世界だ。真の社会に英雄なんて必要ない」
イクスは遠くを見つめる。
真の社会に英雄なんて必要ない。その通りだとミコトは思った。
しかし――この学園に招かれた者たちは皆、英雄だ。皮肉にも彼らの立場が、彼らの生きてきた世界に何らかの問題があることを証明していた。
一度死んで元の世界を去ってしまった彼らが、その問題を解決する方法は一つしかない。
「生き残って、神様になれるのは一人のみ」
イクスが小さな声で呟くように言った。
「神様になればどんな願いでも叶えることができる。……きっと皆、あるはずだ。神様になって叶えたい願いが」
ライオットもウォーカーも、ミコトも唇を引き結んだ。
ある。どうしても叶えたい願いが。
神様になる理由が――。
「だからせめて、私たちは正々堂々と戦おう」
そう言ってイクスは拳を突き出した。
強靱な意志を灯したイクスの瞳。その視線に射貫かれ、ライオットとウォーカーは笑う。
「ああ、そうだな!」
「最初からそのつもりだ」
二人も拳を突き出す。
そんな二人を見て、ミコトも微かに笑った。
この先、この学園で何が起きるかなんて誰にも分からない。どんなルールで、どういう状況で競い合うのかも知らない。
それでも、約束くらいはできるはずだ。
「うん。正々堂々、戦おう」
四人の拳がぶつかる。
清々しい気分だ。これからどんな困難に直面しても、彼らのことを思い出せばきっと上手くいく。そんな気がした。
「じゃ、帰るか」
ライオットが寮に戻ろうとすると、皆もついて行く。
その中で一人、ミコトだけが足を止めたままだった。
「ミコト、帰らないのか?」
「うん。僕はもう少し散歩してるよ」
イクスは「そうか」と短く言って、他二人と寮へ戻っていった。
一人になったところで、ミコトは改めて校舎を観察する。
先程、イクスたちと会話していた時から違和感を覚えていた。講堂に集まっていた生徒の人数を思い出す。それにしては、あの校舎は……。
(……地下に空間でもあるのか?)
まあ、今は別にどうでもいいか。
大した問題ではない。些細な違和感に決着をつけたミコトは、イクスたちの後を追うように寮へと向かう。
だがその時、近くを通りがかった一人の少女と目が合った。
思わず足を止める。――それほど美しい少女だった。
美しい銀髪は絹のようにさらりと垂らしている。柔らかな顔の輪郭も、宝石のような瞳の色も、スラリとした鼻の筋も、細くて真っ直ぐな眉の形も、まるで高名な人形職人が完璧な計算を以て生み出したかのような造形だった。
制服は、白い。白の比率が高い。手袋も白いものをつけている。
清楚、清浄、高潔、気品……そうした言葉を連想する。
ぐわり、と心が引き寄せられる奇妙な感触がした。
声が出ない。
ミコトに代わって口を開いたのは、少女の方だった。
「貴方――――」
銀髪の少女は、胸元を手で押さえながら何かを言おうとした。
だが、すぐに唇を引き結んだ少女は、吐き出そうとしていた言葉を静かに腹へ戻し――。
「……いえ、なんでもありません」
そう言って、少女はこの場を去った。
……何故、あんな目で見られたのだろう?
まるで、どうしようもなく救われない人間を見るかのような、慈悲深い目で……。
◆
翌朝。ミコトはベッドの上で唐突に目を覚ました。
自然な覚醒ではない。近くで誰かが動いている気配がする。
ミコトは息を潜め、キッチンと繋がる部屋の扉を開いた。
「そーっと、そーっと……起こさないように、そーっと……」
キッチンで、パティが音を立てないよう慎重にフライパンを握っている。
「パティ?」
「ひあっ!?」
声をかけるとパティは跳び上がって驚いた。白い羽がぶわりと膨らむ。
「す、すすす、すみません! 起こしてしまいましたか!?」
「いや、いつでも起きられるよう眠りを浅くしていたんだ。パティのせいじゃないよ」
「眠りを、浅く……?」
パティが小首を傾げる。ややこしいことを言ってしまったか、とミコトは反省した。
「何をするつもりだったんだ?」
「えっと、朝食を作ろうかと。ミコト様、本日の朝食は部屋で済ませる予定なんですよね?」
「そうだけど……」