あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-

第一幕 死霊魔術師のダイイングメッセージ ⑥

 ガイは刹那、無防備な背中を突き飛ばしてしまいたい衝動しょうどうに駆られる。そうすればハリーやリネット、未だ姿を見せぬ『裁定魔術師(アービトレーター)』のことも全て解決するような気がした。軽く突き飛ばしただけでリネットはバランスを崩して地面に真っ逆さまだ。そう考えるだけで哀れな女の悲鳴まで聞こえるような気がした。

 だがしょせんは妄想だ。『魔力なしマギレス』の侍女とはいえ、レポフスキー家の者に手を出したとあれば、プライドの問題だろう。『裁定魔術師(アービトレーター)』の使命とは関係なしにガイを始末しかねない。

 そんな葛藤かっとうも知らず、リネットは塔の下をまだ熱心に覗き込んでいる。何が珍しいのだろうか。窓の下には入ってきた扉しかないはずだ。あとはさっき落ちた死体くらいだろう。


「お待たせいたしました」


 リネットは一礼するとまた元のイスに座った。


「何か変わったことでも?」

「色々と」そこでガイに意味ありげな視線を送る。


「一つ確認させていただきたいのですが」

「何かな?」


「なぜ、あなた様はハリー・ポルテス様を殺害されたのですか?」


 息が詰まった。肺が握りつぶされたかのような息苦しさに咳き込む。

 口元をぬぐいながらリネットを見るが、彼女の表情は崩れていなかった。冗談を言っているのではなかった。ガイの期待はもろくも崩れる。


「何の話かな」


 それでも一縷いちるの望みをかけてとぼけてみる。口に出した以上、疑っているのは確かだろう。けれど、今までのやりとりで証拠を握られたという確証も感じなかった。かまを掛けている可能性もある。三文芝居のように「見破られたか」と自ら正体を現すのは間抜けに過ぎる。


「あなた様は本物のハリー・ポルテス様ではございません。おそらく本物はそちらの方かと」


 リネットが顔を向けた先には紛れもなくハリーの死体があった。


「何故、そう思う?」

「臭いです」


 リネットは言った。


「そちらの亡骸、亡くなったばかりというのに既に死臭と薬品の臭いがしました。おそらくは生前から既に体中にこびりついているものでしょう。旦那様によれば、死体保存の薬品は死霊魔術の秘術に属し、魔術師によってわずかずつ異なるものとか。ですが、その方の臭いは隣の女性の亡骸と全く同じでした。その方が『死霊魔術師(ネクロマンサー)』……つまり、この塔の主であるハリー・ポルテス様である証拠です」


 頬に口づけしていたかのように見えたのは、臭いを嗅いでいたためか。


「ハリー様の亡骸を傀儡(かいらい)のように飾り、なおかつハリー様の名を騙られている。だとすれば、殺害したのはまず間違いなくあなた様でしょう。ついでに申し上げると、先程嗅がせていただいたあなた様の臭いと、この部屋の臭いは違いました」


 塔の入口で助け起こした時にガイはリネットの体臭を感じた。つまりリネットもまたガイの臭いを嗅ぎ取っていたのだ。

 恥辱を感じて怒りが膨らむ。


「どのような理由かは存じませんが、あなた様はわたくしどもの来る前にハリー様を殺害されました。死因はおそらく背中の傷でしょう」


 何故それを! 迂闊うかつにも叫びそうになるのを懸命にこらえる。ここで叫ぶのはもちろん、慌てふためいては自白したのも同然である。

 リネットは涼しい顔で手のひらに収まる程度の手鏡を取り出す。死角から鏡を使って背中を覗いていたのだ。こざかしいマネを、とガイは唇をかんだ。


「本来でしたらすぐにでも塔を離れるところでしょう。その前にわたくしが塔に来たばかりにやむなくハリー様に扮してこの場をやり過ごすことにした。そんなところでしょうか」


 流れるように自身の推理を披瀝ひれきする。


「拝見いたしましたところ、あなた様も死霊魔術(ネクロマンシー)をたしなまれるご様子。おそらく同門の方とお見受けいたしますがいかがでしょうか?」

「貴様、何者だ?」


 たかが『魔力なしマギレス』の侍女にしては勘が鋭い。それに手鏡を使った調べ方といい、手際が良すぎる。やはり、この女が本物のレポフスキー卿か?


