あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-
第一幕 死霊魔術師のダイイングメッセージ ⑦
「ハリー様はわたくしどもが、もうすぐこの塔を訪れるのをご存じでした。そこで一矢報いるために、犯人を告発なさったのです」
「妄想だ」
あの死体が告発などとあり得ない。あのハリーに……死ぬ間際の人間にそのようなことを思いつくはずがない。だが、何か反論しなくては、事実と認めたことになる。思いつく限りの理由を並べ立てる。
「あれは、塔に侵入した敵を始末するために……」
「だとしたらまず目の前の敵に向かわせるのが当然の心理でしょう。目の前にいた方が、亡骸は操りやすいはずです」
リネットが右手の親指を折る。
「そうそう、苦戦した故に助けに向かわせたのだ」
「ハリー様は極度の人嫌いと聞き及んでおります。そのような方がいらっしゃったとは考えにくいかと。何より塔の下に第三者がいたような
今度は人差し指を折る。まるでカウントダウンのようだ。
「苦戦したが故に、重要な物を持って逃がしたので」
「だとしたら亡骸はもっと塔より離れた場所になくてはなりません。亡骸は地面に落ちた後、まっすぐ塔に戻って来ていました」
中指を折る。
「ようやく追い払ったので、逃げた敵の追跡を命じて」
「下の扉が内側から施錠されていた以上、敵は窓から逃げたことになります。ですが、今しがた申し上げた通り、亡骸はまっすぐ塔に戻っています」
薬指を折る。
「只今仰っていただいた動機はわたくしも思いつきましたが、申し上げた理由のため却下いたしました。残ったのが、ハリー様を殺害した犯人の『
残った小指を見せつけるようにかざす。
「亡骸は塔の扉の前に倒れかかるようにして力尽きていました。最初は塔に戻ろうとしていたのかと思いましたが、塔の門をひっかくなど開けようとした痕跡はございませんでした。つまり、あの亡骸は目的を果たしていたのです」
「目的?」
「犯人を逃がさないため、です」
死体は塔の扉をふさいでいた。もし、内側から出ようとすれば、死体をずらさないといけない。しかし、リネットが来たときはまだ死体は門の前にあった。
「つまり、亡骸が出口をふさいでいる時に中から出てきた人物こそが犯人。そうハリー様は訴えたかったのです。そしてわたくしの前に塔の中からあなた様が現れました」
「愚かな!」
ガイは喚いた。物言わぬ死体こそが、ハリーの『
「そんなものはいくらでもこじつけられる! 証拠になどなるものか。第一、今目の前で証明しているだろう。私は、『魔術師』だと!」
部屋の中では今もイスやテーブルや書物や死体や、そしてリネット自身が宙に浮いている。
「ですから、あなた様こそ犯人なのです」
そこでリネットは冷ややかに告げた。
「あなた様は高い場所が苦手なのですね」
その途端、部屋の中のものが全て床に落ちた。派手な音を立てながらテーブルは横倒しに転がり、本は開いたまま床に伏せられ、ハリーの死体は不自然な体勢で倒れている。リネットは着地の際にずれたイスを傾け、ガイの正面に来るように座り直した。
「な、何故それを……」
冷や汗が頬をつたってあごの下まで流れ落ちる。師匠とハリー以外は誰にも知られていないはずの秘密だというのに。
「ここに来てからあなた様の行動を観察しておりましたが、頑として窓の方には近づこうとなさいませんでした。塔の下に飛び降りた亡骸にしても、ここからでしたら見えるはずなのに、あなた様はたいそう驚いておいででした。それで確信したのです。この方は高い場所が苦手なので、確認ができなかったのだと」
「……」
「あなた様の言うとおり、いくら門をふさごうと、魔術師の方々なら空を飛べても不思議ではありません。ですが、あなた様は空から逃げられない。ハリー様はそれをご存じだったのでしょう。だからこそ、門をふさぐことであなた様を逃がさないようにした」
「……」
「あなた様が『
お前の限界だ。師匠の声が聞こえた。
お前には才能がない。お前は所詮、『
「違う!」
ガイの叫びは事実への拒絶だった。
「私に限界など、ない!」
ハリーは窓際に駆け寄り、窓枠に足を掛ける。
「見ていろ。今から空を鳥のように舞い上がってみせる。そこもとの言葉は全て偽りだと、証明してやろうではないか」
熱に浮かされたように窓枠に手を掛け、頭を塔の外へと乗り出したところで冷たい風が吹いた。体が止まる。落ちれば、死ぬ。精神力ではどうにもならない、根源的な恐怖が蘇った。
早く飛ばないのですか? と急かすような声が聞こえた。それはリネットの声でもあるし、師匠の声でもあり、ハリーでもあり、もう一人のガイのような気がした。
飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、と頭の中で声が反響する。背中を押されるようにもう一度窓枠に手を掛ける。
やってやる、やってやるぞ、とつぶやきながら顔を窓の外へ乗り出し、身を乗り出そうとした瞬間、目に飛び込んできたのは、はるか下方に広がる地面だった。吸い込まれるような感覚に、興奮は一瞬で消え失せ、代わりに黒い芋虫のような恐怖が背筋を這い上がってきた。全身が震え、脂汗が頬をしたたり落ちる。体は自然と塔の内側へと仰け反っていた。
泣き声にも似た呻き声がガイの口から漏れていた。自然と体は後ずさり、膝を突いた。
振り返ると、リネットが綺麗な姿勢で座りながら無慈悲に告げた。
「裁定は下されました」
それは、勝利宣言だった。結局は己自身でリネットの正しさを証明してしまった。助かったという安堵は消え去り、たかが小娘に敗北したという屈辱に全身を焼かれていた。
「すぐに旦那様も参ります。罪状と刑罰はその際に」
肩が震える。レポフスキー卿が来てしまえば、ガイの命は終わる。
「一つ、おうかがいしたい儀がございます」
会話の内容は何も耳に入ってこなかった。先程までとは変わらない口調なのに、勝利の愉悦に浸り、ガイを侮蔑し嘲っているかのように聞こえた。『魔力なし(マギレス)』にも劣る下等魔術師。生きる価値もない、腰抜けの臆病者。
「あなた様は……」
「黙れ!」
感情のままに放った声は『力ある言葉』へと変換される。衝撃波が部屋を揺らした。本やイスは窓の外へと飛び出す。
リネットの体も紙切れのように壁に叩き付けられた。苦悶の声を上げ、ずるずると床に沈んでいく。
拍子抜けするほど簡単に吹き飛んだ娘に、一瞬呆気にとられる。それでも未だ起き上がる気配のないリネットの姿に腹の底から笑いがこみ上げてくるのを感じた。
間違いない。この女は正真正銘の『
もし魔術師であればたとえ不意打ちであろうと、魔術の攻撃を受ければ魔力の壁を反射的に作り出すものだ。壁の厚さや強さは魔力の量によって差はあるが、今の衝撃波には何の抵抗も感じなかった。
驚かせてくれる。まさか、本当にただの小娘だったとは。
もはや猶予はなかった。レポフスキー卿が来る前に始末しなくては。言い訳は後で考えればいい。むごたらしく殺せないのが心残りではあるが、口をふさぐのが先決だ。
リネットの口から苦しげな呻き声が漏れる。ただの人間だ。天使でも悪魔でもない。恐れる必要などどこにもないのだ。
「安心するといい」
ガイはにやりと唇をゆがめる。
「貴様の死体は操られることもない。塵一つ残さず消し去ってくれる」
あともう少し力を込めれば、リネットの呼吸は止まり、首の骨は折れる。
その時だった。