神様を決める教室
第三章 光と闇 ⑤
『橋はもう安全みたいですね』
その時、美しい少女の声が聞こえた。
「今の……ルシアの声?」
「ミコト、ここだ。この変な箱から、あっちの屋上の話し声が聞こえるんだよ」
ライオットが立ち上がり、足元にある灰色の箱を持ち上げて言った。
スピーカーだ。どうやら合格者たちが集まるこの空間は、観客席としての設備が整えられているらしい。
『あとは、ここにいる三人だけでしょうか?』
ルシアが問いかける。
『そう、だな……』
『私たちだけです……』
最後に残った三人は、ルシアと、試験開始直後に高所恐怖症を訴えた男女だった。ちなみに頭に水槽をかぶるあの魚人は、ミコトが合格した後で悠々自適に細い水路を泳ぎ切り、あっさり合格した。今はミコトの前の席に座っている。
『ル、ルシアさん、行ってください。……私たちは、大丈夫ですから』
『……分かりました』
女子生徒の願いを聞いて、ルシアは橋を渡り始めた。
ルシアは普通に橋を渡っていた。目隠しもしておらず、何か変わった能力を使ったようにも見えない。ミコトのような自己暗示でもしているのか……当たり前のように橋を進む。
「すげぇな、素で全く怖がってねぇのかな」
「ああ……伊達に神様から羽を受け取ったわけじゃなさそうだ」
今更、これが気高さの試験であることを思い出す。
聖女ルシアは、肝っ玉が縮み上がるほどの高さにも、巨大で醜悪な魔物にも、一切動じることなく前だけを見ていた。
その姿からは――誰にも侵すことができない神聖な気高さを感じる。
やがてルシアは、あと数歩で橋を渡りきるといった位置で足を止めた。
「ルシア?」
「ミコトさん……」
急に足を止めるルシアにミコトは首を傾げた。
神妙な面持ちでミコトを見たルシアは、背後を振り返り……ゆっくり目を閉じる。
何かを熟考したルシアは、やがて考えがまとまったのか目を開いた。
「……やはり、置いていけませんね」
「え?」
ルシアの身体が……ゆらり、と揺れる。
「おい、まさか――っ!!」
「嘘だろ――ッ!?」
ウォーカーとライオットも、目を見開いて驚いた。
ミコトは立ち上がって、咄嗟にルシアの手を引こうとする。
だがそれよりも早く――――ルシアは自ら橋から飛び降りた。
銀色の髪を激しく揺らしながら、ルシアは物凄い速度で落下していく。やがてその姿が見えなくなったと同時に、スピーカーからドサリと音が聞こえた。
遥か遠くで、床に倒れていたルシアがゆっくりと身体を起こす。
呆然とする二人の男女に向かって、ルシアは痛みなんて感じていないかのように近づいた。
『――さあ、一緒に合格しましょう』
聖女の名に相応しい――本物の気高さが、そこにあった。
◆
その後、ルシアは三回落下した。
やっぱり行けない、ルシアさんだけ先に行って――で二回目。
ルシアさんが先に合格してくれた方が俺たちも気が楽になるから――で三回目。
三回目でルシアは、あと一歩で合格という地点まで橋を進んだ。しかしそこで棒立ちになって二人が来るのをずっと待っていた。
残り五分だ。――エルギスがそう告げた瞬間、ルシアは三度目の落下を決意した。
だが、その度重なるルシアの行いを見て、二人の生徒たちは覚悟を決めた。
『俺、行くよ。……これ以上、ルシアさんに苦しんでほしくない』
残された男子がそう言って橋を渡り、女子の方もその後に続いた。
(自信ではなく、後ろめたさで吹っ切れたか……)
橋を渡りきった二人の男女を見て、ミコトは思う。
彼らは恐怖を克服したわけではない。ただ、これ以上ルシアを傷つけるのはあまりにも申し訳ないという罪悪感で吹っ切れたのだ。
まさか、そんなやり方で仲間に試験を合格させるとは……。
