神様を決める教室
第三章 光と闇 ④
このクラスに自分以外の粛正者がいる可能性は否定できない。となれば、違反者の処理は早い者勝ちだ。……自分はただ、極めて利己的な理由で手を挙げたにすぎない。
橋の前で、ミコトは静かに深呼吸した。
取り敢えず、試験に合格するだけなら問題ない。
感情のコントロールは初歩中の初歩。そう組織で教わった。
頭の中にある無数のスイッチをイメージする。悲しみ、怒り、後悔……その先にある恐怖と記されたスイッチをオフにした。
心が凪のように静まる。
自己暗示で恐怖を消したミコトは、ゆっくり橋を進んだ。
すると、醜悪な魔物が飛来する。
(これが魔物か……)
ウォーカーが証明した通り、恐怖心がなければ襲いかかってこない。
ミコトは立ち止まって、魔物を至近距離で眺めた。ギチギチと嫌な音を立てる口に、大きな複眼。毛むくじゃらの体躯。グロテスクな見た目だが……手足には刃が通る関節があり、首の質感も見たところそんなに硬くはなさそうなので多分ねじ切れる。
(……殺せるな)
そう思った瞬間、周りにいる魔物たちが一斉に離れていった。
蜘蛛の子を散らすように去って行く魔物を見て、ミコトは少し驚く。
(殺意を感じたら逃げるのか。……そういえばライオットの時も逃げた個体が多かったな)
橋の中心に来たが、魔物たちはもう襲ってこないようだ。
さて――問題はここから。
この辺りで、二人のクラスメイトが続けて橋から落下している。
ここに必ず何かがあるはずだ。
そう思っていたが、全身で感じるこの気配は――――。
「――――誰だ」
何かがあると思っていたが――。
どうやら、誰かがいたようだ。
「今更、息を潜めても遅い。……気配には敏感な方なんだ」
真っ直ぐ正面を睨んで言う。
付け加えるなら、目の前にいる何者かの存在に気づけたのは、魔物たちが一斉に飛び去ったからだった。この人物にとっても、先程の魔物たちの動きは予想外だったのだろう。前方から微かに息を呑む気配がしたのだ。
光学迷彩か、或いは超常の力か。
何らかの手段で、この違反者は姿を消しているようだが――。
「――っ」
顔面に迫る何かを避ける。
攻撃してきた。……なりふり構わなくなったようだ。
(……特定は難しいな)
ちっ、と思わず舌打ちする。
今、対峙している違反者の正体は間違いなく一組の生徒だ。そして本人が姿を透明にしている以上、この場で姿を確認できないクラスメイトこそが消去法で犯人であると断定できる。
だが……橋の向こう側がよく見えない。
空に浮かぶ雲が邪魔している。誰がそこにいて、誰がそこにいないのか確認できない。
これでは誰が犯人なのか特定できない。
(……手早く済ませるか)
不利な状況で、利益も少ない。この戦闘を迅速に終わらせることを最優先事項とする。
微かに重心を右に傾けた。すると、左側から何かが迫ってくるような圧力を感じる。
先程の二人の生徒と同じように、橋から突き落とす気なのだろう。文字通り、ライバルを蹴落としているわけだ。
だが、ミコトは静かに笑う。
敵の動きが見えないなら――――誘導すればいい。
「が……ッ!?」
透明人間が悲鳴を上げた。
感触からして腕…………透明人間はこちらを腕で突き飛ばそうとしたようだが、ミコトはその腕を掴んで外側へ捻ってみせた。
悟られない程度に重心を右にズラすことで、左半身への攻撃を誘ったのだ。この狭い橋の上で肉弾戦を行う以上、相手は無意識に体勢を崩さないよう注意して攻撃を仕掛けてくる。その無意識を利用した。
即座に追撃を試みるが、ダン! という大きな足音と共に、透明人間の気配が消える。
(…………逃げたか)
だが逃げた方向は分かった。
橋の向こう側だ。透明人間の正体は、既に橋を渡ったクラスメイトの中にいる。
全ての脅威が去った橋を、最後まで渡りきった。
橋を渡った先にはパイプ椅子が置かれており、合格者たちがそこに座っている。
「ミコト、無事だったか。橋の上で妙な動きをしていたが……」
「ああ、えっと……何かがいるような気がして。でも気のせいだったみたいだ」
適当に言い訳しながら、ウォーカーの隣の席に腰を下ろす。できるだけ人と戦っているように見えないよう意識して交戦したが、その努力が実を結び多少の違和感で済んだらしい。
頭の中で、透明人間の正体について考える。
(どうする……?)
