あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-

第一幕 死霊魔術師のダイイングメッセージ ⑧

「それは困るな」


 低い、男の声がした。

 風が吹いた。次の瞬間、リネットを取り囲んでいた死体が力なく崩れ落ちていく。まるで操り人形の糸が切れたかのように。ガイはもう一度死体を操ろうと呪文を唱えたが、死体は何の反応も見せなかった。リネットはその場に崩れ落ち、喉を抑えながら咳き込んでいる。

 振り返っても人影はなかった。気配すらない。にもかかわらず声は続いた。


「無知で無力で無能な、何の取り柄もない娘ではあるが、いないよりはマシなのでな」


 まさか。ガイは総毛立そうけだつのを感じた。

 レポフスキー卿が……『裁定魔術師(アービトレーター)』が来たのか?


「何より小生しょうせいの家来に断りもなく手を上げようというのは、少々不遜に過ぎるのではないかな」


 ガイはもう一度手に魔力を込め、『力ある言葉』を唱える。取り繕う余裕はなかった。殺さねば殺される。生存本能から発した魔術だった。詠唱も集中もいつも通り完璧だったにもかかわらず、発動することはなかった。

 呆然と己の手を見つめる。一体何が起こっている? まさか、これが『裁定魔術師(アービトレーター)』……魔術師殺しの魔術師の力なのか?

 困惑するガイをよそにリネットが体を起こす。体をふらつかせながらも、壁に手を突き立ち上がる。その途端、黒い影が部屋の中に飛び込んできた。黒い影は翼を羽ばたかせながら倒れたテーブルの端にとまると高らかにいた。

 一羽の鴉だ。黒い翼に鋭い嘴、紅玉のような赤い瞳。先程、塔の中で見かけた鴉だ。

 リネットは優雅な足取りで鴉の前に来ると、恭しく一礼する。


「お恥ずかしいところをお見せしました。旦那様」

「任せてくれ、と言うから信じてみればこのザマか。つくづく使えない」

「申し訳ございません。平にご容赦ようしゃを」


 尊大な口調の鴉に対し、リネットは片膝を突いて頭を下げる。


「まあいい。貴様の処罰は後だ。……さて、魔術師殿」


 黒い鴉がガイに向き直る。


「先程は名乗りもせず失礼をした。小生はマンフレッド。レポフスキー家当主として『始祖』より『裁定魔術師(アービトレーター)』の任を与えられている。参上つかまつったのは、個人的な事情であったが、今より我が使命へと相成った」


