神様を決める教室
第一章 英雄たちの学び舎 ⑦
◆
何故だ?
何故、誰も私に票を入れてくれない?
「そこの君」
近くにいた女子生徒に声をかける。
「すまない。もし票が余っているなら、私に――」
「……ごめんなさい。貴方なら、他の人から票を貰えると思うわ」
女子生徒はこちらの顔を見て、早足で去って行った。
体の良い断り方だ。最初こそ仕方ないと思ったが、十回以上同じ返答をされてからはそう思わなくなった。
イクスは己の金髪をぐしゃりと握り、爆発しそうな怒りを少しでも発散する。
「くそ、くそ、くそ……ッ!!」
これを、人望の試験と言うのであれば――得意分野であるはずだった。
生前は勇者として仲間と共に旅をした。その道中で幾つもの国に立ち寄り、協力者を次々と増やして魔王のもとへ向かった。初対面の相手と打ち解けるのも苦手ではないし、生前は数え切れない人との縁を感じながら日々を生きていた。
なのに、何故か、票が手に入らない。
「イクス」
焦っていると、黒髪の少年がいつの間にか傍にいた。
「ミコト……?」
瞬間、イクスは自分の顔が酷く強張っていることに気づき、慌てて表情を取り繕った。
「ど、どうした? 票は集まったのか?」
「うん、なんとか」
ぐにゃり、と何かが歪みそうな気がした。
嫌な感情が溢れ出しそうなところを、すんでのところで抑える。
「イクスは、まだ票が集まってないんだね?」
「それは……」
「手分けしよう。まだ投票用紙を持っている人を探してみる」
嫌な感情が、溢れ出してきた。
イクスにとってミコトの第一印象は――正直、ひ弱の一言に尽きる。快活で逞しそうなライオットや、知的で堅実そうなウォーカーと比べれば、ミコトには目立つ特徴がない。本人も自覚しているようだが、生前の経歴も地味だ。
性格はどちらかと言えば暗めで、背もあまり高くない。だから必然とミコトのことは、気弱で薄弱な少年だと思っていた。無論、それで嫌いになるわけではない。ミコトが生きていた平和な世界を羨ましいと思ったことも嘘偽りない感情だ。
だが、この状況で――。
かつてないほど追い詰められているこの状況で、ひ弱だと思っていた少年に、こうも一方的に心配されると――。
胸の奥に、どろりとした感情が生まれる。
「……哀れみのつもりか?」
「え?」
駄目だ。
止まらない……。
「不要だッ! この程度、自分でどうにかしてみせる!」
踵を返し、ミコトから距離を取った。
唇から漏れる吐息が炎のように熱かった。まるで怒りに我を忘れた醜い魔物のようだ。
力強く、床を叩き付けるように歩いていると、次第に頭が冷えていく。
……なんてことを言ってしまったんだ。
ミコトとは、これからも仲良くしたかったのに。
あんな、いかにも優しくてお人好しな少年に八つ当たりするなんて……。
「……謝らなければ」
後で頭を下げよう。
そのためにも――なんとしてでも、票を手に入れなくてはならない。
「残り五分ですよ~!」
ポレイアの暢気な声が講堂に響く。
同時に、頭の中で何かの糸が切れた。
投票用紙を持っている生徒は、果たしてあと何人残っているだろうか。もう見つけるのも一苦労だ。次が最後のチャンスかもしれない。
「……私は、生き残らなくてはならないんだ」
神様になって願いを叶えるために。
そして――ミコトに謝罪するために。
「すみません」
意思を固めたイクスは、ポレイアに話しかけた。
「トイレに行くことはできますか?」
「え~!? もう時間は少ないですよ!?」
「我慢できなくて」
恥の感情はなかった。
もはや、そんなものどうでもよかった。
「仕方ないですね~。あちらの通路を右に曲がればトイレがありますよ~!」
「ありがとうございます」
人当たりのいい微笑を維持したまま、イクスは通路へ向かう。
その途中で、近くにいた男子に声をかけた。
「君」
ミコトと同じような、いかにも気弱そうな男子だった。しかしミコトと違ってあらかじめグループを作っていなかったのか、その手には未だに投票用紙がある。
「えっと、なんですか?」
「票が欲しいんだろう? 私の票を譲ってもいい」
男子生徒が目を見開く。
イクスはさり気なく片手を隠していた。――その隠された片手に、あたかも投票用紙があるかのように。
「代わりに、私の願いについて話を聞いてくれないか? 場所を移そう」
「……分かった」
男子生徒も怪しいと思っているようだが、残り時間を考えると、ここで票が貰える可能性に賭けるしかないと判断したようだ。
イクスは男子生徒を連れて通路を進み、トイレの中に入った。小さな部屋の中に、陶器で作られたような便器が幾つも並んでいる。イクスにとっては見慣れない景色だが、寮の自室にあるトイレも似たような仕組みだったのでさほど驚くことはない。
トイレには誰もいなかった。ポレイアの反応から察していたが、今回の試験中にトイレを利用した生徒は自分たちが初めてなのだろう。
あとから人が来ては困る。
迅速に――動かねば。
「それで、大事な話って――――」
目にも留まらぬ速さで剣を抜いた。
投票用紙を持っている、男子生徒の指先を切断する。
「……ぁ?」
血飛沫が舞う中、男子生徒は混乱した眼でイクスを見た。
だが瞬時に、男子生徒は構えようとする。
凄まじい切り替えの早さだ。やはりこの男子も、学園に招かれたということは英雄を名乗る資格はあるのだろう。
だが、イクスにとっては――遅い。
「すまない」
狭い密室。刃で壁を傷つけないよう、素早く身体を翻しながら剣を振るう。肉を斬ることも骨を斬ることも得意だった。髪の毛一本も残らないように……血の一滴すら霞みとなって消えるほど細かく斬る。
まだやるべきことがあるのだ。
願いを叶えて、それからミコトに謝らなくてはならないのだ。
やむを得ない。緊急事態だ。どうしようもない。本当はこんなことしたくない。
剣を振るう。
仕方ない、剣を振るう、仕方ない、剣を振るう、仕方ない、剣を振るう、仕方ない、剣を振るう、仕方ない、仕方ない、仕方ない、仕方ない、仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない仕方ない――――。
――――――――死ね。
最後の一振り。男子生徒の姿は跡形もなく消えた。
証拠はない。床に落ちた男子生徒の指先と、投票用紙を除けば。
イクスは投票用紙を拾った後、床に落ちた指先を個室の便器の中に入れた。その際、トイレットペーパーが目に入ったので、切断した指から零れた血の痕を拭っておく。
「確か……こう流せばいいんだったか」
トイレットペーパーを便器の中に放り投げた後、便器の横についてあるレバーを引き、水を流した。赤く染まった水面が音を立てて沈む。
さほど手応えのない相手だった。同じ英雄とはいえ、世界が違うと力量も違うようだ。もし彼が自分と同じ世界の住人なら、きっと彼は英雄とは呼ばれていないだろう。
なら……別にいいか。
どのみち早期に敗退するような男だった。そう思い、イクスはトイレから出る。
投票用紙に自分の名前を書き、投票箱に入れた。
「時間になりました~!」
ポレイアの声が聞こえる。
「これにて、人望の試験《フレンド・オア・デス》を終了します! 試験に合格した生徒の皆さんは、速やかに講堂の出入り口の方へ移動してください!」
指示に従い、イクスは周りの生徒と共に出入り口付近へ移動する。
「そして、試験に不合格だった皆さんは……残念ながら、ここで消えてもらいます」