あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-
第一幕 死霊魔術師のダイイングメッセージ ④
ガイはのぞき窓を閉めると急いで階段を駆け上がった。部屋に入ると、ハリーのクローゼットを開ける。自身のローブを脱ぎ捨てると、代わりにハリーのローブを着込む。少々窮屈ではあるが、着ることはできた。代わりに自身のローブをクローゼットに押し込む。
それからハリーの死体からローブを脱がせる。既に血は止まっていた。血だまりを拭く余裕はない。その上から赤い
半裸になったハリーの死体に向かって、呪文を唱えた。
「骸よ、動け」
ガイの『力ある言葉』に応じて、ハリーの死体が動き出す。成功だ。霊魂は消え去っても残滓がまだ肉体に残っている。体を動かすだけなら可能だ。まだ死後硬直は始まっていないので、なめらかに動かせる。
半裸のハリーを女の死体の側に立たせる。
「そこで待機だ。私が命じるまで絶対に動くな、いいな」
全てをやり遂げると、また階段を駆け下りる。
窓の外でまた雷が鳴った。一瞬の稲光が塔の壁に黒い影を生み出す。階段を下りる途中のガイに被さるように、見知らぬ影が伸びていた。足を止めて振り返ると、窓の外に黒い鴉が留まっていた。羽根を震わせ、飛沫をあげている。鴉はガイを一目見るなりけたたましい鳴き声を上げて、雨空へと飛び去っていった。鴉は不吉の象徴、とは『
まるでお前のなすことは全て失敗する、とでも告げられたかのような。
バカバカしい。
そんなものは気の迷いだ。かぶりを振ると、再び階段を下りていく。
汗をぬぐいながら扉の前で杖を振り、『
塔に入る扉の上にはひさしがあるとはいえ、強い雨である。
リネットも肩までぐっしょり濡れている。にもかかわらず入ろうとはしない。
「どうした、早く入るといい」
「こちらの方はよろしいのですか?」
リネットが申し訳なさそうに扉の横を見た。
「こちら?」
反射的にガイは外を覗き込んだ。
上半身だけの男が、扉にもたれかかるようにして倒れていた。
先程、塔の窓から飛び降りた死体であった。目を凝らせば、這いずった跡が濡れた地面に刻まれている。
扉より数歩離れたところには、下半身が落ちている。その数歩奥には、ちぎれた足が転がっていた。
落下した衝撃で胴体がちぎれ、もろくなっていた上半身と下半身が分かれたのだろう。
何故こんなところに? と考えるヒマはなかった。もの言いたげなリネットの視線に気づいたからだ。
「わたくしが到着した時にはすでにこちらに。お知り合いの方でしょうか」
「いや、これは……」
死体に知り合いもクソもあるものか。
心の中で怒鳴りつけながら急いで言い訳を考える。『死霊魔術師(ネクロマンサー)』の塔の前に、無関係の死体が落ちているなど、まずあり得ない。
「恥ずかしながら先程、術に失敗したのだ」
「失敗、ですか」
「さよう」ガイはなるべく気恥ずかしそうにしてうなずいた。
「死霊魔術の実験をしていたのだが、術の構成を誤ったらしく、言うことを聞かなんだ。部屋の中を暴れ回ったあげく、窓の下へと落ちてしまった、とまあ、そういうわけだ」
「そうですか」
気の抜けた返事だった。理解できないのか、興味がないのか。いずれにせよ無礼な小娘だ。
「こちらの方はいかがいたしましょうか?」
リネットはまだ死体を気にしているようだ。
「放っておいて結構。雨も降っている。後で片付けておこう。ささ、早く中へ」
「ではお言葉に甘えて。失礼いたします」
リネットが入ってきた。塔の石畳を水滴が濡らす。手鏡を見ながら濡れた髪を手ぐしで整えている。
雑巾か何か持ってくれば良かった。
リネットは丁寧に一礼してから歩き出した途端、不意に体勢を崩した。倒れ込むリネットの体をガイは反射的に腕を伸ばして抱える。
自然と、胸の中に抱き寄せる格好になった。甘い娘の臭いが
あり得ない、とガイは急いでリネットを自身の体から引き剥がした。
「その格好では風邪を引いてもいけない。上がって休んではどうかな」
「ご丁寧に痛み入ります」
リネットを中に入れ、塔の階段を先導する。最上階への石段を踏みしめながらガイは額から流れ落ちる汗を手の甲でふき取る。短時間に上り下りを繰り返して、息も切れてきた。体力のある己だからこそ今の状況をしのぎ切れているのだ。貧弱なハリーならは、途中でぶっ倒れているだろう。歪んだ優越感がこみ上げてきたところで、己の冷静な部分に冷や水を浴びせられる。ハリーならばそもそも今のような状況にはなるまい。
「お一人でお住まいなのですか?」
背後からリネットが問いかけてきた。
「人付き合いは煩わしくてな」
ハリーならば死体の方が大好きだから、と嬉々として語るだろう。だが、ガイには死体愛好家のような振る舞いなど出来そうもない。下手な芝居は己の首を絞めるだけだ。何よりハリーのモノマネなど御免被る。
「お一人では何かとご不便ではありませんか?」
「慣れればどうということもない」
返事をしながら、ガイはひそかに決意した。もしアンゼル・ネイメスの名前とこの塔を継いだら絶対に使用人を雇おう、と。どんな使用人がいいか、と想像を巡らせたところで背後の娘が脳裏に浮かび、すぐに打ち消した。
とりあえず、リネットを最上階にある研究室にあげる。死臭や薬品の臭いはリネットにも襲いかかっているはずだが、顔をしかめる様子もなく淡々と案内されたイスに座った。レポフスキー家の教育の賜物なのだろう。
今のところこの娘は、ガイをハリーだと信じ込んでいるようだ。そのうちレポフスキー卿も到着するだろう。卿もハリーの顔は知らないはずだ。うまくやり過ごすことができれば、後でハリーは事故死したと、師匠に報告すればいい。『裁定魔術師(アービトレーター)』もヒマではなかろう。師匠が納得しているのなら、わざわざ蒸し返すようなマネはするまい。ここをしのぎきれば、二度と出くわすこともないだろう。
だが、それは全てガイの予測、言い換えれば願望である。『裁定魔術師(アービトレーター)』の力がガイの想像を上回っていたとしたら破滅は免れない。レポフスキー卿の魔術については未知数な部分が多すぎる。ならば侍女というこの娘から少しでも情報を引き出してやろう。
本来ならば『
「そこもとはリネット、といったかな」
「はい」
「レポフスキー卿というのはどういうお方なのかな」
「品位・風格・魔術の技量、どれをとってもレポフスキー家当主にふさわしいお方です」
無難な答えが返ってきた。さすがに初対面の相手に
「レポフスキー家では才能によって次期当主を決めるという話だが」
「はい」リネットは誇らしげに首肯する。
「マンフレッド様は、幼い頃に先代のフレデリック様に拾われました。魔術の才を見込まれ、養子としての手続きとともに正式な当主となられました」
「失礼だが、マンフレッド殿はお幾つかな?」
「半年ほど前に十歳の誕生日を迎えられました」
ガイは絶句した。魔術師の世界には、異端や天才がそこかしこに現われる。それでも、十歳そこそこの小僧が魔術師一門の当主になるなど、まずあり得ない。
神童、というわけか。魔術の力量はともかく、経験や駆け引きなら己に分がありそうだ。上手くすれば、出し抜けるかもしれない。心の中で有利な要素を指折り数えながらさぞ興味深そうに問いを続ける。
「なれど、反対する者もいたのではないか?」