神様を決める教室
第三章 光と闇 ①
学園の授業が始まってから、一週間が経過した頃だった。
『――試験が始まります』
真っ白な空から声が響く。
『生徒の皆さんは、速やかに屋上にお集まりください』
この一週間、穏やかだった教室の空気が一気に張り詰めたものへ変わる。
二度目の試験が始まろうとしている。
次は、誰が消えるのか――。
「落ち着いてください」
聖女ルシアのよく通る声が響いた。
「一度目とは違い、今の私たちには仲間がいます。皆で乗り越えていきましょう」
その言葉から、多くの生徒たちが勇気を貰った。
ルシアを先頭に、一組の生徒たちが屋上へ向かう。
屋上へ続く階段の存在は知っていたが、一番上まで登ると複数の扉があった。扉の上部にはそれぞれ一組用、二組用といった文字が記されており、取り敢えず皆で一組用の扉を抜ける。
扉の向こうには――青々とした空が広がっていた。
「な、なんだ、これ……!?」
「高い……私たち、雲の上にいるの……?」
冷たい風が髪を荒々しく持ち上げた。
端から地上を見下ろすが、どうやらこの屋上は雲よりも高い位置にあるらしい。……どう考えてもこんな高さまで階段を上っていない。
高度は恐らく二千メートルほどだろう。
当たり前だが、落ちたら即死だ。
(……なんだ、あの橋?)
屋上の中心には、鉄骨のような橋が架けられていた。
橋は百メートルくらい先にある別の建物の屋上と繋がっている。それ以外に、あの建物に行くための道はなさそうだ。
「試験官のエルギスだ。数学の授業ぶりだな」
長身痩躯の男が、屋上に現れて言った。
数学の教師エルギスだ。どうやら今回の試験官を務めるらしい。
「では、ただ今より気高さの試験を始める」
エルギスは授業の時と同じように、淡々と語った。
「試験名は《プライド・ブリッジ》。この試験はクラスごとに行われるため、ここには一組の生徒しかいない」
扉が分かれている時点で察していたが、ここには一組の生徒しかいないようだ。
一組の生徒たちにとっては――好都合。
ルシアのおかげで一組の生徒は団結している。ここには敵がいない。その事実が生徒たちの緊張を幾らか和らげた。
「この試験の合格条件は単純だ。あの橋を最後まで渡りきること。ただし――」
ミコトたちが橋の方を見た直後、どこからか黒々とした巨大な影が飛来してきた。
細長い六本の手足、ブブブと音を立てて揺れる半透明の羽、顔の大部分を占める複眼……。
巨大な蝿のような化け物が、橋の周りで大量に蠢いている。
「周囲には無数の魔物がいる。奴らに食われないよう気をつけたまえ」
魔物とやらのグロテスクな見た目に、女子生徒が「うっ」と嘔吐いた。
「禁止事項は、橋を渡っている人物への干渉だ。直接的な手助けは不可能だと思え。これに抵触した者は問答無用で不合格となる。……それと、これは禁止事項ではないが、飛んで向こう側に渡ったところで合格にはならん。あくまで自分の足で橋を渡らなければならない」
空を飛ぶことができる生徒もいるのだろ。どこからか「ちっ」と舌打ちが聞こえた。
「ゴポポ……」
「ん、なんだ?」
水の中で誰かが喋ったような音が聞こえた。
エルギスの視線は、一組の生徒たちの中にいる、不思議な人影に突き刺さっている。
頭が魚で足がひれ。しかし腕と胴体は人間の、見たこともない生物だった。足がひれなので人魚のように見えなくもないが、頭の魚なので魚人と表現した方がよさそうだ。
陸上では呼吸ができないのか、魚人はヘルメットのような水槽を頭に装着しており、その中で口をパクパクと動かしていた。
そして魚人の足となるひれは、よく見れば微妙に宙に浮いていた。
「ゴポポ……ポゥ……」
