あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-
第一幕 死霊魔術師のダイイングメッセージ ⑥
ガイは刹那、無防備な背中を突き飛ばしてしまいたい
だがしょせんは妄想だ。『
そんな
「お待たせいたしました」
リネットは一礼するとまた元のイスに座った。
「何か変わったことでも?」
「色々と」そこでガイに意味ありげな視線を送る。
「一つ確認させていただきたいのですが」
「何かな?」
「なぜ、あなた様はハリー・ポルテス様を殺害されたのですか?」
息が詰まった。肺が握りつぶされたかのような息苦しさに咳き込む。
口元をぬぐいながらリネットを見るが、彼女の表情は崩れていなかった。冗談を言っているのではなかった。ガイの期待はもろくも崩れる。
「何の話かな」
それでも
「あなた様は本物のハリー・ポルテス様ではございません。おそらく本物はそちらの方かと」
リネットが顔を向けた先には紛れもなくハリーの死体があった。
「何故、そう思う?」
「臭いです」
リネットは言った。
「そちらの亡骸、亡くなったばかりというのに既に死臭と薬品の臭いがしました。おそらくは生前から既に体中にこびりついているものでしょう。旦那様によれば、死体保存の薬品は死霊魔術の秘術に属し、魔術師によってわずかずつ異なるものとか。ですが、その方の臭いは隣の女性の亡骸と全く同じでした。その方が『死霊魔術師(ネクロマンサー)』……つまり、この塔の主であるハリー・ポルテス様である証拠です」
頬に口づけしていたかのように見えたのは、臭いを嗅いでいたためか。
「ハリー様の亡骸を傀儡(かいらい)のように飾り、なおかつハリー様の名を騙られている。だとすれば、殺害したのはまず間違いなくあなた様でしょう。ついでに申し上げると、先程嗅がせていただいたあなた様の臭いと、この部屋の臭いは違いました」
塔の入口で助け起こした時にガイはリネットの体臭を感じた。つまりリネットもまたガイの臭いを嗅ぎ取っていたのだ。
恥辱を感じて怒りが膨らむ。
「どのような理由かは存じませんが、あなた様はわたくしどもの来る前にハリー様を殺害されました。死因はおそらく背中の傷でしょう」
何故それを!
リネットは涼しい顔で手のひらに収まる程度の手鏡を取り出す。死角から鏡を使って背中を覗いていたのだ。こざかしいマネを、とガイは唇をかんだ。
「本来でしたらすぐにでも塔を離れるところでしょう。その前にわたくしが塔に来たばかりにやむなくハリー様に扮してこの場をやり過ごすことにした。そんなところでしょうか」
流れるように自身の推理を
「拝見いたしましたところ、あなた様も死霊魔術(ネクロマンシー)をたしなまれるご様子。おそらく同門の方とお見受けいたしますがいかがでしょうか?」
「貴様、何者だ?」
たかが『
「わたくしは、レポフスキー家の侍女です。それ以上でも以下でもございません」
得意げになるでもなく、淡々と語るリネットにガイはますます
どうする? この女が主人に告げ口をすれば、間違いなく身の破滅だ。何とかして口をふさがねばならない。いや、それこそ命を縮める行為だ。考えろ、考えろ! と必死に己を叱咤する。頭を使いすぎたせいか額から汗が噴き出す。頭が熱くなってきた。風が欲しい、とふと窓を見た時ガイの脳裏に天恵のようなひらめきが浮かんだ。
「ハハハハハハハハハ……」
ガイは高笑いを上げる。リネットの表情は変わらない。
「いやはや、よく考えついたものだ。空想にしては良くできている。だが、肝心なことを忘れてはいないか?」
「肝心なこと、とはなんでしょうか?」
小首をかしげるリネットに向けて両腕を上げ、誇らしげに宣言する。
「私が『魔術師』だということだ」
ガイは我が身の魔力を練り上げ、呪文を唱える。この程度の魔術であれば、見習いのガイでも使える。
「『
その途端、ガイの両足は床を離れ、ゆっくりと浮き上がる。ガイだけではない。イスもテーブルも本も、黒革の鞄も、ハリーやほかの死体も、そしてイスに座っているリネットさえも、音もなく浮かび上がる。
壁に据え付けられた本棚やクローゼットを除き、部屋の中の様々なものがまるで水中のように部屋の中を漂う。
「どうだ、見たかね。この力を!」
空を飛べるのなら窓から逃げればいい。リネットが訪問したからといって、わざわざ他人になりすます必要もない。それに、臭いなどこの部屋に長い間いればこびりつくものだし、己の臭いなど洗濯や風呂でいくらでも消える。何の証拠にもならない。『死霊魔術師(ネクロマンサー)』の知識ならばそれこそハリー本人だという根拠にもなり得る。偽者扱いするには、根拠が薄弱だ。
「そこもとの推理は最初から破綻(はたん)しているのだよ」
「なるほど」
「認めるのだな。己の間違いを」
ガイはにやりと笑った。この小生意気な娘をどうしてくれよう。いかにレポフスキー家の侍女とはいえ、魔術師に無礼を働いたのだ。正式に抗議しなくてはならない。賠償として、この娘を譲り受けて生きたまま解剖してやろうか。魔物と交合させてやろうか。いや、それよりもこの件を盾に『裁定魔術師(アービトレーター)』に貸しも作れる。
「滅相もないことでございます」
リネットは首を横に振ると、宙に浮かぶ本や家具、ハリーの死体へと視線を移していく。
「あなた様の
リネットは宙に浮いたまま顔の前を横切るイスを手で押しのける。
「これより審判を始めます」
黒衣の侍女はうやうやしく、しかし威厳を持って宣言した。
「あなた様が犯人だと最初に疑ったのは、ハリー様の亡骸を見るより前。この塔の前に来た時です」
「バカな」
ハッタリにも程がある。
「覚えておいでですか? 塔の下に倒れていた亡骸を」
「それがどうした?」
「あれを動かしたのは本物のハリー様です」
ガイは一笑に付した。
「あれはミスだと……」
「いえ、あの亡骸はここから誤って落ちたのではございません。ハリー様の意志で塔の下に『飛び降りる』よう命じられたのです」
飛び降りる? 何故そんなマネを?
「その証拠に窓枠には足跡が付いていました。もし勢い余って落ちたのなら下半身……太股辺りにぶつかり、前のめりになって落ちるはずです。ですが、そんな痕跡はございませんでした。あの亡骸は自らの足で窓枠を蹴り、飛び降りたのです」
「そんなものが何の証拠になる」
「問題は何故、塔の下へ亡骸を向かわせたのか、です」
あの時ハリーは背中を刺され、虫の息だった。命は
そこでリネットは宣誓のように右手を挙げた。