神様を決める教室

第五章 願い ⑧

 最初に巨大なドラゴンが一回転した際、天地が逆になったタイミングでナッシェの視界から外れたため、その隙に巨大なドラゴンの尾に引っかけておいたのだ。命綱にも使えたが、攻めの一手に利用したかったので鱗の溝に潜り込ませて隠していた。


「《風よ! アタシの身体を持ち上げて!》」


 ナッシェが風にお願いする。

 風はナッシェのお願いに頷き、ふわりとその身体を持ち上げた。体勢を変えたナッシェは盾代わりにしたナイフを斜めに構え、鋼糸を辛うじて受け流す。

 しかし――。


「……いない?」


 ナッシェがミコトを見失っている間、ミコトは巨大なドラゴンの顔へ向かった。

 巨大なドラゴンは身体を揺らしてミコトを落とそうとする。ミコトは鋼糸を引っ張ってナイフを手元に手繰り寄せ、今度は鋼糸を鱗に引っかけてドラゴンの顔面へと飛び移った。

 ドラゴンの大きな琥珀色の瞳が、ミコトの全身を映していた。

 ミコトはその大きな瞳に――躊躇なくナイフを突き立てる。

 大気が震えるほどの巨大な叫びがグラウンドに響いた。眼下で鎮座する校舎の窓ガラスが全て割れる。その叫びを間近で聞いたミコトは、鼓膜が破れて両耳から出血した。

 だが、一切揺らがぬ意志と共に、もう一方のドラゴンの瞳を睨む。

 その意志とは勿論――殺意だった。


「――おい」


 鋼糸にぶら下がりながら、ミコトはもう片方のドラゴンの瞳にナイフを突きつけた。


「もう一度、目玉を抉られたいか? その後、更に脳味噌を掻き回されたいか?」


 冷徹に、ミコトは告げた。

 無機物との対話はナッシェの専売特許だが、生物との対話はその限りではない。

 だからミコトは、ミコト流のやり方でこのドラゴンとする。


「お前に知性があるなら僕の言うことを聞け。……三十秒後に身体を揺らせ」


 両耳から血を垂らしながら、ミコトは殺意を漲らせてドラゴンを睨んだ。

 ミコトが本気であると悟ったのか、ドラゴンの瞳にほんの少しの恐怖の色が過ぎる。

 対話に手応えを感じたミコトは、すぐにドラゴンの背中に戻った。


「く……っ」


 ナッシェはドラゴンのけたたましい悲鳴を聞いて、両耳を押さえていた。多分、どちらかの鼓膜が破れたのだろう、出血している。

 ――訓練が足りない。

 鼓膜が破れた程度で動揺するとは、未熟だ。

 ミコトは懐に忍ばせていた小さな球を、足場となるドラゴンの背中に叩き付ける。

 すると、濃い黒煙が広がった。


「煙幕!? ――《風よ、この黒い煙を吹き飛ばせ!》」


 風下のナッシェは瞬く間に黒煙に包まれたが、すぐに風にお願いして煙を払う。両耳の鼓膜が破れているため音は聞こえないが、読唇術でナッシェが唱えた言葉は大体分かった。

 一瞬の隙を突き、ミコトはナッシェに肉薄する。


「《た、大気よ! こいつを押し潰して!》」


 ナッシェが何かを唱えると同時にミコトはその場から飛び退いた。

 不可視の攻撃だが、不可避の攻撃ではない。


「《風! こいつを吹き飛ばして!》」


 ナイフを逆手で握り、鱗の溝に深く突き立てた。

 爆風が直撃するが、ナイフを支えにその場で踏ん張ってみせる。

 最後の一歩が詰め切れない――その時、巨大なドラゴンが身体を激しく揺らした。

 丁度、三十秒。巨大なドラゴンはミコトの指示に従った。


「くっ!?」


 体勢が崩れたナッシェは、他のドラゴンに飛び移るか逡巡する。

 その僅かな迷いを突くように、ミコトはナッシェに近づきナイフを閃かせた。


「う、あぁああぁああァァ――ッ!!」


 死を間近で感じたナッシェは、混乱して半ば自棄になりつつも、ミコトから奪ったナイフで対抗した。

 ガキン、と激しい金属音が響き、両者のナイフが弾かれて足元に落ちる。

 ミコトはすぐに、近くにある方のナイフを拾ってナッシェに迫った。


(――勝った!)