(……これはもう、人心掌握とかそういう領域じゃないな)
善意を恐ろしいと感じたのは、生まれて初めてだ。
最後にルシアが、今度こそ橋を渡りきる。
「全員合格だ!!」
「一時はどうなるかと思ったが……なんとかなるものだな」
ライオットとウォーカーが嬉しそうに言う。
皆で全員合格という結果を喜んでいると、エルギスがのんびり橋を渡ってきた。
この試験を作った張本人である試験官だし、当たり前と言えば当たり前だが……エルギスは橋の高さや魔物たちに微塵も恐怖を抱くことなく、平然とした様子でこちらまで来る。
あっさり橋を渡りきったエルギスは、集まった一組の生徒たちを見て、
「試験終了だ。……まさか全員合格するとはな」
エルギスが、パチンと指を鳴らす。
するとミコトたちがいる方の屋上に扉が出現した。
「その扉から校舎に戻ることができる。……試験があった日は、それ以降の授業はなしだ。長い放課後をどう使うかは自由だが、明日に疲労は持ち越さんようにな」
「エルギス先生って、怖いのか優しいのかよく分かんないっすね」
「元よりお前たちは神様候補という偉大な存在だ。最初からお前たちには敬意を払っている」
真面目で堅物な印象があるエルギスから、まさかそんなことを言われるなんて誰も思っていなかった。日頃とのギャップもあり、生徒たちはなんとなく嬉しそうにする。
「皆さん、お疲れ様でした。折角ですし、これからラウンジでお祝いをしませんか?」
「いいね! 賛成だ!」
ルシアの提案に、ライオットを含む色んな生徒たちが賛成する。
一組の生徒たちは次々と扉から校舎に戻り、寮にあるラウンジへ向かった。
階段を下りる途中、ルシアがライオットとウォーカーに近づく。
「ライオットさん、ウォーカーさん。今回の試験は、お二人のおかげで上手くいきました。ありがとうございます」
「いや、俺たちだけではない。一組の生徒全員のおかげだ」
ウォーカーが首を横に振る。
「彼らがリスクを背負って橋を渡ってくれたおかげで、ライオットは決意できたし、俺は攻略法を分析できたんだ。そういう意味では、これだけの人数を瞬く間に団結させてみせたルシアこそが最大の功労者だろう」
「俺もウォーカーと全く同じ気持ちだぜ」
もし、ルシアが一組をまとめていなかったら――そんな可能性の世界を想像する。
まず、全員が互いに警戒心を抱いたまま試験に臨むことになる。すると誰もが能力を出し惜しみするだろう。ライオットやウォーカーの行動も変わったに違いない。
あの手この手で他人に橋を渡らせようとする輩も現れるはずだ。それが抗争に発展し、最悪試験とは関係のないところで誰かが命を落としていたかもしれない。
「……ありがとうございます」
二人の言葉に、ルシアは頭を下げた。
「ルシア。僕たちの今後の活動方針については考えているのか?」
「はい。ラウンジで発表しようと思っていましたが、これからは他のクラスの生徒たちにも声をかけてみようと思います」
つまり仲間を更に増やしたいわけだ。
「最終的には、この学園の全生徒と団結したいと思っています」
それは流石に無理だろう……と断言できないことがルシアの凄いところである。
方針を聞いたところで、ミコトはキョロキョロと周りを見た。
「ちょっとトイレに行ってくる」
そう言ってミコトは一組の生徒たちから距離を取る。
階段を下り、静かな廊下に出た。
少し辺りをうろつくフリをした後、その場で立ち止まり、待機する。
来るはずだ。予想だと、そろそろ……。
――――来た。
「さっきぶりだね」
「っ!?」
正面の空間が、微かに揺らめいた。
隠しようのない驚愕の反応。
目の前に、透明人間がいた。