神様を決める教室
第四章 傷の共感 ⑨
きっと心を開いたのは二人同時だったのだろう。ミコトは彼女の実力を目の当たりにした瞬間気を許したし、どうやらあちらにとってもミコトの腕前は『化け物の蛹を見ているようで気味悪い』と表現するくらいには悪くなかったらしい。
『貴方をバディとして認めてあげてもいいわ。でも上下関係はしっかりしないとね』
『はぁ。どうすればいいんですか?』
『そうね……私のことを師匠と呼びなさい』
その後、ミコトは師匠のもとでたくさんの仕事をこなした。
表では裁けない売国奴を裏の人間が処理する。それが組織の存在意義だと知ったのは、師匠とバディを組んでしばらく経った頃だ。
殺して、殺して、殺し続けた。世に蔓延る悪を、私利私欲で肥える豚どもを、始末した。
そんなある日。任務が終わった後、師匠は偶々道端で迷子になっている子供を見つけ、一緒に両親を探してあげた。
師匠は困っている人を見過ごせない性格だった。老人が重たい荷物を持っていたら必ず代わりに持ってやったし、財布が落ちていたら必ず交番まで届ける。
そんな師匠のことが、ミコトは不思議だった。
『何故、そんなことをするんですか?』
自分たちは、人殺しなのに――――。
そんなことをしても、自分たちが他者から受け入れられることはない。
『ミコト。私たちは間違った生き方をしているわ』
師匠は、街中をぐるりと見渡して言った。
『だからせめて、心だけは正しくありたいじゃない?』
振り返って優しく微笑んだ、その時の師匠の顔を――ミコトは生涯忘れることはなかった。
罪滅ぼしではない。現実逃避でもない。己の凄惨な立場を受け入れ、その上でなお心だけは正しくあろうと努力する彼女の生き様は、とても尊くて――幻想的だった。
この日を境に、ミコトも師匠と同じように、困っている人を助けるようになる。……大体この辺りがミコトにとって一番幸せな時期だった。気づけば師匠に対する敬語も消えて、ただの仕事仲間とは言えないくらいの親しい間柄になったと思う。
だが、バディを組んでから二年が経過した頃。組織の方向性が変わり始めた。
元々この組織はとある政治家が作り、彼が死んでからもその一家が運営していた。しかし昨今の経営状況の悪化を受け、組織の上層部が丸ごと入れ替わったらしい。結果、従来と違って利益主義の組織になった。
非合法の組織が利益主義に走ったら、どうなるか。
金さえ貰えばなんでもやる組織になるのは、火を見るよりも明らかだ。
『師匠。この人は本当に、殺すべき人間だったのか?』
任務が終わった後、ミコトはこう尋ねる回数が増えた。
『ミコト。貴方は何も考えなくていいわ。…………貴方はね』
師匠はいつもそう言って誤魔化していた。
だが、その裏では――組織についてずっと探っていたのだろう。
一人で、ひっそりと、静かに、厳かに――――。
『――貴様のバディが脱走した』
ある日、上官の男からそう告げられた。
『え?』
『しかも、組織の人間を殺して脱走した。これは最大の禁忌だ。よってこれから組織の総力を挙げて、脱走者を捜索および抹殺する』
上官の無機的な瞳が、ミコトを睨む。
『貴様も手伝え』
拒否権のない命令だった。
師匠が脱走した理由は分かっている。組織の新たな方向性を受け入れることができず、再起も叶わないと悟って、せめて元凶となる人物たちを殺したのだ。
ミコトは任務に従うフリをして、師匠を捜した。
半年後、雪に覆われた北方の山で、遂に師匠を見つける。髪も衣服もボロボロだが、真っ直ぐな背筋と、凛とした目の輝きは相変わらずだった。
『師匠!』
『……ミコト?』
幸い周りに組織の人間はいなかった。
だからミコトは、すぐに手を差し伸べる。
