神様を決める教室
第四章 傷の共感 ④
誰かを守りたいなんて思うはずがない。むしろ皆、適度に追い詰められてほしい。そうすれば危機感に突き動かされた生徒が違反者になってくれる。違反者が増えれば、粛正者はより願いを叶えやすくなる。
願い。――そう、願いだ。
自分は、師匠を蘇らせるためだけに、今この学園で生きているのだ。
『心だけは正しくありたいじゃない?』
そう言ってくれた師匠のことを、忘れることはできない。
なのに――――。
『心だけは正しくありたいのです』
そう言ってみせた聖女ルシアのことが、どうしても頭から離れない。
ルシアは多分、師匠と同類だ。どうしようもないお人好しな人間だ。
ならば、もしルシアが不合格になってこの世界を去れば――――自分はまたしても師匠を失ってしまうことになるんじゃないか。
そんな恐怖が湧いた。
(……ん?)
渦巻く感情を整理できずにいると、ふとルシアの背中に妙なものが見えた気がした。
美しい銀色の長髪。その隙間に、不思議な気配を感じる。
ミコトはそれを――誰にも悟られぬ速度で、一瞬で手に取った。
誰にも見られないよう警戒心を抱きながら、手に取ったものを見る。
(なんだ、これ。……耳?)
それは人間の右耳だった。
血は出ていない。付け根の部分に白い靄がかかっている。偽物かと疑ったが、この仄かな温かさと柔らかさは本物のように思えた。
その時――脳裏に、師匠の言葉が蘇る。
『ミコト、想像力は大いなる武器よ。それさえあれば万物を味方に変えられる』
敵だと思った相手も、劣悪だと思った環境も、想像力次第では味方になる。かつてミコトは師匠からそう教わった。
ミコトは試しにその耳を力強く握った。軟骨が歪み、元の形に戻ろうと掌の中で反発する。
そのままミコトは廊下を歩き、教室の中を覗いた。
一組、異常なし。
二組、異常なし。
三組――――二列目最後尾の席で、右耳のあたりを必死に押さえている女子生徒を発見。
ミコトは手中の耳を、口元の辺りまで持ち上げる。
「……十分後、ラウンジに来い。話がある」
掌の上にある耳にだけ聞こえるように、ミコトは小さな声で告げた。
◆
試験開始から四十分が経過した。
ラウンジの片隅で佇むミコトは、外から慌ただしい足音が聞こえることに気づく。
「おい! 図書室の入り口に答案用紙があったらしいぞ!」
「やっぱり、答案用紙は配られたものだけじゃなかったのか!」
扉の向こうから、生徒たちの話し声が聞こえた。
見当たらない回答欄が幾つかあるとは思っていたが、どうやら答案用紙そのものが別で用意されていたらしい。問題文の解析が進むことで、新たな答案用紙の在処のヒントが現れる仕組みだったようだ。おかげで今、学園中が騒がしくなっている。
喧騒が遠退いたかと思えば、ラウンジの扉が開き、一人の女子生徒が入ってきた。
その少女は視線を左右に散らし、警戒心を露わにする。
ミコトはルシアの背中についていた耳を持ち上げ、小さな声で語りかける。
「右手を挙げろ」
ラウンジに入ってきたばかりの少女が、小さく右手を挙げた。
その姿を確認してミコトは少女の前に立つ。
「この耳は、君のものか」
「……ええ」
少女は敵意を剥き出しにして、ミコトを睨んだ。
そんな少女へ……ミコトは、持っていた耳を投げる。
「返すよ。敵対したいわけじゃないんだ」
少女はミコトを睨みながらも、受け取った耳を右のこめかみ辺りに近づけた。
長い髪で隠されていたが、少女の右耳は白い靄に包まれていた。そこに分離された耳を近づけると、まるで磁石で吸い付くかのように耳が頭にくっつく。
不思議な光景だが、この十分間で彼女の能力については予想を立てていた。
おかげで動揺はない。