 と、ナッシェが内心で笑ったのが読み取れた。


(焦ったね! それは、アタシのナイフ――ッ!!)


 ミコトが拾ったのは自分のナイフではなく、ナッシェが握っていたナイフだった。そのナイフならばできる。

 勝利を確信したナッシェは、大きな声で叫んだ。


「《ナイフよ! 今、あなたを握っている男を刺せッ!!》」


 ナッシェの能力が発動される。

 ミコトの握る灰色のナイフが、ナッシェのお願いを聞いてその手から離れる――。

 ――

 目を見開くナッシェの胸元を、ミコトはその手に握る刃物で深く突き刺した。

 ナッシェの口腔から、鮮血が溢れて零れ落ちる。


「なん、で…………」

「……お前の能力は、対象を正しく指定しなければ発動できない」


 大気よ、風よ、弾丸よ、火よ――こんなふうに、ナッシェはいつも対象を具体的に指定した上で能力を発動していた。

 どんな存在とも対話できるということは、どんな存在にも声が届いてしまうということ。

 つまりナッシェの能力は、群衆の中から特定の誰かへ呼びかける行為に等しい。だから正確に相手を指定しないと、目当ての人物に振り向いてもらえない。

 それなら――対象を誤認させればいい。


「これは、ナイフではない」


 ミコトはその手に握っていた刃物を落とした。

 それはナイフではなく、手頃なサイズに砕いたドラゴンの鱗だった。


「……はは、やられた………………アタシの、負けかぁ……」


 ナッシェが背中から倒れる。

 その衝撃で、口腔から更に血が溢れ出た。


「アタシの願いさぁ……あと、六千点で叶うんだ……」


 か細い声でナッシェは言った。

 唇の動きが見えにくいが、なんとか読み取れる。


「多分、貴方より少ないでしょ? だからすぐに終われるんだよ。……譲ってくれない?」


 敗北は認めたが、まだ生存は諦めていないようだ。

 今すぐにミコトがドラゴンの逆鱗を手に入れたら、ナッシェは生き残るかもしれない。誰かに治療してもらう、もしくはすぐに保健室へ運ぶことさえできれば――。

 だが、ミコトはそんなナッシェを冷たく睨んだ。


「――嘘をつくな」


 ナッシェを見下ろし、語りかける。


「願いを叶えることが大事なら、なんとしても自らの手でルシアを殺したいはずだ。なのにお前は協力者を募った」


 ナッシェの技量は高い。慎重に機会を窺えば、いつか必ずルシアを殺せただろう。

 しかし、そうしなかった理由が彼女にはある。


「お前にも、できたんだろう。己の願いと同じくらい大事な何かが」


 ミコトだけじゃなかった。ナッシェにも、願いとは別の大事なものができた。

 願いよりもそちらを優先するために、彼女は共同戦線を張ったのだ。

 今や、ナッシェが見つけた大事なものにも心当たりがある。

 そう――この学園には、聖女が死ぬことで得をする人間が一人いる。


「……あの子は、これからも色んな人に狙われるよ」


 ナッシェが掠れた声で言う。

 ルシアは良くも悪くも目立っている。

 粛正者にとっては大量の点数スコアを稼げる獲物。

 特定の生徒たちにとっても、やがて目の上の瘤となる存在。


「護りきれるか……見物だね……」


 ナッシェは頼りなく笑う。


「あぁ…………ごめんね、皆……………………」


 それが、ナッシェの残した最後の一言だった。

 ナッシェが死ぬと同時に、身体の中に何かが流れ込んできた。……多分、ナッシェの点数スコアだろう。今までとは比較にならないほど膨大な量なのか、初めて点数スコアの蓄積を実感できた。