『師匠! 一緒に逃げ――』
――ここで意識が途切れた。
何が起きたのか、全く分からなかった。
辛うじて頭に入ってきた情報は音だけだった。金属のぶつかり合う激しい音。誰かの悲鳴と声援、それから怒声、荒れた吐息。
目が覚めた時、ミコトは師匠の膝に頭を乗せていた。
全身が鉛のプールに浸かっているかのように重たかった。
そして、師匠は――。
『え……は、あ………………?』
『あら、やっと目が覚めたのね』
生暖かい血がミコトの頬を濡らしていた。だがこの血は、ミコトのものではない。
ミコトの全身が、返り血で赤く染まっていた。
『いい、ミコト? 落ち着いて聞きなさい。貴方は組織に暗示をかけられていたの。それもとびきり強力なやつをね』
『師匠……血が、血が、こんなに……っ!?』
『組織は最初から、私たちをまとめて始末したかったみたいね。……貴方、自殺志願者みたいに何度も特攻してくるんだもの。まったく、私の唯一の弱みを突いてきたわね』
『だ、駄目だ……これ以上、喋っちゃ……っ』
師匠は喋りながら、大量の血を吐き出す。
師匠の身体は傷だらけだった。
なのに、ミコトの身体は――――傷一つついていなかった。
暗示をかけられて暴走したミコトを、師匠は最後まで労ろうとしたのだ。話を聞く限り、暗示にかかったミコトは単調な特攻を繰り返していたのだろう。その程度なら、師匠がその気になればいくらでも撃退はできたはず。なのにそれをしなかったのは――師匠だからだ。師である自分の身よりも、弟子を大事にしてしまったからだ。
不甲斐なさでいっぱいになったミコトは、涙を流した。
そんなミコトに師匠は微笑む。
『ミコト。生まれ変わったら何をしたい?』
師匠が空を眺めながら尋ねる。
もう意識が朦朧としている。焦点が定まっていない。
助からないという現実を受け入れて、師匠は何気ない会話を交わそうとしていた。
恐らく最後となる、師匠と弟子の他愛もない会話を……。
『青春を謳歌するのはどうかしら? 学校とか、行ってみたいんじゃない?』
『……別に、いいよ。どうせ馴染めないし』
『無愛想なミコトでも、好いてくれる人はいるかもしれないわよ? 私みたいに』
ミコトは小さく笑った。
師匠みたいな人が、学校なんかにいるわけがない。
『……師匠はどうなのさ。生まれ変わって、やってみたいことはあるのか?』
『私? 私は、そうね。生まれ変わったら、今度こそ本当の正しい人になりたいわ』
心だけではなく、本当の意味で、全てが正しい人に。
師匠はなりたいと言った。
『じゃあ僕は師匠を手伝うよ』
『駄目よ。そんなの、勿体ないわ』
勿体ない? と首を傾げるミコトを、師匠は慈悲深い眼で見つめた。
『ミコト、貴方は立派に育ったわ。組織でも、貴方を越える逸材はもう二度と現れないでしょう。……だからこれからは、私の背中を追う必要なんてない。私の手伝いじゃなくて、貴方自身が正しい人を目指すのよ』
『僕自身が……?』
『ええ。だって、そうすれば私と貴方で、二倍正しいことができるじゃない』
それは事実上の、バディ解散の宣言だった。
だが、この上なく前向きな解散だった。半人前だったミコトは一人前になり、これからは肩を並べて活動できるだろうと師匠は判断したのだ。
『一緒に、思い描きましょう? そんな、夢みたいな未来を……』
果たして、師匠は言いたいことを全て言えたのだろうか。
それ以上――師匠が喋ることはなかった。
きっと師匠は最後に、希望を与えたかったのだろう。
これから先の、生きる指標となるような何かを。それさえあれば、ミコトという人間は絶望の坩堝に落ちないだろうと思って。
だが、ミコトは歯を食いしばった。
『……師匠。貴女は、大事なことを見落としている』