神様を決める教室
第三章 光と闇 ⑥
「気配には敏感な方だって言っただろ。嘘だと思ったのか?」
本気で集中すれば、まばたきの動きすら感知できる自信がある。
特に、ここは魔物たちが犇めく橋の上ではなく、試験終わりで生徒たちが校舎から出て行った後の静かな廊下だ。足音、息遣い、衣擦れの音……集中したミコトの聴覚なら、幾らでも手掛かりを拾える。
泳がせたらすぐに来ると思っていたが、予想通りだった。
――探られる前に、口封じに来たのだ。
クラスメイトたちに透明人間のことを吹聴され、徒党を組まれるという最悪の事態を避けるための行動だろう。逆の立場ならミコトも同じことをする。
もっとも、自分が透明人間ならこんなヘマしないが……。
そんなに優れた力を持っていて、標的を仕留め損なうなんて有り得ないことだ。
「まだ動かない方がいい。階段から二人降りてきているから」
人差し指を唇の前で立て、透明人間を制止する。
廊下の奥から、階段を下りる二人の生徒の話し声が聞こえた。
「試験、なんとか生き残ったわね」
「そうね。次もお互い頑張りましょう」
仲睦まじい様子の女子生徒たちの声だった。
他の生徒たちと同じように校舎の外へ向かっているのか、彼女たちはそのまま更に階段を下りて、一つ下の階へと移動し――。
――――――今。
二人の女子生徒が廊下を通り過ぎた瞬間、前方から殺気を感じた。
透明人間の姿は全く見えない。これが光学迷彩だとしたらかなりの技術力だ。九死に一生を得るような訓練で気配を断つ術を身につけた自分にとっては、悪い冗談である。
もっとも――そうした過酷な訓練のおかげで、この透明人間には勝てるわけだが。
「な――ッ!?」
悲鳴が聞こえると同時に、足元で誰かの倒れる音がした。
空間が揺らめき、透明人間の姿が露わになる。中肉中背の目立たない男子生徒だった。透明人間なんかにならなくても、影の薄さで印象に残りにくそうな人間だ。
男は見開いた目で、自らの足首を見た。
足首が薄皮一枚切れている。
ミコトが仕掛けた鋼糸に、足を引っかけて転倒したのだ。
「目には目を」
背中からナイフを抜きながら、男の背に足を乗せた。
「歯には歯を」
ナイフの切っ先を男の首に向ける。
「見えないものには、見えないものだ」
「ま、待――っ」
素早く首を斬り、男を殺す。
慣れた動作だった。顎や喉仏から骨格の形を見抜き、軟骨に刃を通すことで最小限の力で首を断つ。殺しに膂力なんていらない。知識と経験、そしてセンスがあれば簡単に遂行できる。
霞みになって消えていく男子生徒を見ながら、ミコトは「便利だな」と思った。
証拠隠滅をする必要がない。首の切断はもっとも効率的な殺しの証明だが、証拠隠滅まで考えると飛び散った血を清掃しなければならず、非効率的になってしまうのだ。しかしこの学園ならそれを気にする必要がなさそうだ。
今、消えたのはクラスメイトの男子だった。
クラスメイトの顔は全員覚えている。目、鼻、口など各パーツの特徴を数字に置き換えることで、人の顔立ちを数字の羅列で暗記するのだ。これも組織に教わった暗記術だ。
顔見知りを殺したことに、抵抗を感じたわけではない。
胸の内側で心を刺してくるものの正体は、あの少女の発言だ。
『――全員で、生き残りましょう』
聖女ルシアにぶつけられた、純粋な言葉。
思うところがないと言えば嘘になる。
(……試験は全員生き残ったんだ。文句はないだろう)
誰かに言い訳するように心の中で呟いたミコトは、手首を見る。
校舎の一階に降り、保健室の扉を開けた。
「やあ、君か」
保健医、そして粛正者の協力者でもあるキリエが椅子を回して振り返る。
「集会への参加は自由だが、君は毎回参加する予定なのかな?」
「はい。情報が欲しいので」
「慎重だね。まあ君の立場なら仕方ないか」
どうやらキリエも、ミコトが他の生徒と比べて超常の力を持っていないことを知っているらしい。この不利な立場を覆すためには慎重に情報を集める必要がある。
「今回は怪我をしていないみたいだね。粛正はなかったのかな?」
「いえ、さっきしました」
「それはよかった。また一歩、願いに近づいたじゃないか」
別に不自然でもなんでもない、当たり障りのない会話のはずだった。
なのに、思わず歯軋りする。――――それはよかった。人を殺しておいて、そう評価される己の境遇に、自ら
そんなミコトを見て、キリエは小さく吐息を零した。
「お節介だとは思うがね、早く芯を作りたまえ。折角、君は類を見ないほど研ぎ澄まされた技術を持っているんだから、それが鈍ってしまうのはあまりにも勿体ないよ」
無遠慮なその発言に、ミコトは眉を顰めた。
「知ったような口を……」
「私にもちょっとした能力があってね。他人の能力を数値化して測ることができるんだ」
キリエの視線は真っ直ぐミコトを貫いた。
「君は素晴らしいよ。超常の力こそないが、殺人に関する能力だけは、粛正者を含む他のどの生徒よりも優れている。……まるで神様が、人を殺すためだけに生み出した機械のようだ。その完成度は芸術品の如く美しい」
惚れ惚れした様子でキリエは告げた。
「君の師は、本当に素晴らしい人だったんだろうね。……だが、どうやら心だけは鍛え忘れてしまったらしい。おかげで君は今、迷える子羊のように縮こまっている」
「……違う。師匠は心も鍛えてくれた。だからこそ迷うことができている」
かつては迷うことなくこの手で人を殺してきた。
それを、師匠が――あの人が、迷うべきなんだと教えてくれた。
ミコトにとって、迷いは価値ある感情だ。
「答えに辿り着かない迷いなど、何の価値もないよ」
キリエの発言は、不思議なことにミコトの心の奥深くに突き刺さった。
どうしてか、この女性の発言からは無視できない含蓄を感じる。迂闊に否定すれば、それがいつか自分の首を絞めるような気がした。
「ハヅキミコト。君は何のために今を生きているんだい?」
その問いの答えを考えながら、ミコトは一番奥の簡易ベッドに近づいた。
ぐにゃりと空間が歪み、浮遊感を覚える。
(僕は、何のために……)
問いの意図はよく分かっていた。
どうしても生き返らせたい人がいる。生前、組織の中でも浮いていた自分に、仕事に必要な殺しと生存の技術を叩き込んでくれた師匠だ。あの人を生き返らせるためにも、この学園では多くの生徒を粛正しなくてはならない。
しかし一方で、師匠から授かった言葉があった。――せめて心だけは正しく在る。その言葉に背きたくないと思った結果、ただ単に人を殺せばいいとは思えなくなった。
(誰のために、ここにいる……)
イクスや先程の男子を殺したことに後悔はない。願いを叶えるためには仕方ないことだ。
だが、もし彼らが違反者になることを未然に防げるとしたら? ……多分、自分は止めようとするだろう。
この矛盾が、精神を蝕んでいる。
円卓の部屋に転移したミコトは、微かな苛立ちを抑えながら適当な椅子に腰かけた。
「では、集会を始める」
ミコトの後に数人がやって来て席に座ると、アイゼンが言った。
人数は十一人。前回と比べて二人欠けている。童貞を捨てるとかよく分からないことを言っていたあの巨漢の男はいないようだった。