神様を決める教室
第四章 傷の共感 ⑦
◆
円卓の間を出たら、図書室にいた。ランダムに転送されるこの仕組みは、正体を隠すためには役に立つが、急いでいる時は不便に感じる。
賢さの試験が終わった後、一組はまたラウンジで祝勝会をやろうという話になっていた。ミコトは急いでラウンジに向かい、ルシアの姿を探す。
「ルシア」
「ミコトさん」
ルシアを見つけるのは簡単だった。彼女はいつだって人集りの中心にいる。
なのにミコトが声をかけると、すぐに振り向く。まるで待ちわびていたかのように。
ルシアは透明なグラスを片手に持っていた。グラスの中で薄緑の液体が揺れている。
「丁度よかったです。ミコトさんも一杯どうですか? セシルさんの世界で人気の飲み物みたいなんですが、とても爽やかな風味で美味しいですよ」
「いや、遠慮しとくよ」
今回もそれどころではなかった。
「それより少し来てくれないか? 大事な話がある」
「……分かりました」
神妙な面持ちで告げるミコトに、ルシアは頷いた。
楽しそうな祝勝会の空気を壊したくない。ミコトたちはラウンジの外に出る。
人の気配がしない場所を探すと、自然と学生寮の屋上にたどり着いた。
「話とは、何でしょう」
「不正をしたのか?」
単刀直入なミコトの問いに、ルシアは微かに目を揺らした。
その動揺を見逃すことなく、続けて尋ねる。
「賢さの試験で、禁止事項に抵触したのか?」
「……はい、しました」
認めた。――――こんなにも、あっさりと。
舌打ちを堪えられたのは我ながら賞賛に値する。百歩譲って、万歩譲って、違反者となったことは別にいい。しかしこんな簡単に認めてしまうのは、あまりにも人がよすぎた。
「何をしたんだ」
「教室で、答案を見せてほしいと視線で訴えられたのです。あまりにも追い詰められている様子でしたから、見せました」
「カンニングを手伝ったのか……」
手伝う行為も、禁止事項に抵触している。
決定した。――聖女ルシアは違反者だ。
即ち、粛正するべき人間である。
「馬鹿が」
「……ミコトさんも、そんなふうに苛立つんですね」
「そんなこと言ってる場合じゃない」
ルシアは何も知らない。今、粛正者たちがルシアの身を狙っていることを。
集会ではまだ、ルシアが本当に違反者かどうか分からなかった。だからミコト以外、あの八番の少女に協力を申し出なかった。
しかしいつか、ルシアが本当に違反者であるという情報が露見するかもしれない。
そうなれば――狩りの始まりだ。
ルシアはいかにも点数が高そうだから……粛正者たちによる、ルシアの争奪戦が始まる。
(いっそ、僕が……)
隠し持っているナイフに手を伸ばそうとした。自分なら苦しめることなく、辱めることもなく、彼女を抹殺できる。
だがすぐにその選択肢は消した。本意でないことは明白だった。
「……誰に答案用紙を見せたんだ」
「言えません。少なくとも、今のミコトさんには」
「どういう意味だ」
「その人のことを教えると、今すぐ殺しに行きそうな目をしていますよ」
静かに吐息を零し、それから片手で目を隠した。
感情のコントロールがうまくいかない。
「どうして、お前はそんなに誰かを助けようとするんだ」
素朴な疑問を口にする。
すると、ルシアは何故か機嫌をよくした。
「嬉しいです」
「は?」
不意に微笑むルシアに、ミコトは疑問の声を発した。
「ミコトさん、素を出したらそういう口調になるんですね」
「口調……?」
「お前、と呼んでくれました」
それの何が嬉しいのかサッパリ分からなかった。
けれど、ルシアは本当に嬉しそうに微笑みながら、真っ直ぐミコトを見つめる。
「ミコトさんが自分を曝け出してくれましたから、私もお礼に自分のことをお話しします」
ルシアは静かに語り出した。
「この学園には、不思議な力を持つ人がたくさんいますよね」
「……ああ」