「少し話そう。適当に座ってくれ」
そう言ってミコトは、コーヒーマシンを動かす。
一人分のコーヒーを入れて、少女に差し出した。
「どうぞ」
「……自分で入れるわよ」
少女はコーヒーマシンに近づき、コーヒーを入れた。
近くの椅子にミコトが座ると、少女はその正面に座る。
二人同時にコーヒーフレッシュの蓋を開け、コーヒーに入れた。紙コップを軽く混ぜて、ミコトは少女を見る。
「君の能力は、身体の一部を分離させて動かすことができるという認識であっているかな?」
「概ねその通りよ。こんな感じにね」
少女がパチンと指を鳴らすと、彼女の片腕が肩から分離した。分離された腕は宙を浮きながら移動している。掌を動いたり閉じたりしているので、動作は分離前後で変わらないようだ。
「君は、聖女ルシアの背後に分離した耳を忍ばせて、聖女派の会話を盗み聞きしていた」
「ええ」
「盗み聞きしていた時、君自身は教室の中にいたね?」
「……」
無言は肯定と受け取る。
あの耳を強く握り締めた時、三組の教室で彼女は耳を押さえていた。分離した耳は本体と感覚が繋がっていたのだ。だから耳の痛みが本体である少女に届いた。
「君がやったことは、禁止事項に抵触している」
少女は、静かに頷いた。
「…………そうね」
彼女は教室にいながら、聖女派の話を盗聴していた。しかしそれは、教室で他人から答えを受け取ってはならないというカンニングの禁止事項に抵触する。
「察するに、頼れるクラスメイトも存在しないし、八方塞がりだったから、やむを得ず禁止事項に抵触したってとこかな」
「その通りよ。素直に教室から出ようと思ったけれど、たった一回しか出入りできないというルールがどうしても気になって。こういうことをしたわけ」
「禁止事項に抵触するのは怖くなかったのか?」
「怖かったわよ。でもバレない自信があった。分離させた耳には認識阻害や気配遮断の術式を刻んでいたし、生徒には勿論、試験官でさえ気づかないよう工夫していた」
そう言って少女はミコトを睨んだ。
「貴方、何者?」
その問いに、ミコトは少し考えてから答える。
「普通の人間だよ。多分、この学園の誰よりもね」
ミコトはその術式とやらについて考える。
その術式とやらも、ミコトの世界にはなかった超常の力なのだろう。……どうりで最初は不思議な気配としか感じなかったわけだ。
『警戒心の塊であれ。そうすれば、どんな異常も見逃さないわ』
そんな師匠の教えが、今もミコトの中で息づいていた。
だから、この辺りで終わらせることにする。
「この学園のコーヒー、どう思う?」
「何よ、急に。……まあ普通に美味しいと思うけど」
「それはよかった」
少女は首を傾げた。
だが次の瞬間――少女が目を見開き、その口から鮮血が噴き出る。
「か、ハ……ッ!?」
「味に違和感はないみたいだね。自分で何度も確認したんだけど、やっぱり第三者の情報が一番貴重だよ」
口元を抑えながら床に転がる少女を、ミコトは立ち上がって見下ろした。
「ま、さか……毒……ッ!?」
「正解」
パティに調達してもらった材料で作った毒だった。取り寄せカウンターについて説明を受けた後、ミコトがパティに渡した一枚のメモ……あそこに毒の原料を書いていた。
「ど、どう、やって……貴方も、同じ機械で入れていたはず……ッ!!」
身体に周りさえすれば即死する毒のはずだが、少女はまだ喋ることができた。
英雄の身体は丈夫だな、と思いつつ、ミコトはコーヒーマシンの方に近づく。
「機械じゃなくて、こっちの方」
紙コップの隣に置いてある、コーヒーフレッシュを手に取った。
「これ、全部すり替えたんだ。意外と気づかないだろう?」
少女が目を見開いた。