「ああ、お前は陸上では浮かないと移動できないのか。なら専用のコースを用意してやる、少し待っていろ」
水槽の中で気泡を出しながら何かを言う魚人。エルギスはその言葉を理解できたらしい。
エルギスが橋の方に手を伸ばす。すると、鉄骨のような橋の隣に、細い水路ができた。
「これでいいか」
「ゴポォ……」
魚人が頷く。
そのやり取りを見て、ミコトは気になったことを挙手して尋ねた。
「試験って、先生が作っているんですか?」
「そうだ。教師の仕事は授業だけでなく、試験の作成や採点も含まれる」
言われてみれば確かに、教師の仕事とはそういうものだ。
「……ポレイア先生、趣味が悪いな」
ライオットが小さな声で呟く。
だがその呟きを、エルギスは聞き逃さなかった。
「試験内容を考えているのは私たち教師だが、制度を作ったのは神様だ。……最初の試験では生徒の半数を不合格にすると決められていた。私が担当していても似たような試験を作る」
ポレイアは貧乏くじを引いただけなのだと、暗に言っているのだろう。
人間臭い反応だ。エルギスは今、ポレイアのことを庇ってみせた。
この学園の教師は、血も涙もないというわけではないらしい。
「制限時間は一時間だ。それと、この試験では死ぬことがない。橋から落下する、或いは魔物に食われた場合はスタート地点に帰ってくる。何度でもやり直しが可能だ」
エルギスが一通り説明した後、ミコトの脳内で鈴の音が響いた。
リーン、と高い音が頭の中からしばらく聞こえる。
(……なるほど。この音が警報か)
粛正者は基本的にどの試験も無条件合格だが、チーム全員で合格しなくてはならないような試験や、今回のように人前で合格しなければならない試験は例外となる。
例外となる場合、粛正者には特殊な音で警告がされると手引き書に記されていた。
この音が聞こえたということは――自分も試験に合格しなければならないということだ。
「全員、集合してください」
ルシアがそう言うと、一組の生徒は彼女の傍に集まった。
「では予定通り、作戦会議をしましょう。ただし制限時間がありますので、迅速に」
そう言ってルシアが皆の顔色を窺う。
つられてミコトも集まった人たちの様子を見ると、何人かが青褪めた顔をしていた。
「お、俺、無理だ……高いところ、苦手なんだよ……」
「私も、あんまり得意では……」
あらゆる世界から招かれた英雄にも苦手なものはあるようだ。
とはいえ、雲よりも高い位置で活動する経験なんて滅多にないだろう。高い山を登るとこのくらいの高度には到達するかもしれないが、ここは山と違って足場が限られており、飛行機の胴体よりも遥かに狭い橋を渡らねばならない。
「やり直せるなら楽勝なんじゃないか?」
一方、余裕そうに言う男子もいる。
「そうね。何度も挑戦するうちに恐怖も薄くなると思うし、対策も立てられるはずよ」
その男子に同意を示す女子生徒もいる。
二人は以前、教室で喧嘩していた男女だ。名前はそれぞれオボロ、セシルというらしい。二人はあの後、ルシアが仲立ちすることで和解し、今ではすっかり信頼関係を築いている。
ミコトはオボロの意見に賛成だった。
やり直せるなら、この試験はそんなに難しくない気がする。
「ミコトさんはどう思いますか?」
ルシアがミコトを見て言った。
棚からぼた餅でルシアの信頼を得たせいか、予想外のタイミングで頼られる。……正直、皆の前では目立ちたくないので名指ししないでほしいが、今そんなことを言うと余計に目立ってしまうので黙っておいた。
「今は情報が少ないから、やり直しを前提にして試行回数を増やすというのは僕も賛成だ。勿論、一発で合格するに越したことはないけど」
「任せろ。失敗するにせよ成功するにせよ、情報は手に入れてくる」