「私には、そういう力がないんです」
まるで致命的な欠点、或いは汚点のように、ルシアは言う。
「本当に何もないんです。頭脳も膂力も人並みですし、病気になることもあれば、怖くて怯えることもあります。身体も心も平凡な女……それが私の正体です」
ルシアは知らない。超常の力を持っていないのはミコトも同じであることを。
だが、ミコトにとってそれは予想外だった。あれほどの求心力、あれほどの精神力……きっと彼女も何か特別な力を持って生まれたのだろうと思っていた。
「……何の力もないのに、あんなに堂々と人を率いているのか?」
「平気なフリをするのは得意なんです。凡人なりに、色々と努力してきましたから。……それでも、私には生まれつき人より秀でているものがありません」
ルシアが視線を下げる。
「ただし……人より劣っている部分はあります」
そう言ってルシアは、唐突に制服の襟元を下げた。
コンマ一秒、色仕掛けを疑ったが、その手の耐性もあるミコトは動じない。
ルシアが見せたのは、胸の中心。
そこには――黒々とした亀裂が走っていた。
「なんだ、それは……」
「私は生まれつき、呪いに蝕まれています」
黒い亀裂に触れながら、ルシアは言う。
「周りの人たちが感じている痛みを、自分も同じように感じる。そういう呪いです」
他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまう。……そういうことだろうか。
どうしても疑念を拭えなかった。そんなミコトの心境を察してか、ルシアは服を正した後、振り返ってこちらに背中を見せる。
「私は後ろを向いていますから、ミコトさんは自分の身体を軽く傷つけてみてください。引っ掻くとか、つねるとか、その程度で充分ですから」
ルシアの背中を見つめながら、まずは手の甲をつねってみる。
つねった皮膚から軽い痛みを感じた。
「右手の甲」
瞬時に、ルシアは告げる。
次は左腕の手首を引っ掻いてみた。
「左手首」
これもまたすぐに当てられる。
色々試してみることにした。爪を食い込ませたり、叩いたりして、軽い痛みを引き起こす。
「首筋……頭頂部……二の腕……太腿……舌……髪……」
全て正解だった。
俄には信じがたい。だがこれはもう、受け入れるしかない。
「もういいのですか?」
「……ああ」
こちらを振り返るルシアに、首を縦に振る。
どうやら呪いの話は本当のようだ。
「私はこの呪いを、【傷の共感】と呼んでいます」
ルシアは淡々と告げる。
「生前、私はこの呪いによる痛みを少しでも楽にしたくて、人がいない安全な地へ逃げようとしました。しかしどこに行っても痛みが消えることはなかったので、次は痛みに苦しんでいる人を自分から助けることにしたんです。……一人、また一人と治療することで、私自身も痛みを感じなくなりました。そうやって、ひたすら誰かの痛みを取り除いていくうちに、私はいつの間にか聖女と呼ばれるようになったんです」
そう言ってルシアは、真っ直ぐこちらを見る。
「私はこれを、学園でもやっているだけです」
生前の行いも、今の行いも、変わらない。
ルシアの行動理念は、ずっと一つだけ――。
「どうして、そんなに誰かを助けようとするのか。その質問に答えましょう。……私が困るからですよ」
ルシアは自嘲気味に笑った。
「私が痛いんです。私が苦しいんです。私が辛いんです。だから、私が助けるんです」
誰もが痛みを感じないように、ルシアはこの学園でも努力していた。
その理由は、自分が痛みを感じたくないからだった。
「……今までも、ずっと痛みを感じていたのか? 気高さの試験の時も……」
「はい。誰かが橋から落ちる度に、私も一緒に痛みを感じていました。でも平気です。あのくらいの痛みには慣れていますので、表には出しません」
平気なフリをするのは得意なんです――先程ルシアが言っていたことだ。