聞くか?
ついさっきまで、この場から離れた人間がいなかったか――と。
(……今ではないな)
取り敢えず試験をさっさと終わらせて、これ以上の不確定要素が生じないようにしたい。
少なくともこの試験中は、透明人間はもう行動を起こさないだろう。後はウォーカーが皆に伝えた通り、恐怖心を克服すれば誰でも橋は渡れるはずだ。
透明人間の目的は、シンプルにライバルを減らすことだろう。試験官に不正がバレるリスクはあるが、数人の生徒を橋から突き落とすだけで、残る生徒全員に恐怖感を植え付けることができる。試験の特徴を活かした効果的な作戦だ。
「しかし、ミコトは胆力があるんだな。途中、魔物と睨み合った時は危ないと思ったぞ」
静かに一息つくと、ウォーカーが話しかけてくる。
「僕のいた世界には魔物なんていなかったから、ちょっと新鮮で」
「新鮮って……ミコトは思ったよりも大物だな」
ウォーカーが微かに動揺しつつ苦笑する。
(スイッチ戻すの忘れてた)
うっかり本音で答えてしまった。
すぐに頭の中にある恐怖のスイッチをオンにする。
粛正者という立場の都合上、できるだけ自分のことは無個性で頼りない人間として周りに見てもらいたかった。その方がいざという時、相手に油断されやすい。
「俺がちゃんと殲滅できれば、もっと皆に楽をさせてやれたんだけどな」
ウォーカーの奥に座っているライオットが、悔しそうに言った。
「ライオットにも充分助けられたよ。あれがなかったからウォーカーも作戦を立てられなかったんじゃないかな」
「そうかもしれねぇけど……なんか悔しいなぁ」
不服そうなライオット。
ふと、ミコトはライオットに対して抱いていた疑問を思い出す。
「ライオットはどうして、最初から魔物を倒さなかったの?」
「ああ、ウォーカーにも説明したんだけど、まず俺の使った【人間賛歌】って能力は、人間以外の相手に巨大な力を振るえるようになるって効果なんだ。ただし発動には条件があって、朝と夜に一回ずつしか使えない」
「……なるほど」
「最初は、この能力を使っても魔物を倒せるか分からなかったから温存してたんだ。誰かが弱点を見抜いてくれたら、その時は使おう……みたいに考えてたけど、魔物が楽しそうにしているのを見て我慢できなくなった。……今思えば偶々上手くいっただけで軽率だったな」
ライオットが反省の色を示す。
遅かれ早かれ、ライオットはあの能力を使う予定だったみたいだ。
「ウォーカーも何か使っていたよね。あれはどういう効果なの?」
「【クラフトチェンバー】のことか。あれはシンプルにものを作るだけの能力だ。耳栓から巨大兵器まで、大抵のものは作れる」
「へぇ……便利な能力だね」
「いや、不便も多いぞ。事前に素材を入れる必要があり、複雑な道具は設計図がなければ作れないからな。あまり燃費もよくないし、正直万能とは言い難い能力だ。……何より、生前の設計図が失われてしまったからな」
ウォーカーは生前、遺物という危険な道具を研究しており、封印の専門家と呼ばれていたと言っていた。生前はどんな道具を作っていたのか見当も付かない。