あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-
第一幕 死霊魔術師のダイイングメッセージ ②
はたとガイは気づいた。
「もしかして来客か?」
「ご名答」
ぽんと手を打つ。人間嫌いのハリーはガイに来客の相手をさせるつもりらしい。
「ふざけるな」
ガイは反射的に喚いた。
「俺は貴様の執事ではないぞ」
「頼むよ、兄弟子殿」
甘ったれた声にますます苛立つが募る。
「僕はもう決めたからね」
再度断ろうとする前に、ハリーがむくれた表情で指を鳴らした。
しばらくして、塔の下で馬のいななきが聞こえた。苦しげな声の合間に馬蹄を叩き付ける音や何かにぶつける音も聞こえてきたが、不意に静まりかえった。
「貴様……」
ガイはわずかばかりに憎しみを解放してハリーをにらみつけた。
何が起こったのかは問いただすまでもなかった。
階下にいた死体を操り、ガイの乗ってきた馬を殺したのだ。
「そう怒らないでよ。僕だって悪気はないんだ」
「ふざけるな」
名前こそ付けなかったが、小柄で頑丈なのが取り柄の馬を密かに気に入っていた。それを殺されて笑っていられるか。何よりハリーの言いなりになるなど不愉快きわまりない。
「ちゃんと、新しい馬も用意するからさ。頼むよ」
「いらん」
ハリーの用意する馬など、どうせ骸骨の馬に決まっている。あるいは、たった今外で死んだばかりの馬のゾンビか。
「……だが、まあいい。この借りは高いぞ」
長い山道を麓まで徒歩で下るなど想像したくもない。下手をすれば野宿だ。
「そう言ってくれると思っていたよ。さすがは兄弟子殿だ」
「ならばまずは茶の代わりを入れろ」
「はいはい」と席を立った。
台所へと去って行くその背中を見つめながらガイは決意が揺らぐのを感じた。
このままでは来客と鉢合わせだ。どこの物好きかは知らないが、おそらく別の派閥の『
ただでさえガイには動機がある。犯行時刻に現場にいたとなれば、間違いなく最重要容疑者だ。来客が何者かも分からない以上、口封じに出るのは危険すぎる。用件も帰る時間も分からない以上、待つリスクも高い。日を改めようとも考えたが、それでは間に合わない。
病に倒れ、余命幾ばくも無い師匠は、ハリーを正式に後継者に指名し、アンゼル・ネイメスの名を継がせようとしている。明日か明後日にもハリー本人に伝えられ、
その後で殺害したのでは遅いのだ。魔術師の名跡は原則、師匠から弟子へと受け継がれる。ハリーに弟子はいない。直弟子でもない、
であればこそ、だ。
ここで仕留めるしかない。
ガイは深呼吸して心のたがを締め直すと、袖口から短剣を取り出した。音を立てぬよう静かに鞘を抜く。
薄曇りの鈍い空が刃に水鏡のように映し出される。しゃがみ込み、鞘を床に置くと、猫科の獣のように忍び足で一歩一歩と、ハリーのいる台所へと迫る。汗が額からしたたり落ちる。心臓が耳障りなほどに高鳴る。
「次は何のお茶がいいかな?」
台所の声にガイは一気に床を蹴った。短剣を腰だめに構え、雄叫びを上げながら体ごとハリーの背中にぶつかっていった。
手のひらに固く、肉をうがつ感触が伝わる。
くぐもったうめき声がハリーから漏れる。
「なに、を……」
信じられない、というハリーの絶望に満ちた声を聞いて、ガイは勝利の愉悦を感じた。とどめを刺そうと、短剣の柄に手のひらを当て、もう一度全体重を込めて押していく。ハリーの体が一瞬けいれんすると、がくりと力が抜けて、腕がだらりと下がる。
抵抗しなくなったのを確認してからガイは力を込めて突き飛ばした。うつぶせに倒れ込んだ背中には、
やった、やったぞ!
わき出る笑いをこらえきれず、
ハリーは死んだ。
これで後継者の座は……偉大なるアンゼル・ネイメスの名は俺のものだ。
全く、手間をかけさせてくれる。
呼吸を整えて心臓を落ち着かせながら短剣と手に付いた血を拭う。
こいつが魔術師でなければ、自ら刃を振わずとも良いものを。
弟子入りした魔術師は、まず自身の身を守る術を覚えさせられる。魔術であれば、極端な話世界の果てからでも暗殺が可能だからだ。
加えて魔術対策の護符を身につけ、呪術や使い魔の攻撃から身を守る。ここ数十年で、対魔術の備えは飛躍的に進歩している。よほどの実力差がない限り、魔術はほぼ無力化されてしまう。反面、物理的な攻撃に対する防御は限られている。『魔力の盾』のような物質を防ぐ魔術を四六時中張っていては、動くどころか水も飲めない。護符や魔術によって衣服そのものの強度は上げられるが、限度がある。かといって鋼鉄の鎧など常日頃から着てはいられまい。
おまけに、この塔には何重にも防御魔術や結界が張られている。塔に籠もっている限り、遠隔からの魔術ではハリーはまず殺せなかった。
魔術師を殺すには、至近距離からの物理攻撃が一番なのだ。その上、ガイの短剣はこの日のために用意した特別製だ。護符の編み込まれた衣服も易々と貫く。何より短剣の刃には【『死霊魔術(ネクロマンシー)』封じ】が仕込んである。死者との会話をさせないのもまた、『死霊魔術(ネクロマンシー)』である。この短剣で殺された者は、魂と肉体との繋がりを完全に切り離される。魔術で魂を呼び寄せようとしても徒労に終わる。
研究室ならば魔術による遠視対策も万全である。研究を盗み見されないための手段だが、皮肉にもガイの犯行もくらませてくれる。この場を殺害現場に選んだ理由の一つだ。短剣にも同様の魔術を掛けてあるので、そこからガイの犯行が露見する不安もない。台所へティーポットを片付け、中の茶を捨てる。己のいた痕跡は消し去らなくてはならない。
とにかく一度塔を出よう。馬を殺されたのは完全に想定外だった。一度森の中に入って来客をやり過ごす。
台所を出ようとした時、ハリーの側に白い紙が落ちているのが見えた。手紙のようだ。封は切られている。
ガイは手紙を拾い上げた。来客の素性次第では、口封じの方が確実だ。運が良ければ、馬か何か移動手段を奪う手もある。
差出人の名前は、マンフレッド・E・レポフスキーと書いてあった。
その瞬間、ガイは己の心臓を黒い手に握られた気がした。
「まさか、レポフスキー卿……『裁定魔術師(アービトレーター)』か?」
『魔術』と『魔術師』の始まりは約五百年前、一人の天才まで遡る。
その者は己の魔力を媒介にして世界の理を操る『魔術』を生み出し、自らを『魔術師』と名乗った。『魔術師』は次々と新たな魔術を編みだし、世界を変えていった。魔術に魅せられた多くの者たちが教えを請い、弟子となった。弟子はまた次の弟子を取り、魔術師の数は飛躍的に増えていった。最初の魔術師は、尊敬と畏怖を込めて『始祖』と呼ばれるようになった。『始祖』は魔術を心正しく使うように『制約』を定め、弟子たちに教え守らせた。
だが弟子の一部は異能の力に驕って暴走した。魔術を使えない人間たちを『
『始祖』は嘆き、怒り、悔やんだ。愚かな弟子たちに処罰を下すと、二度と同じ悲劇を繰り返さないために、信頼できる弟子たちを選び抜き、罪を犯した魔術師の監視と逮捕と処罰を命じた。それが『裁定魔術師(アービトレーター)』である。