あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-
第一幕 死霊魔術師のダイイングメッセージ ①
山間に見え隠れする灰色の塔を見ると自然と袖を引き上げる癖が付いていた。それは口や鼻の奥に容赦なく入り込もうとする死臭や薬品の臭いが記憶に染みついているからだ、とガイ・レフェンスは袖の下で舌打ちした。
山から吹きすさぶ風が臭いをかき消してくれるのが幸いだった。そうでなければ、鼻をつまみながら街道を進まねばならぬところだった。
忌々しさをこらえながら
目的の塔は、切り立った崖の上にある。山を包む
ゆっくりと馬から下りる。足首まで伸びたローブの裾がわずかに
濃緑色のローブは半人前……いや、独り立ち寸前の見習いの証である。偉大なる魔術師・アンゼル・ネイメスと師弟の契りを交わして、はや二十年。いまだこのローブは黒く染まってはくれない。杖もトネリコの木を削ったものだ。
塔の横にある
頑丈に組まれた石造りの塔は、かつて戦があった頃の名残である。
愚かな『魔力なし(マギレス)』の貴族から我が師にと
それが今ではあいつが己の研究室に使用している。
無性に腹立たしい。
まあいい、それも今日で終わりだ。
長い袖の中に手を入れ、短剣を指先で撫でる。ひやりとするような冷たさと硬さが秘めた殺意の証のように思えた。
落ち着いたところで、扉の横に付いた小さな鐘を叩いた。
「ハリー、私だ。君の兄弟弟子のガイ・レフェンスだ」
わずかな間の後、
塔の内側から暴力的な悪臭が内側から溢れ出す。扉の内側から白く細い指が現われる。続けて顔を覗かせたのは、二対の真っ白な骸骨だった。
ハリーは
元々は食い詰めた農民の子であった。それがガイの師匠・アンゼルに才能を見出され、死霊魔術の名門・ネイメス家に弟子入りすることになった。それまでは魔術など縁の無かった少年は、ネイメス家の研究の粋を集めた記録を吸収し、一躍弟子の中で頭角を現した。今では一番弟子だったガイの地位を奪うほどに。
骸骨は内側から貼り付くようにして扉を開けると、ガイを手招きした。入ってこい、という合図なのだろう。
生前の肉は全てそげ落ち、陶器のような表面を日の光に反射させている。
ガイは顔をしかめながらまたも袖で口元を覆い、塔の中に入った。
異変に気づいたのは
いつもは固く閉ざされた明かり取りの窓も開け放たれ、外の景色を絵画のように切り取っている。顔を背けて窓を閉めながらガイは
ハリーはがさつな男である。住み込みの弟子時代から書類も何もかも散らかし放題だ。ガイが気づかなければ、あやうく師匠から譲り受けた巻物を古紙と一緒に暖炉に投げ捨てるところだった。
この塔も例に漏れず、スラムのような有様であった。それが今では階段も整然として、死体どころか紙切れ一枚落ちていない。
何が起こっている? と揺らぎそうな気持ちを奮い立たせながら壁に手を付け螺旋階段を上っていく。階段の突き当たり、最上階には巨大な扉が見えた。
深呼吸をして、杖の先端でノックする。
「開いているよ」
呑気な声が帰って来た。ガイは扉を開けた。
「やあ、珍しいね。君がここまで来るなんて」
背の高い、金髪の男が巻物の束を抱えていた。『
「歓迎するよ、『兄弟子』殿」
「ふん」
胸の奥から湧き上がる不快感をこらえながらガイは部屋の中を見渡す。
塔の最上階は石造りの四角い部屋になっている。奥の壁には書物の敷き詰められた書棚が置いてある。向かって右側には大きな窓が開いていて、冷たい風を吹き込んでいる。窓とは反対側の壁には小さな扉があり、台所や用足しの場所になっている。
「貴様が掃除とは珍しいな」
「事情があってね」
服の袖で額の汗を拭き取りながらハリーは答えた。
「事情とはなんだ」
「今にわかるよ」
「
「まあまあ、そう慌てないで」
何度尋ねてもハリーは掃除の手を止めず、のらりくらりとかわして明確な返事をよこさなかった。
「掃除くらい、侍女でも雇えばいいだろう」
「生きているものはどうにも性が合わなくってね」
と、ハリーはガイが入ってきた扉の横を見つめる。壁には二体の屍が直立不動で立っている。男と女の死体だ。年の頃は二十代のはじめから半ば、というところだろう。紫色の肌は防腐処理のために薬品につけ込んだ証拠だ。男の方は白い
「新作か?」
先日来た時には見かけなかった。肌の張りや
「麓の村でちょっとね」
本棚に魔導書を押し込めながらハリーが答えた。
「『遠見』で近くを見ていたらちょうど結婚式を挙げている最中だったんだよ。前から夫婦のゾンビが欲しかったんで、
と、窓を指さす。ハリーほどの魔術師にとって『
つまり、花嫁と花婿は結婚式の最中にハリーに踏み込まれ、殺された上に死体を弄ばれているというわけだ。
ガイは渋い顔をした。
新婚の犠牲者夫婦を哀れんでいるわけではない。いかに魔術師であっても、無闇に『
死体には両名とも額には黒子のような痕がある。針のような穴を開け、それを別の箇所から持ってきた肉で埋めたのだろう。新鮮な死体を調達するときは、なるべく傷つけないよう、額を狙う。
「いいだろ、これ。知っているよね。死んでも少しの間なら爪や髪の毛も伸びるんだ。新鮮な死体をどうしようか、今からわくわくしているところさ」
ハリーは死体愛好家であった。一方で生者を嫌悪していた。そのせいで、友人と呼べるのは『
「後でどうなっても知らぬぞ」
「平気だよ。証拠なんて残ってやしないさ」
いっそ告げ口でもしてやろうかと思ったが、その程度の失態ではさしたる瑕疵にはならないだろう。師匠もまた『
「まあ、ゆっくりしていってよ」
いつの間にか、ハリーがティーカップとティーポットを持ってきた。
「君が来てくれたのは、幸運だった。もうしばらくいてくれるだけでいいんだ」