「わたくしは、レポフスキー家の侍女です。それ以上でも以下でもございません」


 得意げになるでもなく、淡々と語るリネットにガイはますますあせりをつのらせていく。

 どうする? この女が主人に告げ口をすれば、間違いなく身の破滅だ。何とかして口をふさがねばならない。いや、それこそ命を縮める行為だ。考えろ、考えろ! と必死に己を叱咤する。頭を使いすぎたせいか額から汗が噴き出す。頭が熱くなってきた。風が欲しい、とふと窓を見た時ガイの脳裏に天恵のようなひらめきが浮かんだ。


「ハハハハハハハハハ……」


 ガイは高笑いを上げる。リネットの表情は変わらない。


「いやはや、よく考えついたものだ。空想にしては良くできている。だが、肝心なことを忘れてはいないか?」

「肝心なこと、とはなんでしょうか?」


 小首をかしげるリネットに向けて両腕を上げ、誇らしげに宣言する。


「私が『魔術師』だということだ」


 ガイは我が身の魔力を練り上げ、呪文を唱える。この程度の魔術であれば、見習いのガイでも使える。


「『浮遊レビテーション』」


 その途端、ガイの両足は床を離れ、ゆっくりと浮き上がる。ガイだけではない。イスもテーブルも本も、黒革の鞄も、ハリーやほかの死体も、そしてイスに座っているリネットさえも、音もなく浮かび上がる。

 壁に据え付けられた本棚やクローゼットを除き、部屋の中の様々なものがまるで水中のように部屋の中を漂う。


「どうだ、見たかね。この力を!」


 空を飛べるのなら窓から逃げればいい。リネットが訪問したからといって、わざわざ他人になりすます必要もない。それに、臭いなどこの部屋に長い間いればこびりつくものだし、己の臭いなど洗濯や風呂でいくらでも消える。何の証拠にもならない。『死霊魔術師(ネクロマンサー)』の知識ならばそれこそハリー本人だという根拠にもなり得る。偽者扱いするには、根拠が薄弱だ。


「そこもとの推理は最初から破綻(はたん)しているのだよ」

「なるほど」

「認めるのだな。己の間違いを」


 ガイはにやりと笑った。この小生意気な娘をどうしてくれよう。いかにレポフスキー家の侍女とはいえ、魔術師に無礼を働いたのだ。正式に抗議しなくてはならない。賠償として、この娘を譲り受けて生きたまま解剖してやろうか。魔物と交合させてやろうか。いや、それよりもこの件を盾に『裁定魔術師(アービトレーター)』に貸しも作れる。


「滅相もないことでございます」


 リネットは首を横に振ると、宙に浮かぶ本や家具、ハリーの死体へと視線を移していく。


「あなた様の魔術トリックはすでに解けております」


 リネットは宙に浮いたまま顔の前を横切るイスを手で押しのける。


「これより審判を始めます」


 黒衣の侍女はうやうやしく、しかし威厳を持って宣言した。


「あなた様が犯人だと最初に疑ったのは、ハリー様の亡骸を見るより前。この塔の前に来た時です」

「バカな」


 ハッタリにも程がある。


「覚えておいでですか? 塔の下に倒れていた亡骸を」

「それがどうした?」

「あれを動かしたのは本物のハリー様です」


 ガイは一笑に付した。


「あれはミスだと……」

「いえ、あの亡骸はここから誤って落ちたのではございません。ハリー様の意志で塔の下に『飛び降りる』よう命じられたのです」


 飛び降りる? 何故そんなマネを?


「その証拠に窓枠には足跡が付いていました。もし勢い余って落ちたのなら下半身……太股辺りにぶつかり、前のめりになって落ちるはずです。ですが、そんな痕跡はございませんでした。あの亡骸は自らの足で窓枠を蹴り、飛び降りたのです」

「そんなものが何の証拠になる」

「問題は何故、塔の下へ亡骸を向かわせたのか、です」


 あの時ハリーは背中を刺され、虫の息だった。命は風前ふうぜん灯火ともしび。そのような状況で何ができるというのか? 

 そこでリネットは宣誓のように右手を挙げた。