 何のてらいもない自己紹介が、ガイにはすでに判決文に聞こえていた。リネットへの攻撃自体が、罪を認めたのと同義だ。見られていた以上、釈明の余地はない。


「……なるほど、そういうことか」


 わき上がる恐怖を打ち消すようにガイは何度もうなずいた。


「鳥に化けるのがレポフスキーの流儀か。姑息な」

魔力なしマギレス』の娘をオトリに使い、自身は鴉に化けて、密かに監視していたというわけか。卑怯者め。それでも魔術師か。


「どうやら勘違いをしているようだ」


 マンフレッドを名乗った鴉は首をかしげる。


「魔術や魔道具の類など一切使ってはいない。小生は、生まれてよりずっとこの姿だ」


 ガイは一瞬、言葉の意味を測りかねた。


「小生は元々、先代に拾われた鴉の子だ。だが、生まれつき膨大な魔力を持っていた。故に使い魔として飼われていたのだが、先代の当主が小生を養子にして後を継がせたのだ」

「バカな」


 気が付けば罵倒が口から出ていた。魔術の名門レポフスキー家がよりにもよって鴉を養子にしただと。そして一族の反対派を皆殺しにして当主に収まったというのか。


「先代の当主とやらは血迷ったのか?」

「小生も同意見だ」


 マンフレッドは愉快そうに笑った。


「おかげで殺さずともよい相手を殺さなくてはならなかった。あの時のことは思い出すだけで心苦しい。いやはや、まったく。因果なものよ」


 冗談めかした口調には、罪悪感めいたものは毛筋ほどにもなかった。


「さて、長話も過ぎたようだ。そろそろ使命を果たさねばな」


 ガイは顔から血の気が引くのを感じた。自然と足が後ずさる。


「貴殿は本物のハリー・ポルテスを殺害し、彼になりすました。あげくに小生の侍女を許しもなく傷つけ、証拠の隠滅を図った。その罪は重い」


 ひっ、と悲鳴が漏れる。


「ま、待ってくれ。俺は、いや、私は……」

「弁論は無用だ。そなたの罪は今から決まる」


 マンフレッドが視線を送ると、先刻承知とばかりにリネットが、黒革の鞄を床に置き、封を開けた。両手で恭しく取り出したのは、黄金の天秤である。

 ガイは総毛立つのを感じた。


「それは、まさか……」

「そうだ」マンフレッドが重々しい口調で断言する。


「『ユースティティアの天秤』だ」


 初代レポフスキー家当主が『始祖』より与えられた魔道具だ。魔術師が『天秤』といえば、通常はこれをさす。レポフスキー家の代名詞であり、紋章にも使われている。『天秤』の前で魔術師の罪を明らかにすると、その罪に相応しい罪状が決められるという。判決文であり、拷問具であり、処刑道具でもあるという。

 リネットは『天秤』を差し出すようにしてガイに向ける。その瞬間、左右の秤が自動的に上下を始めた。ガイの罪を測っているのだ。あの天秤が止まった時、命運は尽きる。


「クソっ!」


 ガイは杖を振るった。後先考えている余裕はなかった。殺さなければ殺される。並の魔術など、通用するはずがない。最後に頼れるのは、長年修行した『死霊魔術(ネクロマンシー)』だけだ。


「愚かな」


 がっかりした、と言いたげに顔を背け、一声鳴いた。

 その瞬間、リネットの側に倒れていたはずの死体が動き出し、ガイへと向かってきた。魔術で蹴散らす前に壁際に追い詰められ、顔面を殴られた。生者であれば出せぬ怪力で殴られ、頬骨が折れたようだ。その代償に死者の拳も砕け、指があらぬ方向に曲がっている。それでも死者であれば文字通り痛くもかゆくもあるまい。

 顔を押さえ、床を転げ回る。その背中から再び金属音が聞こえた。

 左の秤が、傾いたまま止まっていた。


「あ、ああ……」

「決まったな」


 マンフレッドが言った。


「『ユースティティアの天秤』は汝の罪に傾いた」


 ガイの脳裏にとある文献の記述がよみがえる。傾いた『天秤』は平衡を取り戻すため、反対側に同じ重さのものを載せる。すなわち犯した罪を贖うだけの、罰だ。どんな罰かは不明だが、罪次第では死刑以上も有り得るという。


「やめろ、やめてくれ。俺が悪かった。だから……」


 平伏して許しを請う、恥も外聞もない。『天秤』が平衡に戻れば。刑が執行される。『ユースティティアの天秤』を操れるのはマンフレッドだけだ。それが十歳の鴉であろうとなかろうと、泣いてすがるまでだ。


「……一つお伺いしたいことがございます」


 リネットが壁に手をつき、立ち上がりながら言った。


「な、なんだ?」


 そういえば、先程も何か質問しようとしていた。会話する間は殺されずに済む。腹立たしくも小賢しい『魔力なし(マギレス)』ではあるが、溺れる子供のようにすがるしかなかった。


「『首のない人形を持つ男』をご存じありませんか?」


 一瞬、頭の中が真っ白になる。


「ご存じありませんか?」


 再度問われて我に返る。ガイは焦った。意味は不明だが、返答次第では命がない。それだけは十分に理解できた。デタラメでも何でも気を引くような言葉を言わねばならぬ。


「いや、全く知らない。たった今初めて聞いた。思い当たることなど何一つない」


 なのに、気が付けば口が勝手に言葉を紡いでいた。


「何故?」


 あわてて己の口を押さえる。マンフレッドの魔術か? それとも『天秤』の力か?

 マンフレッドは露骨に失望した様子で首を横に振った。


「やはり、紛い物の方では何も知らぬか」


 ふわりと、飛び上がりハリーの骸の上に降りる。


「ご丁寧に魂まで砕いてくれたか。これでは『死者の声』も使えぬ」


 死人の魂を呼び寄せて話を聞く『死霊魔術(ネクロマンシー)』の一つである。

 マンフレッドは一声啼くと黒い羽根をまき散らしながら飛び上がる。不吉な羽ばたきを聞かせながらガイの肩にとまるとささやくように言った。


「判決を下す」