あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-
第一幕 死霊魔術師のダイイングメッセージ ③
彼等の活躍により、愚かな魔術師たちは冥界へと移住を余儀なくされた。
世界は人の時代に戻り、程なくして『始祖』もまた冥界へと不帰の旅に出た。
残った弟子たちは今度こそ『始祖』の教えを守るため、相互監視と『制約』の遵守に当たる組織を作り上げた。後の『魔術師同盟』……通称『同盟』である。
時代が移り変わっても『裁定魔術師(アービトレーター)』は代替わりを繰り返しながら『制約』を破った魔術師たちを見つけては罪を見定め、罰を与えている。
レポフスキーは『裁定魔術師(アービトレーター)』の中でも最強とうたわれている一族だ。歴代当主はいずれも『裁定魔術師(アービトレーター)』を兼任し、血縁ではなく徹底した実力主義により当主が決められるという。尊敬と畏怖と敬意を込めて、レポフスキー家の当主には『
「貴様、なにをやらかした?」
悔恨と怒りを込めて血だまりに倒れたままの弟弟子に呼びかける。ハリーが処罰されるような罪を犯したのなら、後継者の話も流れていたはずだ。己の判断が早まっていなければと願いつつガイは手紙を開いた。
時候の挨拶からはじまり、ハリーの研究に興味があるため、この塔を訪れる旨が書いてあった。しかも予定日は今日の午前だ。もうすぐではないか。不精者のハリーがあわてて部屋を片付けていた理由を理解した。
まずいことになった、とガイは頭を抱えた。『制約』の違反者には、罪に応じて相応の罰が下される。最も重い罪の一つが『魔術師による魔術師殺し』である。
ハリー殺害を計画してから『裁定魔術師(アービトレーター)』についても調べてある。過去の文献から噂程度のものまで様々な情報を精査した。『裁定魔術師(アービトレーター)』は決して、万能の存在ではない。無敵の力を発揮できるのは、あくまで罪を犯した魔術師のみ。正確に言えば『罪を犯したと確定した魔術師』だけなのだ。
魔術師の罪と逮捕・拘束は『裁定魔術師(アービトレーター)』の判断にゆだねられる。言い換えれば、誤魔化すことさえ出来れば、逃れるのも不可能ではない。同一の罪による審判は一度きり。一度無罪と確定されれば、後日新たな証拠が出たとしても裁かれることはない。この塔の中では魔術を使っても証拠は出て来ない。いかに優れた魔術師であろうと、恐れる必要はないのだ。『読心』や『強制』など精神に関する魔術は使用が著しく制限されている。『時間遡行』でも持ち出されたらお手上げだが、あれは理論上のみ可能とされている魔術だ。現実になしえた魔術師は『始祖』以来、ただの一人もいない。
「早く外に」
そろそろレポフスキー卿が塔を訪れ、死体を発見する。すぐに調査を始めるはずだ。真っ先に疑われるのは動機を持つガイだ。野宿でも構わない。一刻も早くこの場を離れなくては。
扉の取っ手に手をかけた時、背後で何かが動く気配がした。薬品と死臭の暴力的な臭いがガイの
振り返ると、男の死体が動き出していた。
ガイは反射的に飛び退いた。
死体は入れ違いに、ガイの横を駆け抜けていき、窓の方へと一直線に突っ込んでいく。そのまま窓を飛び出し、鈍色の空へと消えていった。
塔の下から生々しい落下音が聞こえた。
ガイはあわてて台所へと向かった。うつぶせに倒れたハリーの右腕がわずかに上がっているのが見えた。小刻みに振るわせながら人差し指を立て、空に文字を描くように動かしている。まだ生きている。とどめをさすべく駆け寄ったが、ガイがたどり着く前にハリーの右腕はぱたりと床に伏せ、それっきり動かなくなった。
念のため心臓や
ガイは乱れた呼吸を整えながら汗をぬぐった。
「驚かせてくれる」
どうやら最後の
時間がない。早く塔を出なければ。死体の側にいれば『裁定魔術師(アービトレーター)』でなくても疑われる。
階段を降りかけたその時、階下で鐘が鳴った。
心臓が跳ね上がった。しまった、遅かったか。一瞬、居留守を使ってやり過ごそうかと思ったが、異変を察して扉を強引にぶち破られれば、言い逃れはできない。扉には『
ガイは覚悟を決めて塔の階段を下っていく。
一階まで下りてもまだ鐘は鳴っていた。どうあっても帰らないつもりらしい。いっそ『
慌てふためいた姿は見せたくなかった。なるべく落ち着きのある、威厳に満ちた声音を作って扉の外へ呼びかける。
「今開ける。しばし待たれよ」
その途端、鐘の音はぴたりと止んだ。
緊張を胃の奥に飲み込み、細い覗き窓から訪問者を見た。
そこにいたのはまだ若い、少女といっていい年頃の娘だった。
アッシュグレイの髪を後ろで結び、紺青色の瞳と白い肌は人形のように艶やかだ。つばの広い黒帽子に、黒の両手袋、黒いブラウスとスカートはまるで喪に服した侍女のような出で立ちである。足下には旅行用らしき黒革の鞄を置いている。
「お取り込み中のところ失礼いたします」
視線に気づいたのか、娘はスカートをつまみながら淑女(しゅくじょ)の礼を取る。
「お初にお目にかかります。わたくし、レポフスキー家の侍女を務めます、リネットと申します」
娘らしい、華やかな声とは裏腹に落ち着いた口調で言った。
「侍女?」
「はい」
リネットと名乗った娘は、形の良いおとがいを縦に揺らした。
「本日は、当家主人マンフレッド・E・レポフスキーの願いをお聞き届け下さり、大変感謝いたします」
そこでリネットは困ったように眉をひそめる。
「大変恐縮ですが、主人はこちらにお越しではございませんでしょうか?」
「どういうことかな」
「ここに来る途中、主人とはぐれてしまいまして。先にこちらに来ておりませんでしょうか。場所は承知しておりますので、先行されているのではないかと」
要するに主人とはぐれてしまい、とりあえず目的地であるハリーの塔にやって来たというわけか。間抜けな女だ。
「いや、まだ来られてはいない。どこかで行き違ったのではないかな」
とはいえ、露骨に無礼な態度を取って後で主人に告げ口をされてはたまらない。つとめて丁寧に、しかし威厳を崩さない態度で接する。
「そうですか」
リネットは顔色を変えずにうなずいた。
「でしたら、大変恐縮ではございますが、しばらくこちらで待たせていただけませんでしょうか? 主人もすぐこちらに参ると思いますので」
厚かましい女だ。侍女というからには、どうせ『
「いや、それは」
上に来られれば、否が応でもハリーの死体を見られてしまう。
ためらうガイに向かい、リネットはうやうやしく頭を下げる。
「お願いいたします、ハリー・ポルテス様」
空の色が白黒反転する。雷光が
稲光が視界を埋め尽くす中、ガイははたと気づいた。
この娘は俺をハリーだと思っている。当然だろう。ハリーは『死霊魔術師(ネクロマンサー)』の死体愛好家。生者を寄せ付けない男だ。その男の住んでいる塔の中から出迎えたのだから。
これはチャンスだ。うまくすれば、『裁定魔術師(アービトレーター)』の目もごまかせる。
「しばし待たれよ」